けいすの長い余韻の中で読経(4月29日48日目)

遍路転がしで登った分の下りを、遍路道を選んで思う存分歩きました。大変でしたがいい感じでした。宿を出てから82番札所根香寺までは、讃岐遍路道(根香寺道)をアップダウンしながら進み、それ以降は昨日の遍路転がしの登りの反対で急な下り坂でした。一宮寺までは、ほぼ全行程遍路道を選んで歩き、それ以降は市街地となりました。82番札所根香寺と83番札所一宮寺の2霊場を巡拝します。

讃岐遍路道(根香寺道)
83番札所一宮寺にある「地獄の釜の音が聞石の祠石の祠」

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けいすの長い余韻の中で読経(4月29日48日目)” に対して1件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    遍路道を選んで思う存分歩いた48日めもお疲れさまでした。

    三万体もの観音像が祀られている「万体観音堂」に手を合わせながら、観音菩薩のご真言「おん あろりきゃ そわか」を唱えながら本堂に進んだとのこと。
    『おん あろりきゃ そわか』とは、いったいどんな意味なのだろうと、私の好奇心がまたワクワク湧いてきました。『おん あろりきゃ そわか』とは,『オン アロリキャ ソアカ』とカタカナでも書くようですが,声に出してみるとこんな短い言葉なのに『アロリキャ』がちょっと舌を噛みそう。先生は早口言葉みたいに唱えたのでしょうか。

    一つひとつの言葉は,『あろりきゃ→無染無着で泥の中から美しい花が咲くように、世の中の人々の心を清浄にする』で,『そわか→円満,成就,幸あれなどの意味』があり,中には,『そ・あ・か→掃除・笑い・感謝』と提唱した人もいるようです。『そあか』は,お祈りのあとに唱えて願いの成就を祈る秘語などの意味もあるようですが,『こころね』という読み物に,いまいちよくわからない私でも,うんうんと頷いてしまう説明が書いてありました。

    『「真言」という言葉があります。例えばお嫁さんが窓の掃除をしているところに姑さんがやってきて,そこを指でなぞって「きれいね」と一言だけ言い放ったとします。口では「きれいね」ですけど,本音はなんとも嫌味たっぷりな「まだまだね」かなと。私たちが使う日常語と言うのは,一つの言葉でいろいろな意味に捉えられ,つまりそれは”迷いの言葉”とも言える。
    それに対して,ご真言というものは,ただ一つの意味しか持たない絶対的な“仏さまへの言葉”なんです。ただ一つの意味とは,「仏さま,あなたに帰依します」ということです。』
    『おん あろりきゃ そわか』とは,『観音様,ただただあなたを信じます』
    それ以外のどんな意味も持たない,純粋に聖観音菩薩さまをお慕い申すだけの言葉です。ということでした。
    先生は,もともと『おん あろりきゃ そわか』というお言葉をご存知だったのでしょうか?

    83番札所一宮寺の薬師如来を祀る石の祠に頭を入れると地獄の釜の音が聞こえるという話もちょっと興味が湧きました。MRIの検査では,「ガンガン,ゴンゴン,カンカン」と言う工事現場のような音がしますが,地獄の『釜』の音とはどんな?
    なんか聞かなくてもいいな・・と思いましたが,先生はきっと頭は抜けたと思いますので,その『釜』の音を聞いてみて欲しかったなぁと思います。

    そして,太子堂でのけいすのお話は,その余韻を感じる音が聴こえてくるような気がしました。でも,「ゴ~~~ン…」という音なのか,「チ~~~ン…」という音なのか,どんな音なんだろうと思っていたら,YouTubeで聴くことができたんです。それは,ゴ~ンとチ~ンが混じったような「カ~~~ン…」という音に近いような気がしました。そのけいすの長い余韻が響き渡る中での読経は確かに格別だったと思います。

    今日は、足首への負担はなかなかのものだったようですが,『山門が見えたときは、「着いた」という感覚ではなく「会える」という感覚のような気がして,参拝の作法に則りながら安堵と清々しさを感じるのです』という感覚は,私を始め,これを読んでいるみなさんがホッとしたのではないかと思うんです。そして,「あと少し!」と応援してくださっていますよ,きっと。

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