映画『658㎞、陽子の旅』

パソコンで紹介されていた映画に興味を感じて映画を観に行きました。引きこもり、社会から孤立していた主人公42歳の陽子が、父の死の葬儀に出るために、引きこもり生活から嫌々ながら出て、ヒッチハイクという形で他人と関わり、改めて自分と向き合う様子が描かれています。

今、私は8050の現実と向き合っています。そのようなこともあって、当事者の気持ちに寄り添う関わりの参考になるのではないかと思って観に行きました。

主人公の陽子は、就職氷河期世代である42歳の独身女性。高校卒業後、夢への挑戦を反対され父と喧嘩するようにして故郷の青森県弘前市を出て東京で生活をしています。しかし、都会の現実は厳しく、夢は破れ人生を諦めてWebを介した苦情処理や相談に対応するオペレーター等のフリーターとして、自宅に引きこもったまま買い物も通販、食事はお湯で戻すインスタントで済まし、カーテンを閉め切った家の中で、なんとなく日々を過ごしています。

そんなある日、20年以上疎遠になっていた父の訃報を受けた彼女は、従兄の家族とともに、東京から故郷の青森県弘前市まで車で向かうことになりました。しかし、家族は途中のサービスエリアで子どもが起こしたトラブルに気を取られ、陽子を置き去りにして行ってしまいます。所持金もなくヒッチハイクで故郷を目指すことになった陽子は、高速道路のサービスエリア等で乗せてもらった様々な人たちとの関わりによって、これまで他者そして自分に閉ざしていた心に変化が生じて行きます。

途中で逢う人々は、陽子の申し出を拒否し、遠巻きにし、あるいは弱みを自分の欲望に使ったりと、疎縁化する社会の縮図を象徴するかのようです。そのような中でも、野菜を産直販売に卸す老夫婦は、「知らない人に目的地までの移動をゆだねるのは不安だし大変だろう」と、知人に状況を説明して、行けるところまで送ってもらう算段をしています。

そんな関わりを通して、陽子は乗せてもらった親子連れの車の中で、こういうのです。「一人では、こんなに遠くまで来ることは出来なかった。多くの人に支えられてここまで来ることが出来た。有り難うございますと言わせて下さい」と、深々と頭を下ています。初めて人の優しさに触れて「一人ではない」ことを体感するのでした。

ヒッチハイクで様々な人との出会いの中で、人の温かさ優しさに触れ、これまでのすさんだ(心が荒れて行動が乱れたり、ゆとりがなくなって心が狭くなったり、とげとげしくなって繊細さ、冷静さがなくなったりしている状態)心が徐々に癒やされて行きます。

圧巻の優しさは、最後に待ち受けていました。12時出棺・火葬という葬送の日程に大幅に遅れて実家に着いた陽子を待っていたのは、陽子に一目、父親の最後の姿を見せてあげたいと、予定を変更して陽子の到着を待っていた親族の姿でした。それを聞いた陽子は、小雪が舞い散る庭先で膝をつき地べたに伏せるのでした。私は、彼女なりの精一杯の感謝を現す振る舞いであったように思えたし、20年別れていた父へ和解と感謝の気持ちを伝えられる安堵感の様にも思えました。

人は様々な理由で傷つき、様々な関わりの中で心を痛めています。そんな状況にある人々は、人々の優しさでしか癒やすことは出来ないのだということを改めて知らされました。現在の社会は、この人の心を癒やす最も大切な人と人との関わりが希薄になっています。私たちは今一度、このことを知りそして自分の振る舞いを振り返り、「一人では生きられない」「一人ではない」ことを心に刻むことが必要だと思います。久しぶりに泣いた映画でした。

私も人を傷つけ泣かせています。我を張り、あるいは寛容のなさから、とげが刺さったままの状態を強いてしまったり等々、小心者の典型のような私です。この至らなさは、仏門にも入らないと越えられないのでしょうか、何とも悩ましい私です。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

