ただひたすら歩くだけなのに(4月5日24日目)
38番札所金剛福寺から39番札所延光寺までの85キロメートルを2泊3日かけて歩く、1日目です。昨日の様な道なき道を歩くようなことはなく、多少の緩いアップダウンはありますが、左に太平洋をみながら県道をひたすら歩く行程でした。午後からは、前線が近づきつつあるようで、湿度が高く風も強くなって来ました。
38番札所金剛福寺から39番札所延光寺までの85キロメートルを2泊3日かけて歩く、1日目です。昨日の様な道なき道を歩くようなことはなく、多少の緩いアップダウンはありますが、左に太平洋をみながら県道をひたすら歩く行程でした。午後からは、前線が近づきつつあるようで、湿度が高く風も強くなって来ました。
昨日の疲れがどっぷり残っていた24日目,お疲れ様でした。
前日の,弘法大師が観音菩薩の光りを感じ、観音の理想の世界に一番近い場所とし,また,修行中の若き空海が、曼荼羅的な世界の中にいると感じた『38番札所蹉金剛福寺』。
私はどんなふうに感じるのか,一度そこに行ってみたいような衝動にかられていますが,先生が必死に23日もかけてたどり着かれたそのようなところに,そうやすやすとは行ってはいけないとはばかられるような気もします。それでも,菩薩観音の光とは?観音の理想の世界?曼荼羅的な世界?はて,どんな感じなのだろう・・と興味津々,デッカイ海を眺め、広々とした空間で、圧倒的な自然の持つ力とやらを感じてみたいものです。
手描きのメッセージ付きのお弁当、美味しかったことでしょう。
写真のメッセージを描かれたのがその女将さんなのでしょうかね。真似したくなる,とても素敵な『おせったい』だな~と思います。
「松崎海岸」の国の天然記念物「化石漣痕」ですが、その名前のイメージから擦り傷、切り傷がたくさんできそうで、歩くのには厳しいだろうなと想像できます。弘法大師様も見逃してしまったという奇岩奇勝で知られる「見残し海岸」、歩くことはもちろんお勧めはしないのですが、いったいどんな海岸なのだろうかとこちらもほんの少しの興味があります。
宿には、14時30分とやや早めに着かれました。
ゆっくりお湯に浸かって、疲れをとってほしいものです。(こんな時は、先生は自然の治癒力に委ねるのでしょうか。私は疲労困憊な時は、ついドリンク剤に手をだしてしまうこともあります。)
お弁当に入っていたという「ご縁」「一期一会」「無事の結願」の言葉こそ、本当に素敵な「おせったい」だと思いました。これから先は無事を祈るしかない、という時、疲れた時に広げるであろうお弁当に入れた想いを託した手書きの言葉たち、と想像しただけで胸が熱くなります。
「悠久の時を旅する」という気持ちになった、とのこと。このところ、日々の暮らしの中でもそのような感覚になることがあります。そうすると、視野がぐっと広がって、今を俯瞰で見ることができるようになると同時に、だからこそこの一瞬のかけがえのなさもわかるような気持になります。この感覚、大切にしたいですね。
お疲れの一日だったと思いますが、そういうすべてがとてもリアルでかけがえのない紀行文になっていると感じました。
文中『「ただ歩くこと」の意味があるような気がしています』という言葉が心に残りました。
何だか疲れて何もなしえず、ただ生きていると感じるときがあります、そいう時はただ生きることを感じる時間なのかもしれない、感じることに意識を向けることがいずれ何かを生む、そういうことなのかもしれないと思いました。
今週もありがとうございました。