OOC活動事例をお寄せ下さい(12月6日~12月12日迄の分)
12月師走に入りました。昨年書いて頂いた「挑」を見ながら1年の振り返りを始めています。そうは言っても、年末までもう一踏ん張りもあるので頑張らないとです。
皆様はさぞかし様々な思い出深いことがあったことでしょう。少しだけおすそ分け(お福分け)していただけると幸いです。今週も皆様の「おせっかい」をお待ちしています。
出会いの数だけドラマがあります。些細なことと言わずにお聞かせ下さい。皆様の「おせっかい」を楽しみにしています。
上記の期間中に何編でもお受け致します。ドシドシ、書き込んでください。お待ちしています。書き込みは、この下にある「コメントを残す」にお願いします。新しい書き込みのルールは、「事務局からの連絡」に示しています。そちらをご覧下さい。
先日栗原市若柳で「熟年わんぱく塾」の最終回、卒塾式がありました。そこでは、気が重くなったお話をしてから本年度最後の講義をしました。この日から数日遡った日に、地域で講義をさせて頂きました。演題は「地域社会とのつながり―地域で暮らし続けることを支えるために―」です。
いつものように、「現代社会の概観」から入り、高齢者を社会資源化する取り組みなどの事例を示しながら、地域住民が主体的に関わることの大切さ等をお話しさせてもらいました。その過程でボランティアにあり方などに付いても触れ、「最も大切なものにあふれている社会」づくりに励んでもらいたいと結びました。
講義後に感想や意見を聞いたところ、次のような感想・意見がありました。「現代社会の状況がもたらす諸問題は、言われなくとも分かっていることだし、この様な話は政治家が若い人たちにすれば良い。自分たちは楽しく毎日を過ごせればよくて、現状をこのまま続けて行ければいい」。また、「施設で踊りなどをすると、とても喜んでくれる。それで何が問題なのかが分からない」、というのもありました。私は、素人の踊りを喜んでみるほど、施設で暮らしている高齢者は、外部から閉ざされ楽しみもない環境での生活を強いられていることに想いが行かない、即ち社会的想像力の乏しさが悲しかったのです。
私と一緒に学んだ「熟年わんぱく塾」の皆さんには、このような考え方をしてもらいたくないと切に願っています。
見てみぬふりできず
思わず手をさしのべてしまう『おせっかい』
その先にあるのは、誰もが安心して暮らせる社会です。
ちょっと「おせっかいが過ぎる」と感じさせてしまった時は
素直に「ごめんなさい」を言いましょう。
改めて『OOC健笑』を読んでみました。
なんて素敵な道しるべなんだろうと思いました。
相手を想っての行為、それがOOCのめざす『おせっかい』なんだよねって、さらに深く胸に刻みました。
いくこさん、健笑を作って本当にくれてありがとうございます。
こんにちは!
人の想いや行動は、本人も受け手側の捉え方にも個人差があるので、一概には決めつけられないと思いますが、みなそれが同じだったら「良いものは良い、良くない物は良くない」と一律の考えの社会になってしまうと思います。様々な考えや意見があり、そのことをちゃんと議論していくことで発展していく世の中になるのかなと思うし、自分のものさしだけで測るのもどうかと思いつつも、自分だったらどうかなと考えてみることはとても大切なことだと思います。とは言え、「このような話は政治家が若い人たちにすれば良い」という考えは、私にはわかりませんでした。
話は変わりますが、本間先生、先日はとても素敵な物をありがとうございました。ハチドリさん経由で、小田さんがスケッチした絵が表紙に載っている、東北大学記念グッズの大学ノートを、幼馴染みで集まった時に確かにいただきました。
ファンの中でも手に入らないレア物を東北大学同窓生枠でゲットしていただいたとお聴きしました。とても貴重なノート、びっくりしました。ハチドリさんが「これは大切にしまっておくのではなく、使うもの」と言ったので、「何に使う?」とみんなで話をたんですよ。
そしたら、「料理のレシピを書いたり、張り付けたりするのはどう?そしていつか子供に渡してもいいんじゃない?」というアイデアが出ました。私はテレビで流れる料理番組を広告の裏とかに書いて冷蔵庫にたくさん貼ってあるので、それはノートに貼り直し、今後はこのノートに書き留めようと思いました。
