あらためてお遍路を自覚する(4月18日37日目)

一日中ほぼ平坦な一本道を歩きます。青木地蔵を通る遍路道の所だけ勾配がキツかったのですが、その場所を除くと、静かな波のない瀬戸内海の海岸線沿いや郊外の住宅街を歩く一日でした。一日中平坦な道をひたすら歩くので、坂道と異なり足首への負担はそれほど多くはありませんが、ただ、長距離なのでかかとが痛なりました。一本道だったので、マーク探しのストレスはほぼありません。更に、特別なおせったいを頂き、とても満足感の高い日となりました。この間、札所はありません。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

あらためてお遍路を自覚する(4月18日37日目)” に対して4件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    37日目,「あらためてお遍路を自覚する」というタイトルがワクワクで読ませていただきました。

    番外札所遍照院の看板にある,蹄鉄から顔を出している馬の素材がとても気になりました。菊間町の750年の歴史がある『独特のいぶし銀色とつやが特長の「菊間瓦」』でできているのでしょうか。なぜ馬がモチーフなのかも気になりました。そして,厄除け太師のご本尊『遍照院』は,そこ今治だけではなく本州にもたくさんあり,福島にも2カ所あるようです。来年の節分の頃に行ってみたいなと思いました。

    special notesに書いてあったのを読み,特に金剛杖が表している意味を知り,80歳を超えていそうな女性のその振る舞いの気持ちがとてもよくわかったような気がしました。心から『有り難い』と感じたのだと思います。「あぁ,良かった!すごくいいお話」と心から思いました。先生,『あらためてお遍路を自覚する』,ほんとうに良かったですね。

    今回,歩いた距離は30.5㎞とありました。突然,その距離って私が今いる所からどこら辺までなんだろうかと気になり調べてみたら,小高駅から相馬駅までくらいの距離でした。私は単純な平地を歩いた時,20㎞くらいが限界で情けない思いをしたことがあります。でも,もう少し日々歩くことに慣れ,いつかもう一回挑戦してみようかと考えています。

    では,明日も頑張ってください。

  2. スマイル より:

    ようやくお会いできた歩きお遍路に涙した高齢の女性の方の姿を思い浮かべ、私まで胸がいっぱいになりました。同じ日本でありながら、心に刻まれている文化の違いを感じたりもしました。

    このような習慣を私はとても尊いと思いました。それを実際に感じることができたというだけでも、この歩きお遍路に挑戦なさった意味があると思います。やはり私たちの心を動かすのは人の想い、願い、祈り・・・そういうものだなあ、としみじみ思いました。

    今回も貴重なお話をありがとうございました。

  3. 鈴虫 より:

    昨年夏に先生の『四国八十八ヶ寺歩きお遍路報告会』におじゃました際、お遍路に同行した金剛杖を見せて頂きました。
    杖先に見事な花を咲かせた杖は、お遍路を歩き通した汗と涙がしみついているようで神々しく、私も思わず撫でたくなり手を伸ばしました。
    すると金剛杖を手にしていた奥様に「これはお大師様そのものだから、そこは頭にあたるので触るものではないそうですよ」と教えて頂きました。
    そうか、同行二人とは金剛杖に宿ったお大師様と一緒ということなのですね。

    今回のおせったいでその金剛杖に「やっと会えた」と撫でるように擦ったおばあさんの姿が見えるようです。
    それほど有難い金剛杖を手にしたお遍路さんは、地元の人達にはお大師様の化身に見えているのかもしれませんね。

    今回もいいお話を聞かせて頂きました、ありがとうございました。

  4. いくこ より:

    今朝も胸がいっぱいになりながら読ませて頂きました。
    金剛杖の深い意味合いとおせったい、お遍路も37日となり円熟味が増して味わい深い一日となったようですね。
    それにしてもおせったいという行為の尊さと、そのことが人々に与えるであろう心の滋養を思うと、そのような文化を築き残してきた四国の人々をとてもうらやましく思っています。
    私もささやかなことを積み重ねていこうと思います。
    ありがとうございました。

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