長崎原爆投下(8月9日)

1950(昭和20)年8月9日午前11時2分、高度9,600メートルの上空から第二号の原子爆弾(プルトニウム爆弾)が長崎に投下されました。爆発と同時に空中の一点に摂氏数千万度ともいわれる火球が発生し、温度は摂氏およそ30万度といわれます。特に人体に熱傷を与えたのは、爆発後の0.3秒から3秒までの間においての赤外線でした。一説では地上物質の表面温度は、原爆の直下では恐らく3,000~4,000度にも達したと推定されています。死者73,884人、重軽傷者74,909人、合計148,793人の人的被害を出しています(長崎市原爆資料保存委員会の昭和25年7月発表)。

この様な長崎原爆投下について見ている中で、河北新報の記事(8月5日)に「平和を問う映画2作品」をみつけ、引きつけられるようにその中にあった「長崎の郵便配達」という作品を観に行きました。英国の元空軍大佐(パイロット)でジャーナリストの父が残したノンフィクション小説「THE POSTOMAN OF NAGASAKI」を下に、娘が本に記されている父親の足跡をたどる映画です。娘は、父親の死後、彼が残したボイスメモを頼りに、インタビューの相手でこの物語の主人公である、元郵便配達員谷口稜瞱(すみてる)さん(故人)の家族や、取材した場所等を聴き歩きしています。

彼女は、長崎を訪れ、谷口さんの遺族や関係者そして本に出てくる場所を巡ることで、改めて原爆の悲惨さを感じ取り、同時にこの惨状を次世代に伝えることの大切さを語っています。また、父親が歩いた場所やその場所を記録している父親の肉声を聴き、「父親と対面」しています。父親が何を伝えたかったのか、自分の役割は何なのかを考えています。

私は、この作品を観て、三つのことを学びました。

一つ目は、原爆の恐ろしさ、悲惨さ、非道さを、一人の人のその後の人生をとおして学びました。戦争反対、原爆反対というだけではなく、人の人生に如何なる「苦痛」を与えるのかをとおして、「決してあってはならない」と強く思うのです。

二つ目は、私も社会学の研究に身を投じた者としての視点ですが、量的研究(アンケートや統計調査)では現せない質的研究(エスノ グラフィやフィールドワーク)の醍醐味を感じたのです。以前、大学で教鞭を執っていたときに、学生に「聞き書き」をしてもらったことがありますが、その際の学生の反応からも質的研究の重要さは感じていました。今回の映画を観て、改めて質的研究の持つ深さを感じました。

三つ目は、ある誰かが大切だと感じても、それに学びを感じ取り伝え残す作業をする人がいないと、大切な事が伝わらない、残らないのだと知りました。この映画では、娘が父親の書いた本を改めて読み直し、父親がフィールド調査した場所に同じように立つことで、父親が残したいこと伝えたいことを知っています。そして、それを知った娘が、そこで父が伝えたかったであろうことを娘の視点も加えて、映画として受け取ったことを残しているのです。この様に、大切な事は、本人ではなく誰か他者の学びによって形になる。この様に思ったのです。大切な事は、この世の中に一杯ありますが、それを誰かが拾い上げ伝える、このことがとても重要なのではないかと思ったのです。

油蝉の声が聞こえるようになると、原爆投下や終戦の記事が多くなります。今年の夏は、これまでとは少し異なり、原爆や戦争という悲惨な出来事を、人の生き方を通してみるということが出来ています。70歳を超えての新たな学びです。

河北新報記事(2022/08/05)
パンフ「長崎の郵便配達」

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