「丁寧に」「寄り添って」の空しさ

機会があって「特定復興再生拠点地区の避難指示解除に向けて」と題する、住民向けの行政説明会に出席しました。

特定復興再生拠点地区とは、2011年(平成23)3月の東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で、放射線量が高く、立入りが制限されている帰還困難区域のうち、先行的に居住や農業などの再開をめざす区域を指します。

2021(令和3)年時点で、福島県の双葉町、大熊町、浪江町、富岡町、飯館村、葛尾村の6町村で特定復興再生拠点区域の整備計画を認定済みで、2022年春から2023年春までの避難解除をめざしている。認定面積は約2750ヘクタールと帰還困難区域全体の8%にとどまり、帰還者目標数は6町村合計で約8000人と避難住民の約3割にすぎない。

解除認定の要件は、(1)除染によりほぼ5年以内に避難指示解除に支障のないレベル以下に放射線量が下がる、(2)帰還者の目標数が住民の意向を反映して的確である、(3)計画的で効率的な整備が可能である、(4)計画で想定した土地利用の実現可能性が十分見込まれる、(5)生活や経済活動に適した地形で、帰還困難区域外とのアクセスが確保できる、(6)計画に記載された事業が具体的でスケジュールが適切、などの基準を満たせば、内閣総理大臣が認定するとなっています。

整備計画を円滑に進めるため、認定を受けた自治体、福島県、復興庁で構成する特定復興再生拠点整備推進会議を設置。国費で除染や廃棄物の処理、家屋の解体などを行い、道路、上下水道、公園などのインフラや、農園、住宅団地、医療・福祉施設、体育館、公民館、図書館などの公共施設を整備するとしています。

この様な特定復興再生拠点地区の指定を解除するか継続するかの判断をするために住民の話を聴くという場でした。「解除ありきでは無い」と説明はされていたが、明らかに解除を前提とした「アリバイづくり」のような場でした。町長だけは違っていた。解除するしないは、極めて難しい判断だと語る、彼の苦悩はとても分かった。

住民からの現状に対する質問や要望は、極めて具体的・日常的で困難な生活が容易に思い浮かべられるようなものでした。「2階建ての住宅に住んでいる。除染してもらったが放射線量の値が高いままだ、どうしたらよいのか」というのがありました。これに対して環境省の職員は、「十分洗浄しているので何が原因なのか改めて調べて見ます」と応えていました。近くにいた方は、これに対していとも簡単に語っていました。国が行う除染は、家を外から水で洗い流して「除染」し、それで終わり。しかし、現状は、屋根瓦の下にある防水シートまで雨水が染みており、その部分に汚染物資が残ってしまうのだといいます。それを取り払うためには、屋根瓦を剥がして洗浄するか防水シートを貼り替える等の対応が必要で、何れも多額の費用が掛かるので、なかなか個人では出来ない。しかし、国が行う除染は外部の洗浄だけ。これが家屋の洗浄を「やっています」の現状のようです。

また、長い間、耕作地を離れており、表土を撤去したとしても、工作を行うためには、その他の様々な手入れが必要になる。圃場を仕切るクロと呼ばれる部分がモグラやイノシシに荒らされ、使い物にならなくなっている。圃場に組み込まれている様々な配管もイノシシにやられている。この様な状況下で指定解除して耕作地の再開と言われても現状は厳しいものがある。こうしたお話しに対しては、「様々な補助制度もあるので相談頂きたい」という担当者の回答でした。私は思うのです。行政が、住民に戻ってもらい耕作地の再開を真に願っているのであれば、もっと行政は現地に足を運び現状を見ているのでは無いかと。そして、住民のお話に耳を傾け、行政の方から「この様な制度があるから使いませんか」と、行政の方から積極的に住民の不安を解消してあげる関わりがあっても良いのでは無いかと思うのです。質問や要望が出されると初めて「これがあります」と言う。行政は制度を熟知しているので、住民の状況を日頃から見て耳を傾けていれば、様々な提案が出来る様に思うのです。これこそが「寄り添う」事なのでは無いかと思うのです。

歳を重ねると様々な不自由さが増してきます。この為、社会的な関わり無くして生活は厳しくなってきます。地域力という緩い関わりの中でようやく自律的な営みが保てるのです。なので、コミュニティが成り立たないところで生活すると言うことは、むき身の状態で放り出されるのと同じなのです。それは何とも酷なことなのです。

最後にマイクを持った住民はこう言っていました。「福島原発事故から12年。12年はとても長い。家族は、それぞれ生活の為に、学校、仕事等々新たな住まい方をしている。そんな中で帰ろうと言ってもだれもついてこない。帰るのは年老いた一人だ。先祖が汗水流して耕した畑を守りたい、先祖の墓を守りたい、でも難しい。帰りたくても帰れない現実がある。その気持ちを分かってもらいたい」。彼は、そう言って担当者にマイクを返しました。彼の傷みは、私の胸を締め付けるようにして入ってきました。

