今年も泣いたり考え込んだりしでいます

「八月ジャーナリズム」という言葉があります。これに関しては8月14日の小さな「おせっかい新聞」でも触れました。八月ジャーナリズムは、その「集中ぶり」もしくは他の時期の「寡黙ぶり」を揶揄(やゆ)するニュアンスもこの言葉にはあるようです。

毎年、今では恒例となっている8月の最終土日に放送される国民的番組「24時間テレビ愛は地球を救う」を断片的に観ました。土曜日は福島にいたのでほとんど観ませんでしたが日曜日の夕方から居眠りしながら観ました。

「24時間テレビ愛は地球を救う」は、1978年(昭和53年)、日本テレビ開局25周年を記念し、テレビの持つメディアとしての特性を最大限に活用し、高齢者や障がい者、さらには途上国の福祉の実情を視聴者に知らせるとともに、広く募金を集め、思いやりのあふれた世の中を作るために活用するとの企画意図で始まっています。

また、この活動を観た視聴者は、様々な形で募金を行う形でも参加しています。この募金の活用について、非営利の任意団体「24時間テレビ」チャリティー委員会は、全国の善意ある視聴者の方々からお預かりした寄付金は経費を差し引くことなく、福祉・環境・災害復興の三本柱を援助の対象に掲げ、「ともに同じ地球上に生きる人間として、さまざまな理由で苦しんでいる人々をこれからも支援していきます。またテレビメディアとしての機能を遺憾なく発揮し、私たちに何ができるかを訴え続けていきます」と、語っています。

第一回目の1978年(昭和53年)「24時間テレビ」で集まった募金額は11億9千11万8399円でした。その時のテーマは「寝たきり高齢者にお風呂を!障害者にリフト付きバスと車椅子を!」と言うものでした。この頃は、第一次オイルショック(1973年10月)を契機に戦後初のマイナス成長を記録し「高度経済成長の終焉」との文字が新聞に載るようになりました。そして、我が国では、給付と負担の公平という名で「社会保障制度の見直し」が始まったときです。この様な背景から、「寝たきり高齢者にお風呂を!障害者にリフト付きバスと車椅子を!」と、極めて当たり前に行われなければいけないことが民間の寄付に委ねられたのです。

今年は2億2千223万8290円でした。テーマは「明日のために、今日つながろう」です。コロナ禍で分断された人々の暮らしの中の「つながり」を取り戻そうとする意図があるように私は解釈しています。

そのようなことを思いながら、少ない視聴の中で印象深く観たのは芦田愛菜さんと6歳の子どもを取り上げたものです。私は、明るくけなげな子どもの姿やふと漏らす彼女の言葉に、この明るさに込められている彼女の現実を見ると同時に、この子の明るさが、年齢を重ねて行く過程で、教育、仕事、結婚等々の社会的諸事情によって消えていかないように願っていました。そして私たちはこの子に、同じような状況下にある未来ある子ども達に何が出来るのだろうかと考えてしまいました。

24時間テレビ46 芦田愛菜×6歳のインフルエンサー理央奈ちゃん もっと広げたい人々との「つながり」(8月27日) | 日テレ無料 (ntv.co.jp)

そして思い出したのが、数年前に放送された『はなちゃんのみそ汁』の場面でした。ここでは、大人の関わりで、しっかり成長している「はなちゃん」の姿でした。この様に成長して欲しい、そう願っています。

芦田愛菜が演じた「はなちゃんのみそ汁」 20歳になったはなちゃんは今・・・ | TVer

東日本大震災の時、世界のメディアは、非常事態の下、日本の人々が結束して助け合う姿勢を称賛し、地域社会の人々の結びつきの強さに世界の人々は心を打たれました。ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)という言葉があります。ソーシャル・キャピタルとは「社会における人々の結束により得られるもの」のことです。私は「つながりの社会資源」と訳しています。ソーシャル・キャピタルが高い国では、人々が信頼し合い、思いやりをかけあい、人々の結束力があり、地域の人々が協力して助け合う活動が活発に行われていると言えます。日本は、東日本大震災の時の人々の助け合いの姿勢が示すように、ソーシャル・キャピタルが高い国だと評価されていました。

一方、イギリスのチャリティー機関「チャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)」が世界の国々を対象に、人々のGiving(他者に与えること、寛容度、人助け度)の状況を調査して発表している”World Giving Index”(世界人助け指数)と言うのがあります。2009年から毎年行われているこの調査では、「この1ヶ月の間に、見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」、「この1ヶ月の間に寄付をしたか」、「この1ヶ月の間にボランティアをしたか」という三つの観点から各国の人々にインタビューを行い、各国の寛容度を採点しています。

CAFは、2009年から2018年まで10年間に渡り、125カ国以上の国々を対象に、130万人以上の人々にインタビューを行いました。そして、このほど、この10年間の調査データを集計して出した”World Giving Index 10th edition”を発表、10年間の総合ランキングを紹介しています。

