参考文献つながりの輪

年を重ねてから授かった娘に教えてもらった『思いがけず利他』(中島岳志、2021)から始まり、『世界は贈与でできている』(近内悠太、2000)、『それお金で買いますか』(マイケルサンデル、2012)とつながり、今は『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田裕之訳、2016)と広がっています。

私の読書の楽しみの中に、書籍の中で引用・参考図書として挙げられている本を読んで、興味を広げていくことがあります。1冊の本を読むだけなのに、読み終えた頃には、机に何冊も積まれていることが日常的にあります。これは、大学院で博論を書くときに身に付けた習慣なのかも知れません。論文執筆では、「孫引き」が避けるように指導されます。また、引用する文献は、必ず読むことを勧められます。その為、どうしても当該書籍を購入して手元に置いてじっくり読むことが必要になるのです。このようなことから、巻末などにある引用文献や参考文献を読むのが面白くなったのだと思います。

読み始めたばかりの『サピエンス全史』(上・下巻)は、『世界は贈与でできている』で触れられていました。そこには「今、私たちが当然のものとして使っている様々なシステムや制度は、先人たちの努力の結果として、私たちのもとに届いている。ある歴史的な出来事には、様々な“偶発的な”要因が関与している。歴史を学ぶというのは、そこに何ら必然性がなかったことを悟るプロセスでもあります」、とあります。この歴史の壊れやすさ、この文明の偶然性。これに気づく為に歴史を学ぶのです、と。

え~・・・、私たちが享受している生活の中にある精度やシステムは「偶然」の所産???

そんな馬鹿な、と思ったのです。著者は、歴史を学ぶ図書として紹介していたのが、今読み始めた『サピエンス全史』(上・下巻)や『銃・病原菌・鉄』です。そのようなわけで、先ずは読んでみるかと始めているところなのです。

『世界は贈与でできている』(近内悠太、2000)の第1章に、「なぜ、僕ら人間は他者と協力し合い、助け合うのか。そうして一人で生きていけなくなったのか」から始まる記述に『サピエンス全史』(上巻)が引用されているのです。内容は以下です(要約引用16頁-18頁)。

すべてのヒトは「早産」から始まった

人間の新生児はなぜ未熟な状態でうまれてくるのか。例えば、馬は生まれた直後に立ち上がることができます。しかし、人間の新生児は、立つことも、一人で食べることもできません。では、なぜ人間の乳幼児は、周囲の年長者による保護や教育がなければ生きていくことができない「弱さ」を抱えることになったのか。ヒントは、「直立歩行に適さない骨格」と「大きな脳」にある。

霊長類の骨格は、もともと四足歩行に適したものでした。進化の過程で、四足歩行から直立歩行に移行するには、腰回り、つまり骨盤を細める必要があり、それにともなって女性は産道が狭くなりました。また、このとき、人間は他の動物たちよりもずっと大きな脳を獲得しつつありました。

つまり、人間の赤ちゃんは、大きな脳を抱えながら。狭くなった産道を通って生まれてこなければならないという難点を抱えることになったのです。人間は、ほ乳類の中で最も難産な種とのことです。そこで、進化は、この様な状態をどの様にして解決したのか。

それは、脳が十分発達する前の段階、すなわち「頭が大きくなる前の段階で出産する」という道を選んだのです。それにより、母体の生存率と子どもの出生率が上がり、自然選択によって人間は早期の出産をするようになりました。この様にして、人間は未熟な状態で生まれてくるようになったのです。

重要なことは、ここからです。出産後、成長途中の未熟な乳幼児を抱えた母親は、数年にわたって食べものを自分の力で採集することができず、子育てを周囲の人間に手伝ってもらわなければなくなりました。こうした状況は、同時に、人間にある能力が発達します。

人間が子どもを育てるには、仲間が力を合わせなければならない。したがって、進化は強い社会的絆を結べる者を優遇したのです(『サピエンス全史(上)』22頁-23頁)。

進化のプロセスでは、未熟な新生児を産むと解決策ではなく、骨盤を大きくしたり産道を広くするなどの選択肢もあり得たはず。しかし、自然はそのような身体的拡張ではなく、「社会的能力」の方を選びました。子育てやお互いの生存のための信頼できる仲間。見返りを求めず助け合える関係性を選んだのです。

つまり、人類の黎明期の一番始めから「他者かからの贈与」「他者への贈与」を前提として生きていくことを運命づけられてきたのです。

いくこさんが提唱したOOCの起源はもしかしたらこの辺にあるのかもしれません。それに気づいた「いくこ」さんは凄い!もしかしたら『サピエンス全史(上)』を既に読んでいたのかな?(笑)

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

参考文献つながりの輪” に対して2件のコメントがあります。

  1. いくこ より:

     先生、興味深い本のご紹介ありがとうございます。「進化は強い社会的絆を結べる者を優遇した」サピエンス全史は残念ながら読んでおりませんが、みなさんそうだと思いますが社会的絆の重要性は子どもの頃の生活から感じていました。
    電話もコンビニもクレジットカードもなかった頃は、近所の人たちが命綱でした。
    9時ごろ開店で夕方6時には絞まってしまうお店、時間を過ぎたり現金が手元に無ければ万事休す、近所から借りるしかありません。
    我が家に電話が来たのは申し込みから何年もたってからで、電報や手紙では間に合わない用事は先に電話が設置された家で借りるしかありませんでした。
    故郷を遠く離れて暮らしていた私の両親は、人手が必要なときには友人を頼るしかありませんでした。皆いざという時に助けてもらわなければならないので近所の人を大切にして暮らしていたのだと思います。
    便利になって人に頼る必要がなくなった今、失われた気遣いがあると感じます。
    とはいえ昭和の八つぁん熊さんの長屋暮らしのような人付き合いは今では重たいでしょう、お互い様と思いあう、令和の良い塩梅の気遣いもあるはずと思っています。
    そのあたりをOOCで考えたいなぁ。
    ね、みなさん。

    1. 鈴虫 より:

      いくこさん
      私の小さい頃にも近所のお宅から急用の電話取り継ぎをして頂いていました。自宅の風呂場の工事中には、お隣さんのお風呂に入った記憶もあります。夕方に醤油差しを持って「ちょっと分けて」とおつかいに行ったこともありました。
      正に向こう三軒両隣、お互いに助け合いのある関わりが日常的にありました。
      幸い、私の地域は今でもその延長のような暮らしぶりで、有り難いことです。普段からの関わりが上手くいっているからそれが出来るのか、その様に助け合わなければ暮らし辛いから日頃の煩わしさを受け入れているのか、もはやどちらなのか分からないのですが、この様な助け合える関係が宝物だということが実感出来たのが東日本大震災でした。
      きっと、人間関係の有り難さも煩わしさもひっくるめて、私達には必要不可欠な関係なのだろうと思います。
      先人達がして見せてくれた「助け合い」の大切な文化です。今後ますますの超高齢化時代にもチカラを発揮出来る様に、私達に出来る事を積み重ねてちっちゃな進化をさせていきたいですね。

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