映画『658㎞、陽子の旅』” に対して9件のコメントがあります。

  1. スマイル より:

    映画のパンフレット「何もかも間に合わなくて・・・」という言葉に胸が締め付けられました。それはどれほどの絶望でしょうか。それでも行動を起こした先に待っていたもの、それはお父さんからの最後の贈り物だったのではないか、命をかけて、娘に伝えたかったことがそこにあったのではないか、と思います。

    生きている間に言葉を交わすことができたら良かった、とも思うけれど、でもこの形での和解ほど心に深く深く刻まれたかはわからない。大きな広い目で見たら、どちらが正しいとか良かったとか区別はそれほどないのかもしれません。「行動を起こした」そのことが何より尊いと信じたいです。

    それでも、やっぱり今日伝えられることがあるなら、どんなに小さくても伝えよう、そんな気持ちになりました。この土日は大きなイベントを抱え、両親のところへはいけないと思っていたのですが、今日の午前ならちょっとだけでも顔を出せそう、行ってこようか・・・今回の記事を読んでそんな気持ちになりました。

    生きていること、言葉を交わせることは、本当にありがたいことなのだと心に染み入りました。大きなことは必要ない、小さなことをちゃんと伝えることこそ何より大切、「ありがとう」や「ごめんなさい」を言えるようでありたい。ああ、でもそれが難しいのですよね。その時はこの映画を思い出そうと思います。

    鈴虫さんがおっしゃるように「解説を読んだだけで、その光景がはっきりと目の前に広がり、目頭が熱くなる映画」だと思いました。ありがとうございます。

    1. 鈴虫 より:

      スマイルさん
      最近、親が命を全うする間際まで子供のことを考えているという事実を他にも見せて頂きました。

      親への感謝って、どんなにしても十分ということはないのですね。ありがとうを出し惜しみしないで生きたいと思いました。

  2. ハチドリ より:

    昨年、避難している町民がもっとも多い市で行った健診の時のこと、おくすり相談の場所にやって来た高齢のご夫婦は『息子が引きこもっているんだ』と、ふとお話をしてくださいました。相談をしたかったのか、聴いてもらいたいだけだったのか、これまで相談したことはあるのかなど詳しいことはわからず。立場的に私は関わりを持つことができなかったので、町の保健師さんを通じて、その地区を管轄している保健所の保健師さんに訪問をお願いすることができました。

    この親御さんが8050問題を抱えていたのかはどうかはわからないのですが、少なくとも親御さんのお話を聴かせてもらうことにつながったことは良かったのだと思います。しかし、このように親御さんから話をしてくださるケースは少ないのだろうと思います。

    8050問題。
    原因やきっかけはそれぞれ違うとは思いますが、その状態に至る過程において、他人との比較や評価、横並び的に物事を考えてしまっていたり、自分の子どもに病気や障がいがあったり引きこもっていることが恥ずかしい、他に知られたくないという感情が上にたってしまい、どこにも相談もできないと言うような状況になっているようなご家族がいたとしたら・・。そして、○○出来ない自分はダメなんだとますます追い詰められていっているとしたら・・。

    余計なおせっかいと言われようが、「多様な生き方とか、あなたらしく自由に生きていいんですよ。」ということをせめて伝えたいですよね。それをなんとか認めて肯定してもらえたら、どんなにか心が楽になるだろうかと思うんです。そこから具体的な支援につながることもあるでしょう。

    本間先生は、8050の現実と向かい合ってるとのこと。とても気になるけど、どこからどうやって関わっていけばいいのだろうといつも考えていらっしゃるのかもしれません。

    映画を見て『人々は様々な理由で傷つき、様々な関わりの中で心を痛めています。 そんな状況にある人々は、人々の優しさでしか癒やすことは出来ないのだということを改めて知らされました』とありました。
    そして『「一人では生きられない」「一人ではない」ことを心に刻むことが必要だと思います』と。
    本当にそうなのだと思いました。
    8050のご家族にも、「一人ではありませんよ」とそれとなく伝えることができたらと思います。

