昨年と今日の3月31日
昨年の今日(3月31日)は、長い現職生活の最後の日でした。10年前の県職員退職の時は、退職辞令を頂いて直ぐに南三陸町に赴いていたので、「退職」という実感は全くありませんでした。そのようなことから、10年の時を経てようやく「退職」を実感していたのです。10年前は、東日本大震災で慌ただしい中、職員を前に、「公務員であることを今ほど感じたことはない」と退任の挨拶をしていました。そうした、この様なときこそ公務員という勢いのまま南三陸町に赴いたのです。
あの時から10年の時を経て、東北学院大学でわずかばかりの職員の前で、「東北宮城の人財育成を宜しくお願いします」と挨拶をしていました。公務員退職から10年経っていたのですが、とても短く感じていました。しかし、これまでは異なり、様々な記憶がとても鮮明に残っているのが不思議でした。夢のように過ぎた10年ではなく、南三陸町に行く前の公務員生活や大学院生活と南三陸町での被災者支援活動そして大学教員としての生活が、あらゆる面でつながっていることをひしひしと感じ、極めて具体的に思い出せる10年でした。
退職日を前にして、福島県三春町や猪苗代湖方面への卒業旅行も良い記念になりました。猪苗代湖近くのペンションでゆったり過ごしました。大切な時をしっかりサポートしてくれる。退職という喪失感の中にあって、こんなに有り難いことはありませんでした。
去年の今日は、なんとも複雑な心境で一日を過ごしました。「お疲れ様でした」と言う言葉が、とても辛く聞こえたり、用済みと言われているように聞こえたりと、何となく首をうなだれてしまう一日でした。良く言われる「達成感」や無事に勤め上げた「満足感」とは、ほど遠い感じを持っていたように思います。
そんな時から早1年。今は、喪失感Maxから脱却のリハビリ期間をようやく超えようとしている感じがしています。私は、この1年は必要なリハビリ期間だったように振り返っています。これまでの延長線とは異なる新しい生き方を見つけるために必要な期間でした。新しいと言っても、全く別のものではなく、これまでの生き方を下にして、それを生かす形での「新しい」生き方です。
今日は、昨年とは全く違った一日を過ごしています。過ごし方は現職とは大きく異なるのですが、何か将来に向けて新しい展望が開けるような感じで過ごせています。私は、「明日に希望を持てる生活」、これを理想の姿と考えてきたので、少しだけそれに近づける感じがしてとても嬉しいです。何ができるか分かりません。でも、一歩踏み出す力を振り絞り、歩を進めてみようと思っています。皆さま、こんな私とお付き合い頂き有り難うございます。そして今後とも宜しくお願い致します。
一年間のリハビリ、頑張りましたね。
『これまでの生き方を下にした新しい生き方を見つけるために必要な期間でした』とのこと。パチパチ👏👏👏
リ・ハビリテーションって、WHO(世界保健機構)によれば、単に心身がもとに戻ると言うことばかりではなく「ひとがその人らしく生きる」という、もっと幅広い概念があるようです。
私は生きていく上で、その人らしく、自分らしく生きていくって、最高の人生の目標だと思っています。
いつかのコメントにも書きましたが、これまでたくさんの著名な?先生方の講義や授業を受けて来ましたが、ストンと胸に落ち、感動したのが本間先生のお話でした。そしてなんだかとても前を向きたくなる、希望を感じる気持ちになったものでした。
これからの若い先生方の道標のような存在であることも必要だと思います。そしてやはり、これまでの生き方を下にした新しい生き方で、ますますの本間照雄先生らしい人生を生きていって欲しいなと思っています。
言葉とは難しいもので言霊とはよく用いられるように心が見え隠れして、救われたり、厄介だったり、意図した様に取られ無かったりね。でも、そのなかでも前を向いて来られたのも守られて来たのでしょうね。その精神を遺伝子の中に組み込んでくれたのは脈々と受け継がれてきた祖先の魂だったりして!何時も、何故私は、こんな思考をするのだろうと困惑する事が多い。もっと、楽に生きたいと思っているがそれも祖先の誰かさんの仕業か?今の私が有るのは父、母の苦労多き人生の上に有っての事だと思い感謝しています。
妹さま
兄妹の会話に割り込んでは失礼かと迷い、だいぶ時が経ってからのコメントになりました。
「何時も、何故私は、こんな思考をするのだろうと、困惑する事が多い。もっと、楽に生きたいと思っているが、、」というところが私と似ていると思いました。
私は些細なことが心に引っ掛かり、つい深く考えてしまいます。そんななので、周りのみなさんから思考が遅れがちで歩調が合わなくなってしまいます。自分では協調性が無いとは思っていませんが、いつでも独りよがりの葛藤が続いている気がしています。でも、私ってそんな人間だよなと自分自身を受け入れています。きっと、私の両親もこんな風に葛藤しながら生きていたのでしょうが、その様な姿はあまり記憶にありません。
今更遅いのですが、この歳になってようやく私は世の中の様々な煩わしさから守られてきたのだなと、改めて両親と義父母に感謝しています。
出来るなら、今、両親とゆっくり大人の会話がしてみたい気がして、毎朝仏壇に手を合わせています。
妹さんのコメントから、私はこんな事を考えました。ありがとうございました。