原発被災地での若者の活動(「シーサイドシネマin請戸漁港」)
社会貢献等という大それたことではありませんが、この週末はボランティア活動で過ごしました。東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故という二重の惨禍を乗り越えようとしている、福島県浪江町で行われている野外映画「シーサイドシネマin請戸漁港vol.2」です。
今回上映された映画『いきるLIVING』には、元にした日本の映画があります。日本映画『生きる』は、1952年に公開されました。監督は黒澤明、主演は志村喬。東宝創立20周年記念映画として制作された143分のモノクロです。無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を求め、市民公園の整備に注ぐ姿が描かれているものです。
そして『いきるLIVING』は、黒澤明監督の名作映画「生きる」を、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本によりイギリスでリメイクしたヒューマンドラマです。ストーリーは、日本映画『生きる』を舞台をイギリスにしているだけでほぼ同じです。違ったのは、主人公の葬儀の帰り道、列車の中で、彼と関わった同僚や部下は、「彼を見習おう」と誓いを立てる場面でした。現実の世界でも、この様なことがあったら、孤軍奮闘した当の本人も嬉しいだろうし、地域社会もより良い方向に進むのだろうと、少々胸が熱くなるものがありました。
この様な、映画をとおして帰還した浪江住民に奮起を促し、現状に立ち向かう、全ての人々への応援しようとしている地元の若者達の存在は「希望」そのものだと思いました。
ただ、こうした活動が、ほぼほぼ外からの移住者等で支えられている点が引っかかります。私もそれに荷担している「よそ者」なのです。その辺が、関わっている私自身にも何らかの整理を必要としている現実です。
平成23年3月11日に浪江町に住民票があった方が21,542人です。それが、令和5年8月31日現在の都道府県別の住状況調査によりますと、町外の48道府県に19,368人(福島県内13,447人、福島県外5,921人)が暮らしています。令和2年の国勢調査では、浪江町に住んでいる方はわずか1,923人です。その内の半数は、原発事故関係で外から働きに来ている方々と思われます。これからすると、元々の浪江町民は,1,000人足らずと推定されています。
この様なデータもあります。令和5年8月末日現在の住民基本台帳登録人口は15,312人(6,679世帯)です。若干、調査時点が違いますが、実際に浪江町に住んでいる人数は1,923人(国勢調査 令和2年5月10月1日現在)です。住民登録している15,312人と実際に住んでいる人1,923人の差。これが、浪江町民の苦渋及びふるさとへの想いを現しているように思います。私は、ここを支えなければいけないのではないかと思っています。
その為にも、率先して帰還した人々が、両手を広げて「待っているよ」って言えるような、彼らが主役の草の根的な地域づくりを支える活動が必要だと思っています。
この様な現状なので、「地元」「よそ者」という考え方は現実的ではないことは、十分承知しています。それでも、私は、帰還した1,000人を主役にした町づくりにこだわり、まだ帰還していない約2万人のふるさと浪江町が、「帰ってきたら別の町になっていた」と言う状況になって、自分の居場所がなくなり、遠慮がちに暮らす浪江町になって欲しくないと思っているのです。
この様なことをつらつら思いながら野外映画「シーサイドシネマin請戸漁港vol.2」にボランティア参加してきました。今回も様々な学びのある大切な時間を過ごしてきました。みょうがの入ったお味噌汁を久しぶりで頂きました。とても懐かしくもあり穏やかな時間に包まれるような感じで朝食を頂きました。
国際的な原子力事故のレベルは7段階になっていて,福島の事故は,その最高レベルの7とされています。大変な事故であったことは間違いありません。しかし,除染を始め,様々な取り組みや対策が行われて,浪江町は平成28年3月末に一部帰還困難区域を除いて町に戻れるようになりました。
東日本大震災が起きた当時の人口から比べて6,000人以上の方々が住民票を他に移されていますが,2/3以上の15,312人の方は浪江町に住民登録をなさっておられます。
