なんで男の子なんだ(4月21日40日目)

宿を出てから一貫して登り。6キロ手前から登りは急勾配になり、遍路道に入ってからの3キロは、正に「The遍路転がし」、ものすごい登りです。更に、60番札所横峰寺を参拝してからの下り坂は、とにかく急勾配で長い!下り切ってからの参拝は、申し訳ないけど、疲れ果てて気持ちが余り入っていなかったです。60番札所横峰寺、61番札所香園寺、62番札宝寿寺及び63番札所吉祥寺の4霊場を巡拝します。

接待堂跡に建立された六地蔵と太子堂

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

なんで男の子なんだ(4月21日40日目)” に対して7件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    キツかった~!の一言に尽きる、我慢の40日めもお疲れ様でした。

    台湾の巡礼のご家族のお話、いいですね。
    『ツマラナイモノデスガ』と甘い物をいただいたり、手書きの納め札をいただいたりしたそのひと時、「ナンダガ インデネ~ノ~」とつぶやきたくなりました。

    そして読み進めていったら、こぢんまりした庶民的な札所にも関わったということから、笑顔で庶民の暮らしに寄り添い見つめていただろう弘法大使に対して、先生は『インデナイガイ』と思ったとのこと、「ハッピータッチ!」と思ってしまいました。(あっ、またくだらない話ですみません💦)

    歩いた距離は、いつもとそんなに大きく変わらないようですが、高低差が748m、歩いた時間は10時間、消費カロリーが4,229kcalというのは驚きです。本当に大変なお遍路だったんだな~と思いました。

    明日も頑張ってください!

  2. シャイン より:

    厳しい遍路道を黙々と歩いている姿が、なぜか遠い昔にみた「砂の器」のワンシーンと重なりました。歩いている目的は全く別物だと思いますが。
    厳しいお遍路道を歩き、くたくたの状態で(頭の中は真空状態のような感じ?)お参りが十分でないと、俯瞰し思う事がすごいと感じています。
    私の場合、自分が同じ状況だとしてもその時の自分のあるがままでよいと思ってしまいます。
    未熟なのですね。(笑)歩いている時、何も考えずただ黙々と歩く。心を無にして。

    1. welfare0622 より:

      シャインさん
      コメント有り難うございます。今日は、10月25日~26日に予定されている
      「小さな社協のこだわりフォーラム」について、南三陸町長にレクチャーして来たところでした。
      この為、読むのが遅れてしまい、そのお詫びに返信しています。

      このフォーラムは、南三陸町社協が行った東日本大震災での振る舞いを多くのみなさんと
      共有したく企画したものです。

      さてさて本題です。「砂の器」のワンシーンと重なったとのこと、有り難うございます。
      私は、観たような気がするのですよく覚えていません。それで、映画の予告編を検索してみたら
      「これかも知れない」というシーンがありました。もしも、それだとすれば、おっしゃる通りかも
      知れません。ひたすら黙々と!というところは全くその通りだと思います。

      それから。その時々の受け止め方は「自分のあるがままと思う」とのこと。決して未熟ではなく
      損得を入れない素直な受け止め方であると同時に、如何なる状況に対しても柔軟に対応するという
      対応能力の高い方なのではないかと思いました。なので、それでよいどころか、その様な受け止め方を
      大切にした方がよいのではないかと思います。

      今回は、コメント有り難うございました。

      砂の器 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=90nkKqlg9ec

      1. シャイン より:

        返信ありがとうございます。
        高校2年生の時の日本史の非常勤講師の方が、日本における差別という内容の中で、「橋のない川」という作品を題材に部落民の事を知りました。
        ちょうどその時に「砂の器」という映画が上映されており見に行きました。
        冒頭(記憶があいまい)の遍路姿の親子が砂浜を歩いているシーンがあって、そのシーンが思い出されました。
        いつの時代も色々な状況で差別はありますね。
        先生がお遍路道を黙々と歩いている姿が想像されて、親子が歩いているシーンとリンクしてしまいました。

  3. いくこ より:

    「ナンデ、オトコノコナノッシャ」う~ん、深いですね。
    単純に男の子が生まれたからなのかもしれない、先生がお書きになったように社会的に男の子が求められていて、だからこそとご利益を強調するために?そしてなぜ先生はそこに引っかかりを感じられたのか、ジェンダーの問題に深い関心を寄せてこられたからでしょうか。
    ひょっとしたら女の子が生まれていたら文言は「元気な女の子が生まれた」という表記になっていたのでは?と浅い考えの私は思ったりするのですが。
    こういうことって言葉にしにくいですよね、説明が難しくて触れずにおくことが多いように思います。と、またもお遍路のお話しから外れたところにとっついてしまいました(笑)
    今週もありがとうございました。

    1. welfare0622 より:

      いくこ様
      おはようごっざいます。早速のコメント、いつも有り難うございます。

      「社会的に男の子が求められていて、そこにご利益を強調する」と、私は受けとるのです。
      多分、こうした逸話は、当時の世相を反映して作られていると思います。
      心理学で言うところの「ハロー効果」を狙った逸話のように感じます。

      この為、当時の社会情勢が家制度の浸透と伴に「男社会」に突き進んで行く
      兆しが透けて見え、それを弘法大師の名を借りて広めているところに引っかかるのです。

      一つの逸話や歴史に中に、これまで私たちの生活の中にあった「家制度」「家父長制」
      の萌芽を読み取れるような気がしています。

      昔ばなしや童話に、人々の振る舞いのあり方や子どもの教育的側面を
      担った側面があるのと同じように、こうした逸話にもその背景を
      考えながら読んでみると面白いかも知れません。

      私の解釈は多分に「読み過ぎ」が有るかも知れませんけどね。
      そこは、いくこさんの寛容な心で見て下さい。

      1. いくこ より:

        「読み過ぎ」る視点を持つための学問ですね、「寛容な心」は素敵ですが良民としていつの間にか予期せぬ方向へ扇動されていたりするわけですよね。
        違う視点のヒントをいつもありがとうございます、今回も面白かったです。

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