出がらし

「出がらし」はNHK朝ドラで語られ、「そうだよな~」と妙に共感し、みおわった後に何度も独り言のようにつぶやきました。朝ドラの中では、「出がらしであるが故の味わいもある。出がらしでなければ出せない味もある」とフォローもありました。でも自分に当てはめると、どうもその様には行かず、味けのないあってもなくても何の影響もない飲み物になっているような気がしています。

そんな「出がらし」の私は、福島県社協に請われて「市町村社会福祉協議会生活支援員等テーマ別研修会」で講義をして来ました。

当初40人参加と聞いていたので40人+α分の一口大のずんだ餅をお土産に持って研修会に行きました。こんな蒸し暑いときに研修会に来てくれる方々にわずかだけですが、宮城の味を口にしてもらいたかったのです。そしたら、何と参加者は50人を超えたとか!お土産の量が少し足りませんでした(汗)。

福島県は、原発事故避難者が多いので、避難生活は現在進行形です。そんな中で支援活動をしている方々には、私たちに経験のないご苦労をされていると思います。その様なことも有り、福島県からのご依頼には、ついつい力が入ります。この蒸し暑いときに、「熱い講義」になってしまい、受講者は迷惑千万なことだと思うのですが、ついついマイクなしで広い会場に響き渡るような力の入った語りになってしまいます。

今日使った資料添付します。お時間の有るときにめくってみて下さい。そして、福島県原発事故被災地の現状理解の一助となれば幸です。午前中は90分の講義。午後からは2時間30分のグループワークで、関わっている復興住宅の理解を「クロスSWOT分析」手法でやってもらいました。今回の研修で、何げなく見ている現状をより深く見つめる機会になれば嬉しいと思っています。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

出がらし” に対して2件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    『出がらし』?
    私は、NHK朝ドラを見ていないので、どんなことが語られていたんだろうと思いました。今の時代は本当に便利で、検索するとすぐにわかります。
    「出がらしの日高昆布を再利用した佃煮、出がらしの茶葉を利用したしっとり緑茶パン、黒豆出がらし蒸しパン、出がらし韃靼そばの実のヨーグルトがけ、出がらし黒豆グラノーラチョコレート・・」等など、最後まで無駄なく、美味しく、役に立つ出がらしのことがたくさん書いてありました。(あ、違うか!?)

    すみません、NHK朝ドラのこともちゃんと調べてみました。
    『佐田君。気を抜くな。君もいつかは古くなる。常に自分を疑い続け、時代の先を歩み、立派な出がらしになってくれたまえ』とありました。
    本間先生は、まだ出がらしではないと思います。しかし、先生がそのようにご自分のことを仰るのであれば、『時代の先を歩み、立派な出がらし』なのではないかと!いや、やっぱりまだ出がらしではありませんね。

    私の親友が先生のことを『先生は他の人が逆立ちをしても敵わない素晴らしいところがたくさんある』と話しておりました。「私もそう思う」と答えました。確かに年齢は重ねていきますが、それを古いとは決して感じませんし、先生は、自分が自分であり続けている存在だと思うのです。

    さて、昨日の講義のパワポの35枚目に、『高齢者は、衰えに直面して右肩下がりの状況にある為、「昨日と同じ私」であることが重要になります。この為、「お変わりありませんね」が褒め言葉になる』と書かれていました。確かにこの年齢になって「変わりないね~」と言ってもらったら、私も嬉しいです。

    「クロスSWOT分析」手法というのは初めて知りました。
    復興住宅を内部と外部から、プラス要因やマイナス要因で考えてみると言うのは、これまで気づかなかったことや何気なく見ていたことがいろいろ見えてきて、今後の取組みや関わりを考えるうえで、とても役に立つのではと思いました。写真からも熱心に参加している様子が伝わってきます。
    う〜ん、私も聴講してみたかったです。

    1. スマイル より:

      ハチドリさんのコメントに満ち溢れている「想い」に心打たれました。
      「出がらし」という言葉は悲しい響きがありますね。でもハチドリさんが調べてくださった「最後まで無駄なく、美味しく、役に立つ出がらし」という言葉にクスっとなりました。
      先日開催された中学校の「地域との防災活動」で、活動に協力してくださるみなさんに最初に本間先生が毎年作ってくださっていたスライドショーを見ていただきました。それを見ただけですべてが伝わるようになっています。写真の切り取り方は、全部この場面で何を伝えたいかが伝わるものになっています。それは「頭」で考えたものでなく「感性」が選び取ったものだと思うのです。「頭」で考えたことや「知識」はもしかしたら年齢とともに忘れやすくなることがあるかもしれません。(実際、私はそうです)でも「感性」はその人のもともと持って生まれた「宝」であり、それをどう磨いてきたかによって輝きが違うもの、最後の瞬間にどのような「感性」であるかがとても大事なのではないか、と思います。
      私も先生は「ほかの人が逆立ちしてもかなわない素晴らしいところがたくさんある」と思います。それを「出がらし」と自ら言ってしまってはもったいない!「出がらし」と言いたいのなら「最後まで無駄なく、美味しく、役に立つ出がらし」の心意気でいきましょう!
      私たちの一番大切な役割は人のために何ができるか、よりもまず、自分のために何ができるかだと思います。自分の感性を大切に想い、育み、磨くことが大事なのではないかしら。自分にできることが、人に対してもできること。自分をないがしろにしていしまうと、いじけてしまって、結局人のため、と思っても全うできないような気がします。自分にもそう言い聞かせたいし、子どもたちにもそう伝えられるようでありたい、と思います。

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