警策で打たれる(3月31日19日目)
横浪スカイラインを更に進み、アップダウしながら下ります。下り切ってからは、町と町を結ぶ幹線道路国道56号線をひたすら歩く一日です。この幹線道路は、歩道が少なくて比較的交通量も多くて、大型トラック等とすれ違うと、その風圧であおられることもしばしばでした。36番札所青龍寺から37番札所岩本寺までの59キロメートルを二日掛けて歩く1日目で、今日の巡拝霊場はありません。
横浪スカイラインを更に進み、アップダウしながら下ります。下り切ってからは、町と町を結ぶ幹線道路国道56号線をひたすら歩く一日です。この幹線道路は、歩道が少なくて比較的交通量も多くて、大型トラック等とすれ違うと、その風圧であおられることもしばしばでした。36番札所青龍寺から37番札所岩本寺までの59キロメートルを二日掛けて歩く1日目で、今日の巡拝霊場はありません。
想定もしていなかった思いもかけない捻挫。その出来事を「警策で打たれる」と表現したことにハッとしました。
『今日は歩くことがとても傲慢だったのではなかったか』『ただただ距離を稼ぐだけの「がさつ」な歩き方で、今この時ではなく、先ばかりを見ていた』『この先は、今の積み重ねで成り立っているのに、ただ先を貪るようにして歩いていた』『順調な足の運びは、一歩の大切さを置き去りにしてしまった』という気づきは、そのまま私たちの日常の暮らし、生き方に当てはまると思いました。
今日のこの一日を、今この瞬間を、今やるべきことを、今の自分の想いや気持ちを大切にしていきたいと、そして心を込めて丁寧に行動しようとあらためて思いました。この記録は「お遍路に挑戦しよう」と思う方達の道しるべとなるとても貴重なものであると同時に、読む人たちが「暮らし」や「人生」を考えるための道しるべです。
この日も道すがら缶コーヒーのおせったいを頂いて、じんわりと心を温められたのですね。旅先でさりげない人の優しさに触れることは、その旅を特別な想い出にしてくれますよね。
あぁ、、そんな良き日に、 なんということでしょう!
これまでも、大変な遍路ころがしも悪天候も何とか乗り越えて来ましたのに。
思わぬ所で足を取られてしまったのですね、これが油断ということですか。
毎日の書き込みを応援しながら読ませて頂く私にも、このまま無事に行けるのかもしれないと油断が出てきた頃だったかもしれません。もっと気持ちを入れて無事をお祈りしなくてはいけなかったのに、すみませんでした。
「中断」「断念」等のネガティブな気持ちを打ち消すように「落ち着け、今しなければいけないのは何なのかだけ考えろ」「ここが踏ん張り時だ」と自分に言い聞かせたとは、本当に偉かったです。
「どの様な状態であろうと、第一歩だけは踏み出そうと決めたのです」
「挑戦して越えられなかったとしても、それは敗北ではない。何もやらず『無理』と決めつけるのが敗北だ」
先生が自分自身を励ました一つひとつの言葉が心の奥深くしみてきました。
こんな危機的状況の今日は特に、菅笠に書かれた「同行二人」の文字が心強く、身も心も支え、守って頂ける様に思えます。
お大師様とお母さんと「同行三人」ですから、さらに力が沸いてきます様に。
そして、明朝の第一歩が何とか踏み出せます様に。
歩きお遍路の3分の1が過ぎた19日めの今日,大変なことになってしまいました。
書かれていたように『起きてしまったことはどうしようもない』のですが,私も大きな捻挫を2度経験していて、車いすや松葉杖のお世話になったこともありました。1回目はバレーボールでブロックしたボールが足元に落ち,その上に片足が着地してしまった時。おんぶされて病院に行きました。次は厚底サンダルで颯爽と歩いていたら段差があるのに気づかずグニャ!とにかく足をついたときの涙も引っ込むくらいの激痛と言ったら「もう~!!」です。
先生!スティックを松葉杖代わりにしてとは言え,よくぞ一人で宿に戻って来られました。どこかでお太師様も支えてくださっていたのではないかと思います。そして,宿に着いてからの応急処置は素晴らしかったです。とにかくまずは冷やし,固定して動かないようにして,高めにして休む。私なんか寝相が悪いので,朝に目覚めたら捻挫したほうの足がベッドから落ちていて,寝たときよりもさらに重痛苦しく腫れ上がり,履く靴がなかったという始末でした。
『警策で打つということは、修行が順調に進むようにと文殊菩薩からの激励という意味が含まれているといいます。お遍路で歩くことは、その一歩その一瞬が修行なでしょう。今、とても重い代償を払って学んでいるのかも知れません』とありました。足は痛いけど,そのように想うことができれば,心は少し軽くなれたのではないでしょうか。
『感謝で眠り希望で目覚める』素敵な言葉ですね。
どうか,明日の朝はそのような朝でありますように!
靴もちゃんと入りますように!