    追伸
    先生、トゲが刺さったままの状態の方をそのままにしておいてはなりませぬ。先生の優しさで早く抜いてさしあげ、その傷の手当てをしてあげてください。

    1. ハチドリ より:

      昨日、映画を見て来ました。
      仙台も福島もあと少しで上映が終了のようです。

      先生はしっかりネタバレしちゃってますが、陽子の変化はぜひ劇場で直接見てもらえたらなと思いました。

      最期、きっとお父さんと手を繋げたんだろうと思います。私はそれがとにかく嬉しかったです。「陽子さん、よく頑張りました!」と彼女を抱き締めてあげたいと思いました。

  3. 鈴虫 より:

    主人公の陽子が、人との関わりを避けて引きこもる様子を想像してみました。そして、陽子の代わりに私をその場に置いてみたらずっしりと重く悲しい気持ちになりました。

    父親の訃報が彼女を人の中に引っ張り出して、否応なしに関わりを持ちながら658Kmの道中が、乾いた心を少しずつ潤してくれたのですね。人々の優しさにふれ「一人では生きられない」「一人ではない」ことに気づかされ、感謝の気持ちで実家にたどり着いたことが親として嬉しいです。

    周りがどれだけ心配しても、本当に大切なことは言葉で伝えきれるものでは無いから。先ずは、カーテンを開けて朝日を浴びることの大切さをもっと伝えていかなくてはならないと思いました。

    人それぞれにどんな状況にいても、お天道さまが温かく包んでくれていることを感じられるといいなと考えて、本当に偶然ですが、明日のふらっと南三陸のメッセージカードには「朝の光をいっぱい浴びて」と書きました。

    本間先生の解説を読んだだけで、その光景がはっきりと目の前に広がり、目頭が熱くなる映画でした。
    ありがとうございました。

    1. ハチドリ より:

      鈴虫さん、『朝の光をいっぱい浴びて』のメッセージカード、ほんとにいいなあと思います。思わず深呼吸しちゃいました、

      今日からの新しい挑戦のスタートも頑張ってくださいね。
      ワクワクo(^o^)o

      1. 鈴虫 より:

        ハチドリさん
        引きこもりの原因やきっかけは、どれか一つではなく様々な事が重なって複雑なものなのかもしれません。そして、誰も初めは「引きこもるぞ」っていう覚悟を持って始まるのではないのですよね。

        ほんの少し休むつもりがズルズルと長引いてしまうのではないでしょうか。そうだとすれば、早いうちから周りからの小さなちいさな働きかけが止まずにあれば、ズルズルがもう少し短く済むこともあるのかもしれません。また、心地良いと感じられるコミュニティに巡り合うまで、何度でもやり直しがきくことを教えてあげたいですね。

        この後の陽子も、勇気を持って少しずつ地域に入っていけることを祈ります。その地域で陽子自身が周りに優しさを与えられる人になっていくことを見守っていきたいですね。

        ハチドリさん。私の楽しみな挑戦に励ましコメント、ありがとうございました😊

        1. ハチドリ より:

          おはようございます。
          鈴虫さんが書いてくれたこと、全くもってそう思います。

          昨日、いわきで見て来ました。
          本人の勇気とそれを引き出す他の人たちの関わり、そしてそこからまた本人の持つエンパワーメントが発揮されていく。

          そんなふうになっていったらいいなと思いますが、そこに引きこもっている人がいる・・こと事態がわからないことも多いのかもしれません。日頃の多様なコミュニティのつながりの大切さを感じます。

          1. 鈴虫 より:

            ハチドリさん
            「そこに引きこもっている人がいる」先ずは私達がそれに気づくこと、「じつはね」って家族や本人が言い出せる柔らかな関係性を築いておくことが求められているんですね。

            早速、この映画を観たのですね。
            流石ハチドリさん!行動に移すのが早い!

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