OOC活動事例をお寄せ下さい(8月24日~30日迄の分)

お盆が過ぎると、暑さが峠を越し秋に向かう処暑(8月23日)。残暑が厳しい中にあっても日陰に入ると風に秋を感じることが出てきますね。今週もまたまた皆さまから日々様々な「おせっかい」に関わる事例を頂く日がやって来ました。今週は、どんな話題が出てくるのか、はやりに乗って言えば「ちむどんどん」しますね、とても楽しみです。

上記の期間中に何編でもお受け致します。ドシドシ、書き込んでください。お待ちしています。書き込みは、この下にある「コメントを残す」にお願いします。新しい書き込みのルールは、「事務局からの連絡」に示しています。そちらをご覧下さい。

先週(8月10日)から始めた「おせっかい」のチョット深掘り、今回で三回目です。

『思いがけず利他』からの学び 其の三「ありがた迷惑の構造」

みなさんの行っている「おせっかい」は、どうも、考える間もなく「身体が動く」という与格的な情動(emotion)によって相手に駆けつけ、言葉を掛け、手を掛けている活動のようです。

今日は、事を起こすときに気になる「ありがた迷惑」について触れてみます。私たちは、何かことを起こそうとしたときに「ありがた迷惑」に思われるのではないかという気持ちがよぎります。こちらが気になったり心配したりしても、相手がどう思うかどう受け取るかは分かりません。先日書き込みがあった「いだのすか~・・!」と自動ドアの如く玄関を開ける隣人を「ありがた迷惑」と取るか「気遣い」と取るか。投稿者は、後者の「気遣い」と受け取り、リポビタンDを頂いています。

この事例からもわかるように、特定の行為が利他的になるか否かは、事後的にしか分からないということです。行為を成す者が「利他」と思った行為(無自覚も含めて)であっても、受け手にとってネガティブに受け止められれば「利他」とはならず、いわゆる「ありがた迷惑」になります。つまり、「利他」とは、行ったときに発生するのではなく、それが受け取られたときにこそ発生するものなのです。利他機動は、「与えたとき」ではなく「受け取るとき」なのです。

利他は、相手の個性に沿い、相手のポテンシャル(潜在能力)が引き出されたときこそ生まれるという構造があります。加えて、タイムラグがあります。なので、その時々に一喜一憂せず、自分の信ずる行為を謙虚に行うことが肝要のようです。そして、時に「ありがた迷惑」と受け止められてしまったときは、この「OOCの世界」で慰めてあげましょう。

河北新報(2022/8/1)

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

OOC活動事例をお寄せ下さい(8月24日~30日迄の分)” に対して1件のコメントがあります。

  1. スマイル より:

    今回の本間先生の書いてくださった内容「利他とは受け取られたときに発生する」という言葉は、これからいろいろ深く考えたい言葉だと思いました。

    このことから思い出した「おせっかい」について。前回の「ハチドリさん」の内容とも少しリンクするかもしれません。

    地域に、町のために本当に尽くしてきたご夫婦がいらっしゃいます。「誰かが困っている」となったら動かずにいられない、というより、「気が付いたときにはもう動いた後」という感じだと思います。

    ある時、お店で奥様の方とばったり。そのお店に来るまで広告を見て安くなっている店を何軒かまわって買い物をしてきた様子。何がどれくらい安かったか、体に良い食材、などいろいろ教えてくださった上に「何個か買ったからあげるわ」とヨーグルトをくださいました。

    その時、思ったことがあります。こういうことって「ちょっとありがた迷惑」と感じる人もいるだろうと。でも、私はいろんなことがしみじみと胸に沁みたのです。私と会ってとっても嬉しそうだったこと。「お得だった情報」をぜひとも教えてあげなくちゃ、という想い。そして「嬉しいことはお裾分け」とばかりに、買ってきたものを分けてくださるその心。

    これまでの彼女の「おせっかいの塊」のような人生で、「なぜ?」と思うような思いがけない反応もあったのではないか、と想像するのだけれど、神様がいるとしたら「あなたはそれでいいんだよ」と両腕を広げて抱きしめてくださるのではないかと・・・

    もし「受け取られた時に利他が発生する」のではれば、相手の反応ばかり気にして結局何もできなくなってしまいそうな気もします。誰が見ても「迷惑行為」であれば別だけれど、本当に損得勘定なしの想いから出ていることなのであれば、扉を閉めてしまうのでなく上手にコミュニケーションをとりながら、いつの日か必要のない時には「今回は大丈夫ですよ」と気持ちよく伝えられるような、そんな信頼や関係性を築けたら一番いいのではないか・・・と思ったりします。

    人との関係は「めんどくさい」と切り捨てていたら、すかすかの何の役に立たない織物になってしまいそうな気もします。時に「いい加減にしてよ」と言いたくなったり、でも場合によっては鈴虫さんの先週のコメントにあったように「神様に見える」こともあったりして、そうやって豊かに織り上げられた唯一無二の織物のような人生がいいなあ、と。同時に、本当に重荷と感じる相手なのであれば、義理人情で縛られてがんじがらめになる必要はないとも思うんです。

    そんなことを考えていると、どんどんとりとめなく広がっていきます。その先に、なんだか大切な宝物が埋まっているような気がします。

    「おせっかい」は奥が深い、面白い世界です!

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