志津川湾の初日の出
初日の出を見るたびに思い出すことがあります。それは、11年前(2012/01/01)に志津川湾で見た初日の出です。志津川湾が真っ赤に染まり、神々しいまでの初日の出が上がってきました。荒嶋神社を祭る荒島を目の前にした袖浜海岸には、多くの町民が集まり初日の出に両手を合わせていました。
前年の暮れには、新年を希望を持って迎えることが出来ずに自らの命を絶つ事例が多いという先行事例があることから、生活支援員には普段にも増して注意深く訪問するようにお願いしていました。幸いにも、そのようなことは起こらずに無事に新年を迎えることが出来ました。この為、何事も起きなかったことに安堵しながら、町民はどの様な様子で初日の出を見るのか、その様子を知りたくて袖浜海岸に行ったのです。
海岸には、まだ廃船が残されたままの状態の中に多くの人がいました。2012(平成24)年1月1日、南三陸町民は、きっと、哀しみ、恨み、追悼、そして微かな希望等々、様々な想いを持って初日の出に手を合わせていたのでしょう。手を合わせ長いこと深々と頭を垂れている姿は、これまで私が見てきたお正月の初日を迎える様子とは全く異なる重苦しいものでした。でも、上げた顔からは、笑顔こそないものの、何となく表情が穏やかになっているような気がしました。
私は「多くの町民が初日の出を見に来ていました」と、写真を見せながら保健福祉課課長補佐にその様子を報告しました。南三陸町保健福祉課T課長補佐職 当時50歳は、両手を机にたたきつけるようにして立ち上がり、大きな声で、「海を見られるようになったのか。よし、これで前に進めるぞ!」と、言ったのです。これまで、町民は海をにらみつけていました。でも、補佐の言葉を聞いて、何か希望が湧き上がり、体が武者ぶりのように震える感じがしました。
こうした様子が鮮明に思い出される中での元朝参りは、なんと幸せなことかといつも感じるのです。そして同時に、この今の幸せを独り占めするのではなく、多くの人が共に幸せを感じられるように社会になるよう、何らかの社会貢献の役割を担わなければいけないと思うのです。出来ることなんて細やかなことでさほどのことではありません。それでも、常に他者の幸せを願う気持ちは持ち続けたいと思うのです。
震災後、最初の初日の出を拝むためにこの海岸を選んだ人は、大切な人を想って、大切な人と語り合いたくて出かけたのではないでしょうか。
この景色は、あの震災の犠牲になり海へ還った沢山の人々が、遺してきた大切な人にむけて「それでも精一杯生きて欲しい」と伝えているようです。
震災から年を越すこの時、心の傷も癒えぬまま勇気を振り絞ってこの場所に立ったからこそ、魂の震える様なこの景色の一部となり再生する力を与えられたことでしょう。
私も、あの日逝ってしまった『あの人達』に胸を張ってまた逢えるように精一杯生きなければと心に誓いながら、海も空も燃えるようなこの景色を心に焼き付けました。
『生きること』をじっくりと考えさせられる景色をご紹介下さって、ありがとうございました。
「海をみられるようになったのか」という言葉が胸に響きます。
今年元旦に息子が撮って送ってくれた荒浜の初日の写真、下の方に写っている影をはじめは木々の影かと思いましたがよく見るとたくさんの人影で、私は単純にうれしかったのです。
被災された方々とは無縁の方々かもしれないけれど、こうして初日を見ようと集まるということ、やっぱり希望を感じます。