社協職員及びボランティア合同研修会
混沌とした時間を少し超えたところで、2011(平成23)年11月9日、今一度私たちがやるべき事を確認するために、南三陸町生活支援員及び支援団体合同の研修会をしました。
町内からは、瓦礫と言われる津波で壊された住宅の残骸などの片付け撤去が進み、雑草が生い茂る原野のような状態になってきました。瓦礫と浪で濡れた大地で覆われた故郷の震災当初の状況は、記憶の中だけになりそうになってきました。今みている様子が次第に日常的になると、被災者支援に対する気持ちに、緩みや迷いが生じるのではないかと考え、改めて「何のための被災者支援なのか」を思い起こすために、研修会を企画しました。
研修を行った後、今一度それぞれの想いなどを語ってもらい、被災者支援の向かうべき方向性を思い出してもらいたかったのです。被災者支援センターが活動してから4ヶ月ほど経ち、支援活動がルーチン化してしまう「慣れ」からくる惰性を心配してのプログラムでした。
今回の研修会だけではなく、様々な起点となるタイミングで研修やレポートの提出を求め、今行っていることの社会的意味や生活支援員自身に取っての意味を問い続けながら、長い被災者支援を続けられるようにしていました。
添付のスライドショーは、研修会で使ったものです。当時の絶望的な状況を再度思い出し、その上でそこから立ち上がろうとする町民に「明日への希望」を失わないように、支え励ますことを意図してつくったものです。
南三陸町の生活支援員は、こうした研修の意図にしっかり応え、自分事として仕事を超えた関わりを行っていたように思います。本当に彼らは南三陸町を救う貴重な人財でした。彼らのことを思い出すたび胸が熱くなります。
震災から12年近くになりますが、南三陸町被災者支援に関わった全ての町民は、被災者支援を継続している人、別の場所で介護の仕事をしている人、地域づくりの担い手になっている人等々様々です。しかし、共通しているのは、南三陸町の復興に貢献している貴重な人財として、誰一人欠けることなく、南三陸町で暮らし、明日の南三陸町に希望を持っていることです。これほどの未来に向けた「力」を持っている被災地は、南三陸町唯一と言っても過言ではないと思っています。
私達は様々な研修を受けてはグループワークやレポート提出をして、学んだ事を直ぐに実践に活かせるように鍛えられていきました。
時々、仮設住宅にボランティア活動に入りたいという相談もサテライトに入ることがありました。
炊き出しをしたいという団体には、是非、住民参加型でお願いしたい旨を伝えていました。只、並んで頂くだけにせず一緒に作るとか配膳をするとか、ひと役持たせて頂くことをお願いしました。
いつまでも施しを受け続けることは、自立心を萎えさせてしまうようでしたから。
私達は毎日訪問活動をして、それぞれの仮設住宅の様子は誰よりも把握しているという自負がありましたので、ボランティアのみなさんにもその様なお願いをしていたのです。
でも、今振り返るとちょっと生意気だったかもしれませんね。
当時はとにかく毎日が一生懸命でした。