しかし,実際に居住している方は現在約2,000人で,先生が書かれていたように,ふるさとへの想いと実際には戻れない苦渋の様子を現わしているのだと思います。
だからこそ,先生が書かれていた『その為にも、率先して帰還した人々が、両手を広げて「待っているよ」って言えるような、彼らが主役の草の根的な地域づくりを支える活動が必要だと思っています。』には大賛成で,そのような活動をしていけたらと思います。
そのためにも,もっともっと戻ってきている住民の方たちとお会いしてお話を聴かせてもらったり,避難先から窓口においでになる住民の方の想いや求めていることを知ることが大切なんだよなと改めて感じました。
最近,町内で行われている「〇〇の会」や「△△教室」などのたぐいを一覧にし,社協の人等と内容や誰がやっているのか確認してみました。すると,結構住民主体の取り組みがいくつも行われていることがわかり,今日はその中の一つである運動教室にお邪魔させてもらいました。
今後,お手伝いが必要な時は,小さなことでも参加させてもらい,町内あちらこちらで住民主体の活動が根付いていってもらえたなと願います。今町に住んでいるみなさんが「イキイキと元気でいられる」ということは,町外に住んでいる人たちにも伝わっていき,ふるさとがちゃんと残っていると感じてもらえるのではないかと思うのです。
8月に行われた”津島deシネマ”のあと,一か月もしないうちに行われた”シーサイドシネマ”,これは,よそから来た若い人たちが本当によく頑張ってくれたと思います。他の市町村,県外からも,シネマに遊びにきてくれた若者がたくさんおり,浪江を知ってもらう良い機会になっていたかと思います。
今町に住んでいる人は高齢者が多いのですが,もちろん若者も住んでいて,「ぐちゃぐちゃ遊び」をしていたお子さんのおかあさんも浪江ですと語っていました。若い人同士の交流や,夢や期待,賑やかさ,多様性,そして可能性を持ってもらえるような取り組みも必要で,それは「地元」「よそ者」関係なく,一緒に取り組んでいこうという考えがよいのではと思います。
シネマの取り組みは地元の方の参加が少ないように思いますが,人手が足りないというのであれば,私は今後もボランティアでお手伝いをしていこうと思っているところです。
最後になりましたが,本間先生,土曜日は朝早くからシーサイド・シネマにお手伝いいただきましてありがとうございました。水のポリタンクもいろいろな場面で使わせていただきました。
そしてなにより,映画「生きるLIVING」が良かったなと思います。日本で最初に製作されたのは1952年,私が生まれる前の映画ですが,使われている曲になぜかとっても聞き覚えがありました。
「シーサイドシネマin請戸漁港vol.2」もう2回目の開催なのですね、この大きな行事を間隔をあけずに開催されている皆さんの思いを感じて胸が熱くなります。遠方から手伝いに参加される先生の姿が、運営されるみなさんにとって力強い応援となっているのではないでしょうか。
屋外の行事は空模様が心配で私なら胃が痛くなりそうですが、浪江は晴天の日が多いのかもしれないと震災前に何度か通った頃のことを思い出しています。あたりまえにある日常の宝や魅力は、外から来た人だからこそ見つけられたのかもしれません、回を重ねるごとにその有難さに皆さん気づいていくのではないでしょうか。
いくこさん、この日の浪江は前の晩から当日の午前中前半まで雨だったの。先生の写真を見ても雲が厚いでしょ?でも、昼近くには雨は上がり、風が吹いて濡れたところも乾き、夜は月も出ていました。
主催者の若者は「私はどうやら晴れ女のようです」と語っておりましたが、彼女たちの頑張りを海の神様も見守ってくれていたのではないかと思います。当日券がたくさん売れていました。
前回の津島の山の時は先生が持って来てくださった穴掘りグッズが助かりましたが、今回は救護用にと用意してもらった水タンクが、子供たちの手洗いやその他でも活躍し、大変助かりました。先生、ありがとうございました。
ミョウガのお味噌汁飲んだのですね。それを聴いただけで私も無性に飲みたくなり、普段、夜はみそ汁を作らないのに、今夜はミョウガ汁にしました。
ハチドリさん、会場が前回とは違っているのですね?山だったよね漁船?と不思議に思っていました。それはまたチャレンジですね、私ならやっぱり胃が痛くなりそうです。運営スタッフのみなさんの思いを感じます。天が味方してくれたのでしょう。
私も夕べ茗荷たっぷりの味噌汁を作りました、とっても美味しかったです。