四国八十八ヶ寺歩きお遍路巡礼紀行(4月25日44日目)
jtp
行程等基本データ
□月日:令和5年4月25日(44日目)
□天気:午前☔/午後☔
□歩いた時間 9時間07分/日
(6時21分宿発~15時28分着)
□巡拝寺院 2寺巡拝
(66番札所〜67番札所)
□歩いた距離:21.0㎞
□平均速度2.7㎞/h
□高低差:908m
2m↔910m
□行程の特徴 宿を出てから、助走無しの一貫した急勾配の坂道でした。路地の様な急勾配の道から、遍路道に入ると、勾配は一段とキツくなりました。休み場のない一貫した急勾配の上り坂が果てしなく続く感じでした。
勾配が急で、靴の底全部を使って踏ん張ることは出来なくて、指のつけ根から指だけで身体を押し上げる感じでした。この為、接地面が狭いので、足が滑ったりふらついたらしながら登りました。
66番札所雲辺寺は、修行の場所でもあったようですが、ロープウェイで参拝する方々が多いので、境内は、石等できれいに整えており、修行僧が作務で手間暇かけている印象はありませんでした。
下り坂は、これまた果てしなく続く坂道でした。遍路道は、沢状態の両側がVの字のようにせり上がり、道幅は狭く、雨が降れば即沢になるような遍路道でした。そこには、落ち葉が積もり、下の石が見えないので、足をひねらないように、探るようにして歩きました。雲辺寺を歩いているのでうちは、小雨が続き気温もとても低く、ポンチョを着て、雨だけではなく体温低下を防ぎました。
□本日の行程地形(時間軸×標高)
心身の状態・特記事項(感想)
□身体的状態
○ ◇ ○ ○ ○
正真正銘の遍路転がし二番目のキツさでした。登りの角度が鋭角だったので、足首がこれまでになく痛みが酷く、休んでもなかなか取れず、登り切れるか心配になりながら歩きました。
精神的状態
○ ◇ ○ ○ ○
今日は、焼山寺に続く大変な遍路転がし。覚悟はしていたのですが、大変でした。でも、距離的には短いので、何とか踏ん張れました。
□受けた「おせったい」
お菓子 67番札所大興寺で御朱印を頂き、身支度を整えて帰る時に、改めて納経所にいた僧侶に挨拶をしたところ、「歩きお遍路さんでしたか?」と言われたので「ハイそうです」と、答えました。
そしたら、チョット待ってくださいといわれ、本堂下にいる所まで来てくれて、「お供えの頂きものですが」と、手渡されました。お供えのおすそ分け(お福分け)を頂きました。さすがに納め札は渡せす、頭を下げて寺を降りました。
□特記事項(感想)
今日、これまで疎遠だった学友とLINEで繋がることが出来るようになりました。特に、何ていうことはないのですが、「繋がる」っていうのは良いですね!とても嬉しいです。
さて、今日の66番札所雲辺寺から香川県「涅槃の道場」に入りました。
これ迄の愛媛県「菩薩の道場」では、26霊場を巡拝しながら約359.2km歩きました。
振り返って見ると、高知県「修行の道場」を歩いているのとは、明らかに違うように感じます。「修行の道場」高知県では、ひたすら歩く歩くだけの毎日でした。歩き続けること、そのことに意味があるような期間でした。この期間は、毎日まいにち、歩くだけで精一杯の日々で、今日一日を歩き切り、宿に着けること、其のことが喜びでした。こんな、明日を考えられない、今日だけの毎日でした。
しかし、ここで感じたのは、「精一杯」が雑念を排除していることを感じました。そういう意味では、雑念を排除した「無の時間」を持てたように思います。更に、身体的にも精神的にも、非常に厳しい状況下にあり、一人では何もできないことを痛感し、様々な人々の支えやそれに感謝すること、そして、其のことは、たまたまなのではなく、様々な人々の、そして神仏の「ご加護」なのではないかと感じたのです。
もしかしたら、感謝すること、そして仏様の存在を感じること、このことが「修行」なのではないかと思ったのです。これが高知県「修行の道場」で思ったことです。
そして、昨日までの愛媛県「菩薩の道場」ではどうだったのか。愛媛県「菩提の道場」は、26霊場を参拝しながら359.2kmを歩きます。この区間は、煩悩を断ち切り悟りへと目覚めるとし、こな無上の境地に達する為の修行としています。
