想いが拓く新たな世界(Hさんとの再会)
先日、鈴虫さんのHさんとの10年ぶりの再会に関する投稿を拝読いたしました。Hさんは私も存じ上げている方なので、食い入るようにして読みました。そして、とても安堵し、晩年の生活の安寧をこの地からお祈りいたしました。
記載されていましたように「滞在型支援員」制度は、東日本大震災で南三陸町社協が行った被災者支援システムで、他の被災市町村では見られない極めて類い希な被災者支援システムです。平均年齢72歳、最高齢は80歳を超えている、ややもすると当人が見守りの対象となるようなご高齢の町民に被災者支援をお願いしています。
任務に就いて頂いたときから既に12年が経過しています。平均年齢に当てはめれば、当時の滞在型生活支援員さんは既に80歳を越えています。年齢認知症有病率からすれば、40%前後の方が認知症を発症している年齢です。Hさんは当時80歳、それから既に10年です。認知症と聞いても全く驚く状況ではありません。それよりも、地元の安心安全が担保された「別宅」(介護施設)でお元気で暮らしていることがとても嬉しいです。
Hさんが鈴虫さんと一緒に苦楽をともにした当時を懐かしく振り返り、震災という未曾有の困難な時に、自分のできることを尽くして震災と向き合ったことを誇らしく思い起こしていることには、喜びを越えて、人の持つ力や出会いの持つ力に奇跡さえ感じます。
この様な、今だから見える世界に導くきっかけを創った鈴虫さんや関係する人々の見識に改めて敬意を表し感謝申し上げます。そして、鈴虫さんは、当時の学びを更にバージョンを上げて新たな活動に挑んでいます。生活支援員の経験を南三陸町の復興発展に生かしている姿は、当時、寝袋に包まれながら「住民を社会資源にする」という夢見た姿そのものです。想いや夢は実現する、そんな確信さえ覚えます。
そして、人は、人との関わりにおいて輝きを増すこという、社会学で学んだ社会的相互作用の持つ力を改めて確認することができました。
鈴木さんが推奨している「おせっかい」とは、この様な今だから見える世界へ誘う(いざなう)素晴らしい文化なのだと思います。
以前、ご照会したテレビで放送されたニュース記事を再度掲載します。
この支援員制度を提案し住民を導かれてきた本間先生が、どれほどの歓びをもって鈴虫さんのコメントを読まれたか、と想像するだけで胸がいっぱいになります。また、筆舌に尽くしがたい苦しみ悲しみを負った方達を訪問するというだけでも大変なことなのに、一人ひとりと真剣に向き合い、心にかけ、Hさんのように助けられる側から自分が役立つ側へと変わる導きをなさった鈴虫さんの愛と献身を心から尊敬いたします。
南三陸のいろいろな地域のありようが先進事例として新聞やニュースで取り上げられる機会が多いのは、本間先生の想いを理解し行動に移してくださった住民の方達があってこそですね。
震災直後の住民のみなさんが築いてこられた一日一日を思い、どのような中にあっても少しでも希望が繋がる方へと歩を進めるようでありたいと、私もあらためて思いました。
鈴虫さん、Hさんとの再会を教えてくださって、本当にありがとうございました。
本間先生とスマイルさんから、身に余るほどのお褒めの言葉をいただきました。
これは、すべての南三陸町の被災者生活支援員にいただいた賛辞としてありがたく受け取らせていただきます。
でも私は、毎日目の前の課題を何とかしたいと思いながら私自身の日常を過ごしてきただけの様に振り返っています。町の復興発展などという大きなことは、私の頭には無かったかもしれません。
ただ、震災以前には家族のことだけを想っていたものが、支援員となってからは家族と同じように町のみなさんのことを想うようになり、少しずつ見える世界が広がっていきました。
とても貴重な人生経験を積ませていただいて感謝しかありません。
本間先生の今回の記事とスマイルさんのコメントで自己肯定感がグンとあがりました!
ありがとうございました。