そのあと、小田さんの歌の恋愛の歌詞は、あれはどこから来るんだろうね・・とかいろいろ妄想した時間もとっても楽しかったんです。こころが温かくなる、ちょっと粋なおせっかいを本当にありがとうございました。すごく嬉しかったです。
OOCのみなさんに教えてもらった加美町の「genjiro」も、本を目の前においてボーッと外を眺めていたい、とても素敵なお店でした。
幼馴染み代表より
マドンナさんの『みなそれが同じだったら「良いものは良い、良くない物は良くない」と一律の考えの社会になってしまうと思います。様々な考えや意見があり、そのことをちゃんと議論していくことで発展していく世の中になるのかなと思う』という言葉に深く共感しながら読ませていただきました。
私はついつい自分がやっていることが「正しい」と思ってしまいがちなんです。でもそうすると自分と違う人は「間違っている」となってしまう。それはちょっと違うなあ、と思っていたところだったのでマドンナさんの言葉を読んで「そうそう、そういうことだ」と嬉しくなると同時に、襟を正すような気持になりました。
でも、やっぱり「なんだか通じないなあ」と思うことはありますよね。そんな時は「そう、あなたはそう考えるのね」とそれはそれで受け止められるようでありたいです。その上で「私はこれが良いと思うので、まずはこの道を進んでみますね」くらいの軽やかさでいられたら、と思います。
それにしても!小田さんがスケッチしたノートだなんて、ファンの人はもう嬉しくて眠れないくらいですね!良かったですね!どうぞ大切に・・・本間先生、みなさんを喜ばせてくださってありがとうございます。
マドンナさんのコメントから、色んな考え方に触れる事の大切さを考えさせられました。
スマイルさんの「そう、あなたはそう考えるのね」と受け止める姿勢も必要ですね。
そのように意識することでさらに自分の考えを確固たるものにしたり、なるほどそういう考え方が私には不足していたなと柔軟になったり。
いずれにしても人の意見を聴く耳を持つことが大事ということですね。
世の中は色んな人が居るからこそ刺激的で愉しいのだとポジティブに捉える方がいいに決まっている。
でもね、わかっちゃいるけどなかなかそう簡単にはいかないのが私の頑固なところかなぁ、と反省してみたり。
マドンナさんのおかげでこんな事を考えました。
ありがとうございました😊
スマイルさん、鈴虫さん、ありがとうございます。
スマイルさんが書かれていた、でもやっぱり「なんだか通じないなあ」と思うこと、私もしょっちゅうあります。きっと相手もそうなのかもしれないですよね。でも、もしかしたらうまく伝わってないのかもしれないし。だから相手に伝わる説明とか話し方って、言葉だけじゃなくて、態度や表情とか、とても大切なような気がします。
そして、鈴虫さんが書いてくれた、でもね、わかっちゃいるけどなかなかそう簡単にはいかないのが私の頑固なところかなぁ、と反省してみたりって、私のこと書いてくれました?(笑)
そうですよ。自分の信念や考えてることはまずは自信をもって大切にしてしていきたいものです。
私はいつもみなさん、すごいなあと思ってコメント読ませてもらっていますよ。ありがとうございます。
重いお話しと嬉しいお話し。
まずはちょっと重い方から。
「とても喜んでくれる。それの何が問題なのか」私も同じような思いがありました。母がデイサービスに通った施設では、毎月笑顔いっぱいの写真を満載した通信を渡してくれていました。母も満面の笑顔、でも私はそれを見るといつも苦しくなっていました。それが心からの笑顔ではなく気遣いからの笑顔だと私にはわかったから、ひな祭りにピンク色の着物を着せてもらって皆さん楽しそうな笑顔、でも長く和裁をしてきて「良い縞だねぇ」なんて布地の話をする母が、宴会の出し物のようなピンク色の着物を喜んでいるとは思えなかったからです。
施設のみなさんの努力やお世話になっているという気づかいで、母はいつも笑っていたと思います。私もそう思いながら何も言うことが出来ませんでした。その後別の施設にお世話になって、頂いた通信の何気ない日常の写真がとても嬉しかったです。
嬉しいお話しも。
昨日、時々行くカフェで「今も毎日お弁当作っているのですか?」と聞かれました。「ええ、毎日。主人と娘の分2つ」と答えると、とても嬉しそうに「私も毎日子どものお弁当を作っていて大変だなぁって思うけど、いくこさんも作ってるんだって思って頑張るんです」とのこと。
