活気を失った老人大国なのか成熟社会なのか

今年の連休は、昨年、一昨年と異なり、やや人出が増し行楽地に賑わいが戻っている感じがします。しかし、コロナ禍にあっては、狭い空間での人混みを避け、屋外の行楽地に足が向いているようです。私も、天気も良いので同様に近場で連休を楽しもうと、加美町にある「やくらいガーデン」に行きました。

好天に恵まれた、総面積15万㎡の広大な庭園には、春の花々が色とりどり咲き誇り、多くの子ども連れが来ていました。教会を背景にした前庭状の丘陵には、モザイク状に種類の違う花が植えられています。私は、チューリップとパンジー(ビオラ?)しか分からないので、「花々」としか表現できないのが残念な所です(汗)。

萌黄色の薬萊山は、なかなか観る機会が無いので、とても新鮮な感じがしました。確か、中学校の校歌にも出てくる山です。実家近くの一級河川鳴瀬川の堤防からみる薬萊山は、幼い頃の記憶を呼び起こす、『フラグ=名札』の役割を持っているよう思います。

川崎町にある杜の湖畔公園に行った時も感じたのですが、子どもと親が楽しそうにしているのは、幸せな気持ちを周りに振りまいているようなもので、見ず知らずの私にも「幸せ」のお裾分け(お福分け)を頂いている感じがします。子どもの笑顔や弾むような声は、未来への希望を持たせてくれます。そして、この子たちの未来が明るいものであるように祈らずにはいられません。

薬萊山(標高553m)別名 加美富士

こんな様子を歳を重ねた私たちが、ベンチに座りながら目を細めて眺めています。そのようなとき思い出したのです。20代に入ったばかりの頃、東北学院大学に通って社会保障論を学んでいたときのことです。高齢者はベンチに座って緑豊かな公園を静かに眺めている写真を思い出しました。その時の説明は、「活力を失った老人大国」と英国の状況を説明していました。経済発展と福祉社会を天秤に掛け、福祉社会の追究は、経済発展を阻害する、停滞させると言う様なトーンで書かれていたように思います。若かった私も、老夫婦の姿は、活力を失った過去の栄光にすがる大国の象徴のように見えました。

そんな私は、70歳を過ぎ高齢者の仲間入りをして、いま、50年前に見た写真と同じような姿で庭園に佇み、子ども達の遊ぶ姿を眺めています。そして思ったのです。これは、「活力を失った老人大国」ではなく、豊かで平和な国、日本の姿ではないかと。そして、この様な姿をいつまでも見ることができるような社会を何とかして維持できるようにしたいものだと切に思いました。子ども達の未来が、豊かで明るいものになるように、何ができるのだろう等々と考えながら、しばらくこの光景を眺めていました。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

活気を失った老人大国なのか成熟社会なのか” に対して1件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    お花畑越しの薬萊山はいい眺めですね。この景色の中でのんびりと休日を過ごすって、贅沢な時間のように思います。
    そこにイースターの装飾が無くても十分に楽しめる気がしますが、これは若い年代の発想なのでしょうね。

    50年程前の社会保障論の学びの中で「活力を失った老人大国」として、高齢者がベンチで自然を眺める写真があったとのことですが、今になって思えば「豊かで平和な国、日本の姿ではないか」と、同じ光景を見ても印象に変化があったのですね。
    「福祉社会の追求は、経済発展を阻害する、停滞させる」といった考えは、右肩上がりに勢いのある社会で語られそうなことのように思えます。きっとその後、社会全体が円熟し、この様な考えは陰を潜めているのではないでしょうか。
    福祉と経済のバランスの取れた社会でこそ、高齢者だけでなく子供も支援が必要な人もみんなが瞳を輝かせて暮らせる気がします。
    そんな世の中を目指して、私に出来ることを今日もがんばります!

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