1年前は「惨敗だった!」

不定期で書き留めているファイルを開いたら、歩きお遍路実施6ヶ月前の9月21日に、丸々8時間30㎞を歩き続ける歩き遍路の最終関門に向けた挑戦の様子が書いてありました。そこには、「15㎞歩いたところでガクンと歩くスピードが低下し、20㎞付近からは足が止まる回数が増え、歩く時間より道ばたに身体をあずける時間の方が長い」とあり「惨敗だった」とも書いていました。そして、翌日、翌々日は、歩ける状態ではなく当分お休みが続いていました。歩きお遍路経験者のブログ等を読むと、「30㎞を三日続けられたら、歩きお遍路の可能性は出てくる」とあったので挑戦してみたのですが、結果は惨憺たるもので「四国は遠い」と弱音を吐いています。

この様な状態から6ヶ月で四国八十八ヶ寺歩きお遍路に行ったのですから、全く勝算のない「出たとこ勝負」だったようです。1年前の今日は、この様な状態だったというのが信じられません。

これまでのことを振り返ると、「あの時があったから今がある」というのが多々あります。この様な心身共に酷使することだけではなく、今に続く出会いなどでもこの様なことがあります。勇気を奮って飛び込んだ世界、確率的には絶対にあり得ないような出会い、これら全てのことは、結果論かもしれませんが、ある人は導きと言い表し、ある人は奇跡的な出来事だといいます。

どちらも当たっているように思うが、私の場合はどうなんだろう。目の前に現れたから飛び込んだ。自分が理想と思っていたことに出会った。求めに応じるままに等々、どちらかと言えば消極的で成り行き任せのような気もします。

思い浮かべると、全てのことに共通して、不思議と様々なことがつながり、「あの時があったから今がある」と思えるようなことに辿り着きます。そして、全てがつながったとき、新たな世界がみえてきます。50年前に北上町から東北学院大学に通ったことで、時を経て東北大学から学位を頂き、20代に通った土樋キャンパスで教壇に立つことができた。想像もできなかった世界をみることができました。四国八十八ヶ寺歩きお遍路を終えた今、そのことでみえてくる世界は、どのようなものなのなのだろうか。想像できないけど、何か楽しみです。

南三陸町社協から頂きました

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

1年前は「惨敗だった!」” に対して1件のコメントがあります。

  1. スマイル より:

    「今やらなかったら悔いが残る」と思うことを行動に移したこと、それが何より大切なことだったと思いながら読ませていただきました。

    半年前の惨敗、そして実際に歩きお遍路した中で感じたさまざまな困難、そういうものすべて含めて「歩きお遍路の旅」でしたね。

    もっとさかのぼれば「退職したらお遍路したいな」と思っていたこと、震災後の南三陸での日々、思いもかけなかった大学教授としての日々、そういうものも含めた壮大な「お遍路の旅」なのではないかしら。

    私も「この世を去る時に、本当はこう生きたかった、やりたかったのはあれだった」という悔いを残さないように生きたいと思っています。

    南三陸町社協さんが贈ってくださった絵、なんと愛情がこもった温かな絵なのでしょう!このような繋がりをこれからもずっと大切に育んで紡いでいく先の未来が楽しみですね。

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