土と関わりながら暮らすというのは、弛まない(たゆまない)日常の様々な手入れを前提としています。細々としたことを丁寧に手を掛けながら行い続ける事でしか成り立ちません。無形の様々な関わりで初めて成り立つのだと思います。制度は、こうした細々としたところまで手が行き届きません。私は、それで良いと思います。しかし、そうした地域住民の生活に寄り添い、彼らの土地との関わりかたを理解し支えようとすれば、きっと制度にも血が通い、彼らを支えられるものに成れると思うのです。

制度のドライさに全体の奉仕者とての公務員という人間が体温を持った関わり方をすることで、制度に血が通うように思うのです。出来ないことを「やれ!」と言うのではないです。出来る出来ないの前に、やれることが一杯あるように思います。また出来ないならそれに代わるものを一緒に考える。それこそが公務員・行政なのでは無いかと思うのです。私は、もう公務員として関わるようなことは無いのですが、この様な姿勢を持ち続けて他者と関わって行きたいと思います。この様なかとを改めて考えさせられる貴重な時間でした。

国・県・町が揃った住民説明会(2023/02/05)
この町長さんの答弁には好感が持てた

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

「丁寧に」「寄り添って」の空しさ” に対して5件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    行政が行った住民説明会の様子を捉えた写真を見て、私には行政の側と住民の間に深い深い溝が見えます。
    気のせいではなくハッキリと見えています。

    大切な事をどうしても伝えたいと思う人は、話している間にどうしても前のめりになり、次第に顔は蒸気してくるものではないのでしょうか。
    そこに並ぶ多くの行政の人間がうつむいてしまっているなんて、いったい何をどれくらい伝えたいというのでしょうか。

    その写真1枚を見ただけで、もうお話を聞く気持ちになれない、理解に努めようとは思えないと感じて空しくなりました。

    いったいこの国の誰が福島の被災者にとことん寄り添って手を差し伸べてくれるのですか?
    いちばん大切な役目は民間の有志任せなのですか?
    これ以上福島の被災者を馬鹿にするのもいい加減にして下さい!(私のこころの叫びです)

    どうしても言わずにはいられなくて。
    失礼しました。

    1. 鈴虫 より:

      先ほどは、私の感情的なコメントによって、福島の地で懸命に頑張っておられる方々を傷つけてしまったのではないかと反省しています。

      私の発言の相手は我が国の政府であって、心を尽くして福島の人々に寄り添おうとしている有志のみなさんに向けたものではありません。

      東日本大震災による福島原発事故から12年、政府は復興に向けてこれ程頑張りましたが復興状況はここまでの成果です。
      国費で除染をし、インフラや公共施設を整備する。それだってある程度の住民が元の土地に戻ることが前提のようです。被災者が戻らないなら国費を費やすことをこれ以上続けられません。貴方は本当に戻る意志がありますか?
      それって順番が逆の様な気がします。
      「この様に復興が進みましたから、どうぞみなさん故郷に戻って安心して暮らしましょう」というのが本当ではないかと私は思います。

      被災者が戻らないから国はこのあたりで手を引きますよと、遠回しに故郷を諦めさせようとしているのではないのかと私は疑ってしまうのです。

      国の一大事に関することで政府を信用出来ないなんて情け無いことです。
      悔しくて悲しくて前述のコメントとなった次第です。

      私の思慮が足りずに誰かを傷つけてしまったとしたら、本当にごめんなさい。

      1. ハチドリ より:

        鈴虫さん、こんばんは!

        『私の発言の相手は我が国の政府であって、心を尽くして福島の人々に寄り添おうとしている有志のみなさんに向けたものではありません』と書いてありましたが、鈴虫さんの気持ちはとてもわかりますよ。少なくともここのプラットホームに集まっている有志は誰も傷ついてなんかいませんからね。かえってありがとうございます。返信が遅くなってしまい、ごめんなさい。

        政府よ、何をしてるの?!福島県浜通りに関わるようになり、8年が過ぎようとしていますが、私も鈴虫さんと同じことを言いたいです。最初の1~2年は、指導者もいない中で放射線のことも何もわからない中で勉強しながらの日々でしたが、逆に客観的に、あまり感情に流されることもなく、毎日の自分に浴びる線量も測り現実を見てきました。

        浪江町の住民の皆さんは、日本の2県に避難していないだけで、海外も含め全国に避難しており、12年が経とうとしています。とにかく、正しい情報が届かいていないのではと言うのが、ずっと私の実感でした。また、せっかく戻りたいと考えている住民のわずかな除染の要望も、国の基準に達していると言う理由で真摯に受け止めてもらえないと語る住民の方にも話を聴いてきました。「そんな、100も200もある話じゃないんだからやってあげてくださいよ!」とつい言いたくもなります。

