広島原爆の日 (8月6日)
1945(昭和20)年8月6日 午前8時15分、77年前のきょう、広島に原爆が投下され、その3日後には長崎にも投下されました。
広島の爆心地から500メートル以内での被爆者は、即死および即日死の死亡率が約90パーセントを超え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及んでいます。さらに生き残った方も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡しています。11月までの集計では、爆心地から500メートル以内での被爆者は98から99パーセントが死亡し、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、約90パーセントが死亡。1945(昭和20)年の8月から12月の間の被爆死亡者は、9万人から12万人と推定されています。
広島に投下された原子爆弾により死没した方やその後に死没した方(被爆者健康手帳の有無、国籍は問いません。)の霊を慰め、人類の恒久平和を祈念するため、死没した方の氏名・死没年月日・死没時年齢を、1952(昭和27)年から原爆死没者名簿に登載し、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に奉納しています。名簿登載者は、32万8,929名〔2021(令和3)年8月6日現在〕(名簿冊数121冊(「氏名不詳者 多数」と記した名簿1冊を含む。))令和3年8月6日 追加奉納数:4,800名です(出典:広島市hp)。
厚生労働省によると、今年3月末現在、被爆者健康手帳を持つ人は11万8935人で、前年同時期より8820人減りました。平均年齢は84・53歳で、初めて84歳を超えています。平和記念式典では、この1年に死亡が確認された被爆者ら4979人の名前を加えた原爆死没者名簿が奉納され、死没者の総数は計33万3920人となりました。
私が小さい頃、この時期になると、学校の先生方が「ああ許すまじ原爆を~、みた~び許すまじ原爆を~、我れ~らの街~に」と歌いながらデモ行進していました。「平和行進」というのぼり旗を持っていたように思います。いつしか、そのような光景は見ることがなくなり、私の中からも「原爆の惨事」は教科書の世界なってしまいました。
私たちの記憶が鮮明なところでは、東日本大震災で発生した巨大津波により、東京電力福島第一原子力発電所事故が発生し、近隣住民は広域避難を強いられました。日本国政府は、福島第一原発から半径20km圏内を「警戒区域」、20km以遠の放射線量の高い地域を「計画的避難区域」として避難対象地域に指定し、10万人以上の住民が避難したのです。そして、いまだに、故郷に帰還できてる人、地域は限られ、多くの人が故郷を離れたままです。
広島・長崎は戦争で、福島は事故で「被爆」しました。私たちの自然豊かな国、日本は二度にわたって被爆しているのです。東京電力福島第一原子力発電所事故では、関東から東北全域が避難区域になる所でした。なので、原発事故は、宮城県に住む私たちも決して対岸の火事ではないのです。
広島そして長崎への原爆投下の日を振り返り、実は思ったよりも身近にある危機的状況に対して意識を向けることも必要かと思います。ウクライナの原発施設付近にミサイルが撃ち込まれている、こうした現実も私たちは知っています。
先日(8月4日)、「エシカル(倫理的)消費」について書きました。私たちの日常的な消費行動で世界を変えることが出来ます。同じように、過去にあった出来事をただ聞き流すのでがなく、「なぜ、起きたのか、なぜ避けられなかったのか」等々を考えてみるだけでも、リテラシー(適切に理解・解釈・活用する力)を高めることが出来ると思います。このことは、何かが起きようとしたときの大切な抑止力になると思います。
美容院でゆっくりホームページを見ています。
8/5の夕刻に南相馬市に行っていたら、防災無線から「明日8/6は、広島に原爆投下された日から77年になります。犠牲者の方々に哀悼の意を表し、朝8時15分に皆さんで黙祷を捧げたいと思います」と流れてきました。
ハッとしました。
人類史上初の原子力爆弾が広島に投下された日のことを、このようなお知らせやテレビでニュースでも見ないと忘れてしまっている自分を!
昨日の朝は、テレビでLIVE中継を見ながらその時間に手を合わせ、黙祷を捧げました。
広島、長崎の原爆投下による被害は「熱線、爆風、放射線」と言われており、そのような影響を及ぼすことを人間の頭脳で考えられた実に恐ろしい物でした。それと同じことをソ連(と言うより、プー○○)は時々臭わせています。
東日本大震災の東京電力福島 第一原発事故は、津波で電力が失われ、冷やすべき装置が作動せずに爆発を起こしてしまい、放射線を出す物質が巻き散らかされました。あの時の政府の「すぐに避難してください」の報道は、広島、長崎の原爆投下の様子が再燃し、実際は違っていてもそれを知らない世代の人たちにもイメージ先行で、どんなにか福島の人々を恐怖に陥れたことでしょう。
以下、広島市のホームページより
『原爆は、人や物に大きな被害を与えただけではなく、人々の社会生活そのものを破壊しました。
その徹底的な破壊力は、家族から親兄弟や親戚、知人などを奪い、あらゆる施設はもちろん、さまざまな社会的機能をも一瞬にして消滅させました。それは、かつて人々が経験したことのないものであり、生き残った人々の生活に、言葉ではとても表現できない数多くの困難をもたらしました。
原爆によって心身に及ぼされた傷害は、時が経過しても癒えることがなく、特に放射線の恐ろしさが目立ちました。』
下段三行は、幸いにも実際の福島とはちょっと違いますが、上段の内容は国からの情報があまりにも少なかったために、必要以上に福島県浜通りにも同じことが起きてしまいました。先生が書かれているように『そして、いまだに、故郷に帰還できてる人、地域は限られ、多くの人が故郷を離れたままです。』の状況です。
『過去にあった出来事をただ聞き流すのでがなく、「なぜ、起きたのか、なぜ避けられなかったのか」等々を考えてみるだけでも、リテラシー(適切に理解・解釈・活用する力)を高めることが出来ると思います。このことは、何かが起きようとしたときの大切な抑止力になると思います。』
本当にそうですよね。
南相馬市の防災無線を聴くことができ、先生のホームページを読み、大切なことを改めて考えることができました。