東日本大震災から12年目を前にした後悔

もうすぐ東日本大震災から12年目を迎える。この時期になると、急に東日本大震災に関する報道が多くなります。その度に、過去の映像と現在の姿が対比され、その間を様々なコメントで埋められます。その様な状況を見るたびに残念に思うことがあります。

当時、南三陸町で被災者支援をしていた時に、「定点撮影」をお願いしたりしていました。東日本大震災の巨大津波で破壊し尽くされた町並みの復興過程を記録して起きたかったのです。こうしたことは、研究者としての視点からも大切だと考えたからです。

町の復興過程は、様々な考え方が詰まった意思の具体化で有り、被災地の現実を如実に示す悲痛な叫びでもあります。復興が、どの様に地域住民に寄り添い進んでいくのか、住民の力量を試される姿をみることにもなります。

私の関心は、産業関連の再建だけではなく、人々の暮らしの再建、人々の振る舞いから見えてくる力強さの再建等々、様々な人々の息づかいを観察することです。なので、公園に整えられた花壇の様子やその周りで遊ぶ親子の姿、お年寄りが「おたっしゃカー」にもたれながら買い物をする様子、そんな日常を支える町並みを記録することは、復興が何処に向かうかの道標になると思うのです。

3年ほど経ったあるとき、ご高齢の方がため息をつくような感じで言葉を吐き出して「町が復興したら違う町になった」って語るのを聴いたことがあります。この言葉は、これまでの町並みがきれいに整えられてこれまでとは違う!という意味の言葉には聞き取れませんでした。どう表現すれば良いのか難しいのですが、復興で再建された町並みと生活に若干のズレがあると言っているように受け止めたのです。

このようなこともあり、町がどの様に変わろうとしていたのかを定点撮影し、その変化に内包する地域社会の復興への思いを知る手がかりを持ちたかったのです。月命日の11日に町内数カ所の撮影をお願いして、数ヶ月は撮影してくれましたが、いつしか記録はされなくなっていました。それなら、自分が続けてやっておくべきだったと、今更ながらとても後悔しています。行政、地域住民の様々な選択の足跡を振り返られない。今更だけど、この様なことを書きながらため息をついています。

被災前の長清水集落(撮影日不明)
東日本大震災意年前の長清水集落(2010/10/18)
震災後(2015/12/05)
震災から5年経過(2016/10/01)
ながしず荘から見た長清水集落(2017/08/29)

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

東日本大震災から12年目を前にした後悔” に対して1件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    『今更ながらとても後悔しています。行政、地域住民の様々な選択の足跡を振り返られない。』とありました。その気持ち、とてもわかるような気がします。

    でも、発想を変えて、記録(写真)は必ずしも自分だけで行わなければならないということではなく、定点で撮影をしていた方は他にいらっしゃるのでは?

    『その変化に内包する地域社会の復興への思いを知る手がかりを持ちたかった』というその想いは、これからでも間に合うのではないでしょうか?誰が写真を撮っていたかはわかりませんが、昨夜の全国ニュースで、南三陸町の写真店を営んでいた方が『最初に津波の悲惨な写真を撮ってしまったときは、どうしてこんなのを撮ってしまったかと後悔と葛藤があったけど、後世に伝えていく必要があると気持ちが変わった』と話しておられました。

    そのような方と通じるところがおありではないかと!
    その方が撮った写真に本間先生が、行政、地域住民の様々な選択の足跡を振り返られるような物語をつけることで、うまく言えませんが、その方の想いもつながっていくのではと思うのです。

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