        先日、カフェ・デ・モンクの活動報告会がネット開催されたときに、本間先生が講評の大役をなさったのですが、自己紹介でだったかの中で『啐啄同時 (そったくどうじ)』と言う言葉を使われたんです。多くの方はご存知かも知れませんが、私は初めて聴く言葉だったので調べてみました。『啐啄同時とは、鳥の雛が卵から産まれ出ようと殻の中から卵の殻をつついて音をたてた時、それを聞きつけた親鳥がすかさず外からついばんで殻を破る手助けをすることを意味する』と書いてありました。

        原発事故の被災地では、こんな12年も経つ前に、できれば雛が卵の殻をつつく前に殻を破るような国の動きをして欲しかったです。せめて、住民が戻りたいと音を立てたなら、すかさずその殻を破る手助けをしてはもらえないものかと思っています。

        大きなことは私たちはできませんが、最初のコメントにも書いたように、せめて帰って来られた人たちが少しでも笑顔でいられるように繋がっていける活動ができたらと思っています。

        1. 鈴虫 より:

          ハチドリさん

          被災地で住民に直接関わるお立場から、見て来たこと感じて来たことを聞かせてくださってありがとうございます。

          『啐啄同時』の言葉の解説は、自力でなんとかしようとする自助と外部から手を貸す共助、公助によって自立を促すことと解釈しました。
          それを福島県の被災者に当てはめる時、原因は福島第一原発事故なのだから住民に落ち度はこれっぽっちも無いと言うことが大前提にあるべきだと思います。
          そう考えると、自助よりも更に大きな力添えで公助が働かなければならないですよね。

          国には一人ひとりの切実な訴えにしっかり応えて頂きたい。でも現実はそうでは無いことをここで教えて頂いて、公助が駄目なら共助に沢山の人を巻き込んで充実させるしかないのだと思いました。

          ハチドリさん私達OOCメンバーも一役交ぜて下さい!
          きっとみなさん心あるおせっかいで、いい仕事が出来ると思います。

          ハチドリさんと繋がれたおかげで、私は福島県の被災者の現実をより深く知ることが出来ます。
          いつもありがとうございます、毎日ご苦労様です🙇🏻‍♀️

  2. ハチドリ より:

    東京電力の事故後、被害に遭った浜通りの町は、① 避難指示解除準備区域(それほど放射線量は高くなく1日でも早く自宅帰還を目指す区域)と② 居住制限区域(①と③の中間)、③帰還困難区域(放射線量が高くて、戻ってくるのが困難な区域)に分けられました。

    浪江町は、震災前は、①と②には人口の7割の人が住んでいて、③には3割の人が住んでいました。当時、町の人口は21,434人でしたが、震災から12年、①②の避難指示が解除されてから6年が経とうとしているのに、今現在の居住人口は2,000人弱です。その2,000人ですら、3分の1くらいは移住者や仕事の関係で住んでいる人で、元々の町民はさらに少ない状況です。なかなか厳しい現実です!

    「2023年版 第11回住みたい田舎ベストランキング」(宝島社編集部)で、浪江町は人口1万人未満のまちランキングで総合第2位、福島県内では第1位、「人口に対する移住者の高い割合」では全国第1位となりました。すごいことです!でも、この結果を聴いた時、嬉しさ半分、複雑な思い半分でした。よそからの人は住みたいと思っているのに、元々の住民は帰って来ない。あの時、小学校一年生で避難したお子さんは高校を卒業しました、新しく家を建て家庭を持たれた方もたくさんおられるでしょう。仕方ありません、

    役場周辺はいつも盛況な道の駅もあり、そこだけ別世界で賑やかですが、よそから来た私でも、ここには書ききれない悔しい思いがたくさんあります。特に国の動きです。でも、それを言ってもどうしようもなく、今はとにかく、故郷に帰ってきたいと思っている人が必要としている情報や伝えなければならない情報をいかに伝え、一緒に考えていくことをしていかなければならないという事です。

    『アリバイづくりの説明会』と先生は書かれていましたが、これまで対応した事例や知見をフル活用した具体的な答弁、そしてこんな時はこんな制度、方法がありますというその人の立場に立ったオープンな説明が必要かと思います。帰って来たいという人に寄り添い、帰ってきて欲しいという想いを丁寧に伝えるとはそのようなことではないかと思いました。

     私は、今ここで暮らし始めた人たちが「浪江に帰ってきて良かった」と笑顔あふれることも復興にはとても大切なことだと思っていて、そのような人が1人でも増えていくように、人と人のつながりを一番大切にして、町の復興に携わっていきたいと考えています。

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