これからすると、私はまだまだ修行がたりないようです。悟りへと目覚める為の修行。全くその境地の入り口にも立てていません。ただ、「修行の道場」の期間後は、明らかに異なり、自分の存在意味を様々な視点で見直す感じは有りました。
60番札所横峰寺住職の法話の中で、「お遍路で着る「白衣」(びゃくえ)は、一般的には「死装束」と言われているが、私は「うぶぎ」だと思っている」と、言うのが有りました。確かにそうだと思いました。お遍路で生れかわる。現実的には、新たな自分に出会う、これ迄の自分を改めて見つめ直す機会を持った。こういうことだと思いました。
この視点からみれば、これ迄の価値観やこれ迄欲していた事の見直しに通じることの様に思います。だとすれば、ほんの少しだけ、「煩悩を断ち切る」に近づけたのかも知れません。
だとすれば、この愛媛県「菩提の道場」は、少しばかり学びがあったのかも知れません。
今日からは、香川県「涅槃の道場」です。毎日、精一杯歩き、何を感じるのか、終わってからゆっくり感じて見たいと思います。
所で、何ともガックリな連絡が有りました。東日本大震災からの12年でなにが変わったのかをテーマにする本に寄稿することになっているのですが、今日、「執筆は進んでいますか?」と、柔らかい催促が有りました。
締切は5月末と思っていたので「何をそんなに急かせるのかな~!」と思いながら要項を再確認したら、何と締め切りは、「連休明け」と朱書きされていました。やっちまった〜!です。
帰ったら取り組もうと思っていたのですが大間違いでした。そんなわけで、仙台に変える前に、少しばかり寄り道しょう等と考えていたのですが、即帰って執筆に入らなければならならことが今日判明しました。全くも〜!です。
□明日の行程の留意点 昨日の66番札所雲辺寺は二番目に大変な遍路転がしの疲れや足首の痛みを重ねないように、注意して歩こう。
印象に残る写真
先生『おたのみなす』、くぐってから座りましたか(笑)?
なすって、一つの無駄もなく実をつけるんですね。へ~、そうなんだ!
私も一度願いをこめて「おたのみなす🙏」と腰をかけてみたいです。
『勾配が急で、靴の底全部を使って踏ん張ることは出来なくて、指のつけ根から指だけで身体を押し上げる感じでした。』って、想像しただけでも「ヒャーΣ(゚∀゚)」!
これまでで一番の斜面だったのではありませんか?行程地形を見ただけでもすごいなぁと思います。でも、そこも踏破、やり遂げたのですよね。🙌🙌🙌
高知県の「修行の道場」、愛媛県の「菩提の道場」でいろいろ感じ、自分を見つめ直す時間となったとのこと。
さて、香川県は「涅槃の道場」なのですね。涅槃とは?と見てみたら、『煩悩の火を消して、智慧 の完成した悟りの境地。一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地』とありました😅。
私は「涅槃」と言って思い出すのは、横浜で食べた辛い辛いカレーです。辛さのランキングで一番辛いのが「涅槃」でした。あれは一体どんな意味だったのだろうかと一人考え込んでいるところです。
感想をしみじみと読ませて頂きました、ありがとうございます。
今朝の富谷は雨、西から回復との予報です、今日も一日護られて歩かれますように。
お遍路の旅で着る「白衣」は「うぶぎ(産着)」だというお話に感銘を受けました。
お遍路に旅立つ時はまさに「死装束」の覚悟だったと思いますが、何があるかわからないその日その日を、時に苦しみ時に心打たれ、なんとか歩き切ろうと工夫をこらしてゆく道のりは、日々「新しい今日を生きる」繰り返しだったと、これまでの記事を思い出しながら思いました。
私も日々の暮らしの中で「新しい今日を生きる」「新しい今日を生かしていただいている」という気持ちを忘れずにいたいです。
雲の上まで続いた遍路転がしも無事に終えられ、たいへんお疲れさまでした。
今朝も足は動きますか、歩けそうでしょうか。
幸い、今日の最後の71番札所弥谷寺までは平坦な道が続くようですので、歩きながら整えられますように。
先生の足跡も遍路道を未来へ繋げる一歩なのですね。そう考えると大切なたいせつな一歩です。