四国八十八ヶ寺お遍路から一年

昨年、10年越しに実現した四国八十八ヶ寺お遍路から一年が経ちました。一年前の昨日は、八十八番札所大窪寺のお参りを終えて「結願」し、その足で和歌山県高野山に登り、宿坊「遍照尊印」に泊まり、高野山奥の院に結願の報告をするのを待っていました。そして、一年前の今日は、小雨でもやがかかった高野山の奥深くにある高野山奥の院に結願の報告をしました。

高野山奥の院一帯(御廟橋から先)は、撮影禁止です。この為、自分の目に焼き付け目を閉じて思い出すほかはないのです。思い起こすと、これまでの寺院とは大きく雰囲気が異なり、よく「霊験新たか」(人々の祈りに応えて神様が姿を現すこと、ご利益を与えること)という言葉を聞きますが、まさにそのような感じでした。物見遊山の気分は、一瞬にして吹き飛んでしまい、身震いするような感覚になります。

高野山の行事等は年間を通じて膨大にありますが、中でもこの奥の院では、弘法大師入定後から現在まで1200年もの間、続けられている「生身供(しょうじんぐ)」という儀式があります。これは空海に食事を届ける儀式で、1日2回行われています。御供所にて調理された食事は嘗試(あじみ)地蔵での味見を経て、2人の僧が白木の箱に納めて御廟へと運んでいきます。先頭には案内人の維那(ゆいな/僧侶の職名)が歩き、御廟橋を渡って燈籠堂の中へ食事をお供えした後、読経して再び御供所へと戻ってきます。姿としては見えないかもしれませんが、弘法大師空海は確かにそこにいるのです。そこには、今までもこれからも変わらない厚い信仰が息づいています。(出典:和歌山県観光振興課)

高野山入り口から2㎞ほど杉並木の中を歩くと高野山奥の院のある、高野山で最も神聖な場所に近づき、御廟橋から先はカメラが入れません。御廟橋を神妙な気持ちになりながら進むと、御廟から少し離れたところに、お線香を手向ける場所があります。

そこに立って、四国八十八ヶ寺お遍路の結願を報告すると共に、東日本大震災で犠牲になった方々と残されたご家族への弔いに合わせて、これからの社会の安寧を祈りました。また、家族の幸せと市井の人となったこれからの人生が豊かであるようお願いしました。心なしか、気持ちが穏やかになったような気持ちになりました。そして、またこの地に立ちたいと思いました。

あの時から丸1年が経ちました。早いようなゆっくりのような、しかし確かに1年が過ぎています。私にとって四国八十八ヶ寺お遍路は、とても大きな出来事でした。市井の人としての歩みをどうするのかを教えてくれた機会だったとも思います。

八十八番札所大窪寺のお参りで結願、そして高野山奥の院での結願報告。これを終えて仙台への帰り待ち、12日間を振り返りながら、これからどの様に生きていきたいか等々自問自答していた昨年の今日でした。

八十八番札所大窪寺(2021.04.28)

高野山入り口(2021.04.29)
奥の院に続く杉並木

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です