「宮城県の低い出生率 なぜ」(河北新報記事を読んで思うこと)

去る5月11日に「15歳未満の子ども数は41年連続、人口に占める子どもの割合は48年連続で減少(総務省)」というタイトルで投稿しました。これに関する新聞記事で、興味深いというか、少し付け足したいという気持ちがあり書いています。

7月9日の河北新報に「宮城県の低い出生率 なぜ」という見出しで、識者三人の意見を掲載しています。この記事は、東日本大震災の際に色々とお世話になった生活文化部の菊池記者の署名記事となっています。記者は、東京都に次ぎ下から2番目の低さに危機感を持ち、研究、子育て及び地域振興に関わる識者にインタビューしています。

研究者(東北大学大学院経済学研究科教授)は、「結婚しづらい環境」が影響していると説明しています。私も県庁にいるときによくやったのですが、宮城県と規模が近い「広島県」との比較で考察しています。宮城県は広島県と比較して男女とも賃員が低く、そもそも結婚に至りにくく、実際に婚姻率も低いと指摘しています。また、男性の育児休業取得率が低く(宮城県14.6%/広島県18.2%)、職場環境についても課題があることを指摘しています。

子育て中の方(ヨモヤマカンパニー代表理事)は、「通院と育児費用の負担」を問題視しています。通院、出産、育児の費用等、経済面のハードルが低くないと感じているようです。また、産院の地域偏在についても経済負担の増加要因としています。こうした現状から、少子化に危機感を持つなら出産費用の個人負担ゼロを提案しています。

地域振興機関の方(東北活性化研究センター主任)は、「若年女性の東京圏流出」を問題視しています。東北では、20歳から24歳の就職期女性の東京圏転出割合が男性を上回る傾向にあると指摘します。宮城県の2020(令和2)年、転出者全体の5割超が東京圏に流出していると指摘しています。地元ではやり甲斐のある仕事に就けず、出産しても働き続ける環境が十分でないとい感じ、東京圏に就職している可能性があると分析しています。現に、同研究機関が2020年に行った調査によれば、地元を離れた理由は「やりたい、やりがいのある仕事がみつからない」が最多との結果を示しています。また、非婚化が指摘されている中、約8割は出産を望んでいるデータがあると言います。こうした現状を踏まえ、「地元の雇用環境が大きなカギを握る」と結んでいます。

宮城県知事は、5月に全国で2番目に低い出生率という結果が出たとき、「長い目で見ていく必要がある」と回答するに留まり、私としては「白旗」を挙げた状態と感じました。其の考えの底には、出生率は家族(夫婦)の問題としているのではないかと思います。確かに、子どもを産みたいと言うのは家族(夫婦)のとても大切な意思で、外部から圧力を掛ける者ではあってならないと思います。

過去にはこの様なことがありました。1941(昭和16)年1月22日の近衛文麿内閣の閣議決定は、歴史的に見て個人の権利を侵害する決定でした。当時の日本社会は、大東亜共栄圏の確立を目指して、人口増強策をとっていました。その背景で生まれた「人口政策確立要綱」は、軍国主義の象徴的な人口政策であったと言えるようです。新聞は、「日本民族悠久の発展へ 人口政策要綱案なる 近く閣議に付議決定」(朝日新聞1941年1月16日)、そして、「一家庭に平均5児を 一億目指し大和民族の進軍」(同1941年2月23日)と書かれています。戦時下とはいえこのようなことがあり、子どもを産み育てることに国が口を出すことは極めて危険なことです。

当時の日本の総人口は7,350万人でした。上に述べた通りで、軍国主義を支えるべく人口増強策の提示と、具体的には、子どもを5人以上産むようにという国民への上からの呼びかけとなっています。日本は国として「産めよ、殖やせよ」という唱導とともに、「兵力・労働力の増強」を目指す要綱をもってして、「人口大国:日本」を目指すことになったのです。

当時の朝日新聞は、「従来の西欧文明にむしばまれた個人主義、自由主義の都会的性格がいけないのだ」と言明。「自己本位の生活を中心にし、子宝の多いことを避ける都会人の多いことは全く遺憾至極である」、「結婚年齢を10年間で3年早め、引き下げる。男子25歳、女子21歳に引き下げる」、「平均5児以上をもうける」、「(昭和35年には)1億人人口を確保する」などと続きます。そして、多子家庭に対しての優遇策を提示しています。とくに多産の家庭には表彰制度があり、無子家庭や独身者には公立の課税をさらに課す、などと政策は謳っています。優遇策と冷遇策が明確に提示されています。

そして、この年、1941年(昭和16年)12月8日には、ついに真珠湾攻撃とともに太平洋戦争が始まりました(引用:2020 JOICFP All Rights Reserved)。

私は、過度に家族(夫婦)の選択を国策として誘導することに疑問があります。一方、家族(夫婦)が、安心して産み育てる環境を整え、判断を家族(夫婦)に委ねることは大切だと思っています。国や古い家族制度の下で判断するのではなく、家族(夫婦)の未だ見ぬ我が子への想いを大切に育める地域社会を築いていくことが大切だと思うのです。

子育ての為のお金、若者の地元の職場等々は直接的な環境整備として大切だとは思います。しかし同時に、彼らが子どもとの暮らしに期待や喜びを見いだせるような環境を整え、彼らが積極的に子どもを授かることを願えるようになったらいいなと思うのです。

その為には、彼らの身近な場所に、子どもが笑顔で遊んでいる姿、親と子が楽しそうに絵本を読んでいる姿、よその子を我が子のようにあやしている近所の大人の姿等々に接する「場」(機会)がとても重要だと思うのです。家族(夫婦)で育てるだけではなく、地域の中で育てることを実感できる機会を持っていただき、その上で「子どもを産み育てる」ことへの選択・判断をしてもらえたら、人口増という視点だけではなく、今いる子どもたちの健やかな成長を促す地域社会づくりにつながるように思います。

増やすことだけではなく「大切に育てる」。こんな視点に意識を向けると、行政や経済界に頼るだけではなく、私たちの地域社会で出来る「子育て施策」もあるのではないかと思っています。

おむすびの会(Naritaマルシェ)
マルシェCafé

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です