結願記念日
昨年の3月12日に仙台を立ち、翌13日から徳島県1番札所霊山寺をかわきりに「四国八十八ヶ寺歩きお遍路」を始めました。以降、想像を遙かに超える様々が状況の中、ひたすら歩く「今この瞬間を重ねる」時を50日繰り返しました。そして昨年の今日5月1日に、香川県88番札所大窪寺に辿り着きました。午後、日が少し傾きかけようとしている時刻に、いつもよりゆっくりと読経し、88箇所目の御朱印を頂きました。
弘法大師と縁のある霊場88箇所を一気に巡拝する「通し打ち」で歩き切りました。『結願』です。
私にとって、四国八十八ヶ寺歩きお遍路に取り組んだこの時間は、大変貴重な経験となりました。また、この時間を持てたことは、残された人生の振る舞いにも大きな影響を与えることになりそうです。この体験の重さは、時間が経つにつれて増しています。きっと、数年後には、我が人生の『奇跡の出来事』となるように感じます。ただ歩くだけの「何でもない一日」が「特別の一日」となり、人生の奇跡として刻まれる。この様なことこそ奇跡です。
多くの方々に支えられて取り組めた「四国八十八ヶ寺歩きお遍路」でした。多くの方々に一緒に歩んでいただいた「四国八十八ヶ寺歩きお遍路」でした。月並みな表現ですが、こうした支えが、一歩を踏み出し重ねる気力となりました。この気力が、疲れた身体や痛んだ足首を癒やし励ましてくれました。本当に有り難かったです。有り難うございました。
私は、こうした皆様から頂いたご恩を忘れず、これからの人生の糧にするために5月1日を『結願記念日』とし、少しでも人様のお役に立てるよう、より一層精進して参ります。ご支援有り難うございました。
遅くなってしまいましたが,結願記念日,おめでとうございます
四国八十八箇寺歩きお遍路では、124グラムのお母さまを八十八箇寺全てを背負って歩いたのですよね。『苦しい時は励まされ、気持ちの良い遍路道は一緒に眺め、足首の痛さには「無理するな」と優しく諭され、ひたすら歩く私を見守ってくれました』と,親孝行するはずが助けられた歩きお遍路でしたと綴られていました。
お母さまもとても喜んでおられたことでしょうね。
今日5月12日の母の日に,そんなことを思っておりました。
結願した当日は,『いつか皆様に改めて報告したいと思います』ともありました。それが毎週月曜日の紀行文に繋がっているのですね。残り20日くらいとなりました。楽しみにしておりますので頑張ってください。
「四国八十八ヶ寺歩きお遍路」の結願記念日、おめでとうございます。
一年前のこの日、無事に歩き通されたとのご報告に心から胸を撫で下ろし、「よく成し遂げました、おめでとうございます‼︎」と、私まで感無量になったことをつい昨日のことの様に思い出しています。
それと同時に「結願」から一年とは、まだ一年しか経っていないのでしたかと、もうずっと以前のことかの様に思えて不思議な気持ちになりました。
それまで私が何か挑戦しようとする時には完璧な準備が必要だろうと考えて、なかなか始められない事が多かったのです。
ところが先生の歩きお遍路への挑戦は、その訓練のお話から体力的に大丈夫なのだろうかと不安がよぎっていました。
そんな中出立されたお遍路さんの毎日の報告を固唾を飲んで読ませていただきました。
そして沢山の応援団の見守る中、紆余曲折有りながらも見事に「結願」されました‼︎
本当に見事な挑戦でした。
私はこの挑戦を見届けたことで、挑戦に必要なものは完璧な準備ではなく「夢に向かう勇気と強い想い」なのだと教えていただきました。
「念ずれば叶う」「案ずるより産むが易し」まさにこの通りでした。
おかげさまで私も長年の夢だった「認知症カフェ開催」に向けて一歩を踏み出すことが出来ました。
ありがとうございました🙇🏻♀️
あらためて「結願記念日」おめでとうございます👏
1年前の今日、結願なさった日なんですね。時が経つことのなんと速いこと!
時がただ流れていってしまうのではなく、刻むように生きたい、とある年の一文字は「刻」にされていたことがありましたね。さらに、1年に一度大きく自分の心に節目を感じる日が「結願記念日」、とても素敵だと思います。
どれだけ多くの存在に助けられ見守られ今この命を生きられていることか!太陽、空気、植物、微生物、家族、友人、隣人、そして苦手と思っている人でさえも・・・すべて今の自分を創ってくれて、成長させてくれて、生かしてくれている大切な存在。
でも、なかなか私たちはそれを実感することができないまま生きています。お遍路で次の一歩を踏み出すのさえ大変な日々を支えていただいた、という実感はどんなことにも勝る宝物ではないでしょうか。「実感を手にしている」ということこそ、お遍路がもたらしてくれた最大の恩恵のひとつかもしれませんね。
「結願記念日」おめでとうございます!