お弁当のことなど話したことがあったかしらと思うほどの小さな出来事が、誰かの役に立っていたなんて、とっても嬉しかった。みなさんのおせっかいも知らぬ間にどこかで花を咲かせているかもしれませんね。
いくこさんのお母さんのお話を聞いて、我が家と同じだと思いました。
私の母もデイサービスを利用していました。ひとりでは難しくなったことを助けてもらうことは勿論ですが、家族とすれば認知症でありながらもみなさんと楽しい時間が持てるように、また、本人の出来ることが認めてもらえる環境で過ごして欲しいと願ってのことでした。
職員さん達は優しく丁寧なものごしで安心してお願いしていたのですが、お便りや行事写真に映る母は変な衣装や小物を身につけて、なんとも滑稽な姿にしか見えないのです。これを見ただけで「ひとりの大人として扱われていない」ことが伝わり、母をこんな目に合わせて申し訳ないと感じました。
この様な仕打ち(経験した方にはわかっていただけると思い、あえてこの言葉です)がまかり通っていてはいけないと私は思います。私自身も介護福祉士としてお年寄りを迎える立場にありますので、同じ悲しみを誰にも繰り返すことのない様にと心がけております。
私はこの様な扱いは嫌です。もし私だったらとイメージすることがとても大事なのだと思います。
歳をとると子供に帰ると言われますが、それはメルヘンの世界にいるようなことでは決してなくて、純粋で真っ直ぐな感情に帰ることではないのでしょうか。私達となんら変わらない、大人のリアルな世界にいることを忘れてはいけないのですね。
私なら「まだ上手な踊りではないけど、一度見てもらってもいいですか」と言って踊らせてもらうかな。施設には、きっと私より上手に踊れるかたがいそうな気がしますから。
世の中には色々な考えの方がいますね、勉強になりました。
鈴虫さん、ありがとう。
投稿して良かった、悪意のない誰かを傷つけるのではと、口に出しかねていたことです。感じていることを伝えることはやはり大事ですね、鈴虫さんのお母さんも私の母も空で微笑んでくれているのではと思います。
小さな言葉もさざ波となって世の中を変えて行くことができますように。
本間先生、ありがとうございました。
いくこさん,『悪意のない誰かを傷つけること』,口に出してくれてありがとうございます。私たちの振る舞いが周囲にどんな影響を与えているのか,振り返ってみるとてもいい言葉だと思いました。
ある方のブログにあったのですが,『無自覚の悪意』という言葉があるそうです。その昔,阿難というお弟子さんがお釈迦様に「悪いと知りながら造る罪」と「悪いと知らずに造る罪」と,どちらが恐ろしいかと尋ねたそうです。
答えは,後者の方。無自覚とは,気づいていない,感覚がない,意識がないこと。つまり,無自覚によって,他人が傷ついても『無自覚の悪意』を持った人は悪いと思っていないし,むしろ善意と考えている可能性もあります。
無自覚とは当たり前に行ったり考えたりすることなので,そこには罪の意識も良心の呵責もありません。実に恐ろしい行動です。(自覚のある善意は,悪いことをしている自覚のもとなので,許容できるものではないけど,少なからず意識があって行う悪ということ。)
ですので,人としての大切にしたいこと,尊厳のあることなのだと,そのことを気づかせてくれる,いくこさんや鈴虫さんの体験や本音はとっても大切なことなんだと思います。
ほんと,『小さな言葉もさざ波となって世の中を変えて行くことができますように』!
そして,先生の記事を読み,踊りに限らず,いいと思って様々な行動を取ってしまっているかもしれないので,誰かに指摘してもらうこともありがたいけど,常に自分を律して意識していくことが大切なんだなと勉強になりました。
ハチドリさん
私が「母に対する仕打ち」と感じるほどの悲しみを味わったのは『無自覚の悪意』のせいだったとわかりました。
そういうことなんですね、なんの悪気もなく誰かを傷つけていることが私にもあるのでしょう。
深く考え言葉を発するように心がけようと思います。
勉強になりました、ハチドリさんありがとうございました。
鈴虫さん、おはようございます。
私も同様です。言葉も行動も、もう少し考えていけたらと思っています。いつもありがとう💞
鈴虫さん ハチドリさん
「無自覚の悪意」仕事に直結することとして厳しく自分を律する言葉をお二人から頂きました、有難いことです。
暖かく人を赦しながら、私も考え続けたいと思います。
ありがとうございました。