その結果、「人助けでは世界最下位の日本」という結果が出ています。日本の結果は惨憺たるものだ。総合順位は126カ国中107位と先進国の中では最下位です。ちなみに、1位はアメリカで、2位ミヤンマー、3位ニュージーランド、4位オーストラリア、5位アイルランド、6位カナダ、7位イギリス、8位オランダ、9位スリランカ、10位インドネシアと続いています。反対に、中国は、三つの観点すべてでボトム10入りしており、総合順位は世界最下位です。

調査した3つの観点の中でも、「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」という観点では、日本は125位と世界最下位です。この観点で下位10の国々の顔ぶれを見ると、ほとんどが、現在またはかつての共産主義国です。そんな国々よりも日本はランキングが低く、世界最下位なのです。

日本で行っている「国民生活白書」の結果では、他者が困っているときに支援するかという調査項目では、70%の人が「支援する」と回答しています。残り30%の人は「普段からあまり付き合いがないから助けようとは思わない」と支援しない理由に答えています。この様に、私たちは普段からの付き合いをとても重視しているという傾向があります。日々の関わりの大切さやそのような機会を設ける「場」(地域の縁側)の大切さは、この様な国際的な調査からも浮き彫りにされています。

今、宮城県富谷市成田地区で行われている『Nariaマルシェ』、福島県浪江町で行われている地域食堂『あがっせ』、宮城県南三陸町の『ふらっと南さんりく』そしてこれから行おうとしている南三陸町歌津での取り組みは、まさにこうしたつながりの場を設ける「地域の縁側」私の言葉でいえば「社会的居間」なのだと思います。

皆さん、微力ではあれいますが応援しています。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

今年も泣いたり考え込んだりしでいます” に対して2件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    24時間テレビ,第一回目の放送は,1978年(昭和53年)だったのですか?
    私が看護学校2年生の時にこの番組は始まっていた。
    びっくり!びっくり!
    さらに,集まった募金額は11億9千11万8399円で,その時のテーマは「寝たきり高齢者にお風呂を!障害者にリフト付きバスと車椅子を!」と言うものだったとのこと。
    介護保険制度が始まったのが2000年ですから,その22年前だと考えると,とても尊い番組だったのでしょうね。

    私はいつの頃からこの番組を見ていたのか覚えていません。
    ただ,以前勤務していた町の社協に,虹色で24時間テレビと書かれていた車が寄贈された時,こんな小さな町にもやってきた!と,とても嬉しかったことを覚えています。

    今年はずっと畑仕事をしていて,先生が印象深く観たという芦田愛菜さんと6歳の理央奈ちゃんのところも見ないでしまいました。

    ママが大好きな理央奈ちゃんのことはYouTubeでよく見て知っていました。鈴虫さんが書いていましたが,『将来の夢、「東京でひとり暮らしをして、仕事もして、大金持ちの都会の女になるんや」』なんて語っていたのですね。「もう,おばちゃんもおじちゃんもめっちゃ応援するで~!」と,大きな声で伝えたいです!

    衝撃的なのは,イギリスのチャリティー機関「チャリティーズ・エイド・ファンデーション」の調査で,「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」という観点では、日本は125位と世界最下位とのこと。人助けでは世界最下位の日本。
    『おせっかい』の文化を誇ってきたのに・・・(涙)

    普段からのおつきあいって,特に(人見知りが多い?)日本人は大切にしていることなんですよね。これからもそのようなつながりや関わりを大切にしていきたいと思うと共に,お付き合いがなくても,初めて会った人でも,助けを必要としていたら何かできることはしてあげる勇気を持つ人間でいたいな~・・・と思っています。

    OOCは,そんな背中をポンと押してくれる存在ですよね。

  2. 鈴虫 より:

    24時間テレビを私もところどころ見ました。
    本間先生がここに取り上げてくださった、「6歳の女の子」と「はなちゃん」のどちらも観て、そのどちらにも胸が熱くなり涙も溢れました。

    とても愛嬌のある可愛らしい女の子が、元気良くユーモアたっぷりにお話する様子がありました。
    でも、公園でお母さんと静かにお話する場面では「いつ治るのかと思う」「わたしはつらい、でも、お母さんが絶対に足を治すって言うから頑張ってる」と時折お母さんの顔を覗き込み、泣きながら話していました。
    親に心配をかけないように、親の期待に応えるようにと精一杯の明るさを振りまいていることに胸が締めつけられました。
    そこには6歳の小さな女の子の姿を借りた大人の女性がいるようでした。

    私達はその外見から、大人か子供か、天真爛漫か翳りがあるとか決めつけがちですが、表面的なことばかりでなく、また別な一面もみようとする努力をしなくてはならないと考えさせられました。

    また、その女の子の元を訪ねた芦田愛菜ちゃんの自然な関わりにとても心を打たれました。障害への偏見や忖度を微塵も感じない接しかたで、頭が下がりました。

    女の子が最後に語っていた将来の夢、「東京でひとり暮らしをして、仕事もして、大金持ちの都会の女になるんや」これを聞いて、ようやく彼女が6歳の女の子に戻った気がしました。

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