人生二毛作(二期作)
識者は、高齢社会に関する言説の中で、高齢者の振る舞いに関して、現役世代を過ぎてからの生き方について「人生は二毛作」という言葉を使い、社会参加を促しています。
高齢者等に向けて語られる二毛作、あるいは同じような言葉、二期作の本来の意味は、次のように説明されています。二毛作は、年内の異なる時期に同じ場所で二の作物を連続的に栽培すること、そして二期作は、同じ場所で同じ作物を1年に2回栽培し、収穫することと、説明されており、いずれも限られた土地で収穫量を拡大していく生産方式です。
「二毛作」と「二期作」は、似ていますが、「毛」と「期」との意味から入るとその違いが分かりやすいです。
「二毛作」の「毛」は、「不毛」(作物が育たないこと)という熟語で用いられるように「育つこと、栽培すること」という意味を持っています。ここから「二つのものを栽培する」から転じて「同じ土地で二種類の作物を育てること」という意味になります。
一方、「二期作」の「期」は、これは期間のことです。ここから「二つの期間でそれぞれ作る」から転じて「同じ土地で同じ作物を二度育てること」を意味します。
例えば、沖縄では、お米は気温が高いと早く成長するので、2月~6月と7月~10月の二期間で育てられて「二期作」が行われています。また、高校野球で有名な甲子園球場は、一年中外野の芝は緑なのですが、緑色になる時期が夏と冬の二種類の芝を植えているという「二毛作」を利用することで可能になっています。
こうして言葉の持つ意味を見たとき、私の感覚では、「育てる・栽培する」を意味する「毛」よりも「異なる期間」を意味する「期」の方がしっくりくるように感じます。なので、人生は「二毛作」より人生は「二期作」を使いたいと思います。
それでもまたなんか足りない。自分の馬齢を重ねた人生を振り返り、残された人生の有り様を考えた時、「期」異なる期間と言うよりも「異なる機会」がよりしっくりくるように思います。また、「作」作物という対象に視点を置くよりも、その行為そのものに視点を置くと「咲」がしっくりくるように思います。その時々に置かれた場所(機会)で、自己実現に向けて精一杯を尽くす「渡辺和子,2017『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎」で語れている姿の「咲」が、より私の心を奮い立たせるには良いように思うのです。
この為、「人生二毛作」「人生二期作」から「人生弍機咲」と言い現してはどうでしょうか。
人生のそれぞれの機会に精一杯を尽くし自分で納得できる「花を咲かせる」。これは、現役世代と退職後という二つの時期だけの話してはありません。人生に於ける様々な機会と捉えることで、日々、その時々の振る舞いを大切にするという「而今」にも通じるように思うのです。
与えて頂いたそれぞれの機会に精一杯を愚直に尽くす。そんな人生を目指し「人生弍機咲」でありたいと思います。
今朝、日課になっている早朝のウオーキングに出かけようとしたとき、庭のラベンダーが咲いていたのを見つけました。6月に咲いてその後枯れていたのですが、最近再び花を咲かせていました。そんな様子を見ながら「人生弍機咲」を思い付いたのです。
我が家に庭に咲くラベンダーにこう問いたいです。「何を考えて咲こうとしているのか」と。この問いは、私自身変への問いでもあります。
私が小学校5年生の授業参観日の時のことです。
米の二期作について担任の安藤先生が説明をしていた時、『米の二期作はどこでやっていると思いますか?』と質問され、私は誰よりも早く手を挙げ、指名されました。そして、自信満々に「北陸地方!」と答えたのです。
担任の先生は困惑した顔で、「え?北陸のどこ?」と聞くので、またまた自信満々に「新潟!」と答えたのでした。
なぜ、寒い北陸地方の新潟と答えたのか、今も理由はわかりません。父の故郷が新潟だったからか。
二期作のは正解は高知県でした。同じ田んぼで年に2度、米づくりを行う二期作の発祥地とされていて、古くは江戸時代から行われてきたようです。
今も鮮明に覚えている、恥ずかしい思い出です。家に帰ってから母親とどんな話をしたかは思い出せませんが・・(汗)。
我が家のラベンダーも今年は二回目がたくさん咲いています。毎年、一回目が咲き終ると、その後、チョボチョボ数本咲いたりしますが、私も先日出勤前に先生のお宅のラベンダーと同じくたくさん咲いてくれているのを見つけ、びっくりやら嬉しいやらで、思わずパチリしてしまいました。
その時は、「今年の猛暑のおかげだわ」と現実主義的に思いましたが、私も鈴虫さんのコメントを読み、同じく「何を考えて咲こうとしているのか」の問いにラベンダーになったつもりで考えてみました。
小さな苗を大切に植えてくれてありがとう。私が咲く度に嬉々として喜んでくれてありがとう。あがっせのテーブルにも飾ってくれてありがとう。
だから、特に肥料とか水とか無くても、この環境(土地、気温、期待、見守ってくれる人)があれば、私は何度でも咲きたい!それが私の特性でもある。それで、あなた(ハチドリ)が喜んでくれるのなら例え機会が無くとも、おせっかいかもしれないけど、ひっそりでも何度でも咲きたい・・
それに対して私から
「いえいえラベンダーさん!あなたのことはここを毎朝キャッキャッ言いながら通って行く、JKさんたちも喜んでくれていると思いますよ。♪誰かが いつも君を見ている 今日もどこかで君のことを 想っている♪」
『人生ニ機咲』ほんといいですね。
でも阿部さんが書かれていたように、先生は『人生四季咲』が似合うのかもしれません!
『人生弐機咲』に大賛成ですが、本間さんならば弐ではなく参でも四でもいけそうです。ガーデニングの世界には、一年に一回咲く一季咲き、二回咲く二季咲きという言葉があります。中には四回咲く四季咲き(バラなど)という強者もいます。本間さんには『人生四季咲』の称号が似合う。
『人生弐機咲』いいですね。
6月に一度咲いて、その後の酷暑にも耐え再び花を咲かせた庭のラベンダーに「何を考えて咲こうとしているのか」問うてみたいとおっしゃいました。
そこで私がラベンダーになったつもりで考えてみました。
「機が熟したから」とお返事しましょうか。
一度咲いて終わりじゃない、終わりにしない。直ぐにまたコツコツと栄養を蓄え、機が熟せば惜しげなく花を咲かせる。私はそんな健気な生き方に憧れます。
『人生弐機咲』とてもいいです!
鈴虫さん、ラベンダーが2ヶ月もしないうちにまたしっかり咲いたのは、「この猛暑のせい?」と思っていましたが、私も鈴虫さんのコメントを読み、自分ちのラベンダーに問いかけてみましたよ。
鈴虫さんも『人生ニ機咲🌸』、素敵です。
ハチドリさん
お宅のラベンダーもまた咲いているのですね、素晴らしい!
うちのは残念ながら咲いていません、、。でも、それを嘆く必要は無いのですよね。
それぞれに精一杯生きているのですもの✨
鈴虫さん、ラベンダーは咲きましたが、実は他の花で、よそのお宅や道端ではとっくに咲いているのに家のは咲かないのが二種類あるんですよ。どちらも夏の黄色の花です。
でも、そのうちにきっと・・と思っています。嘆く必要は無いと思います。
鈴虫さんが書いてくれたようにみんな精一杯生きていますよね✨