みんなの作品展
南三陸町では、住家の被害半壊以上は3,321戸(被災前の61.94%)にもなり、多くの町民は南三陸町内外での避難生活を強いられました。この為、南三陸町内外に多くの応急仮設住宅が整備されました。その数は、58ヶ所に2,195戸、入居人数は1,941世帯5,841人です。
震災発生から約1ヶ月後の4月29日に最初の応急仮設住宅(登米市横山一期)完成入居が始まり、8月末には整備が完了しています。2019(令和元)年12月14日に全ての被災者が退去されるまで、8年8ヶ月に渡る応急仮設住宅での生活が続きました。災害救助法では、応急仮設住宅の供与期間は、最長2年3ヶ月と定められていますので、これを遙かに超える供与期間でした。この間に、恒久住宅となる災害公営住宅が整備されていますが、これまでにない長い期間、仮設暮らしを強いられたことに違いありません。
体育館などで避難所から応急仮設住宅に移り、被災時の食べることにも不自由した頃から一段落し、少しばかり落ち着きを取り戻し始めていたときのことです。生活支援員さんは、応急仮設住宅を毎戸訪問している際に、時間を持て余して、手なぐさみで物づくりをしている方々がとても多いことに気づきました。せっせとつくっては人にあげたり自宅に所狭しと飾ったりしていたのです。
あるとき、こんな話を聞きました。応急仮設住宅に暮らす方々が、ホランティアに来て下さり、体育館などにごろ寝をしている状態を見かねて、手づくりの「枕」をあげていると言うのです。早速、現場を見に行きました。現場を見るなりとても驚きました。ボランティアさんへの感謝を込めながらつくったであろう、手づくり感万歳のカラフルな枕が並んでいました。それ以上に驚いたのは、とても多くの手づくりの品々が一杯あったのです。その多くは、だれに見せるでもなく、「暇つぶしっさ」と良いながらつくっていました。
私は、暇つぶしだけではとてももったいないと思いました。有り余る時間を使って物をつくる行為は、「暇つぶし」としてだけではなく、物を「作品」と捕らえ直し、それを多くの人に観てもらうことで、自己達成感や他者との会話(コミュニケーション)のツールになると思ったのです。
そんな話を支援さんとおこなう内に、今回ご紹介する事業になっていったのです。物づくりは、一般的には女性の独壇場のように思われますが、男性も行っており、出番の少ない男性の自己表現の機会としても貴重でした。男性は、流木を乾燥させ磨きを掛けて透明ラッカーで仕上げる等々、女性とはまた違った趣のある作品をつくっていました。
暇つぶしでできたものを「作品」にする。これは、とても大切な発想の転換です。物が作品に変わる為には、新たな「空間」を必要とします。その空間こそが「みんなの作品展」なのです。手芸的な作品、工芸的な作品に加え、その後には、川柳クラブの作品集等もつくられるようになりました。
南三陸町の生活支援員さん達は、ほんと凄いす。何度も言いますが、奇跡のおばちゃん達です。私の自慢の人たちです。
暇つぶしにこっそりと作っていた物に陽の目が当たるって、それは嬉しいことでしょう。
どなたでも物づくりをしている時って、誰かの為にと想いが込められているのではないかな。
私の知ってるおばあさんは手先が思うように動かせないにも関わらず針をピンセットで器用に持って、小さなマスコットを作り貯めては地域の子供達に贈っているんですって!
私もお相伴にあずかって頂くのですが、素晴らしい出来栄えなんです。
ひとり時間の楽しみが誰かに認められるって、とてもパワーになりますものね。私もだれかの得意なことに興味を持ってお話を伺うことを、私自身の楽しみとしていきたいと思います。