市井の人となった1年を終えて(第4四半期)
2021(令和3)年、年始めには、退職の年でもあることから、以下のような想いを持って初めて経験する時と向き合おうとしていました。「白川静の辞書『常用字解』に寄れば、転の意味は「まわる、めぐる、ころぶ、ころがる、うつる、かわる」の意味に用いる、とあります。これまでの長い現役生活に終止符を打ち「市井の人」となる年であることから、これまでの人生とは異なる新たな生き方への「転換」「転機」となるであろう、この一年を象徴する漢字として『転』を選びました」と。この字の如く、退職からの数ヶ月は、あらゆることがこれまでとは異なり、その一つ一つが次のシーンへの転機となる一年でした。
2021(令和3)年度の後半第3四半期(10月~12月)に入り、生活のリズムが少し出来つつあり、さらには、したいことやできそうなことの糸口が見えてきました。これを慣れたというのでしょうか、自分では少し違う感覚で居ます。少しずつ心の整理が付いてきたと言う方が合ている感じがします。
そして迎えた第4四半期は、新しい年になったと言うこともあるのかも知れませんが、何となく心機一転というような気持ちが湧き起こり、過去を振り向くのではなく、前を向いていこうというような気持ちが湧いてくるような気持ちになってきたように思います。
そのようなこともあってか、これからは時に流されず、その時を刻むようにして、その一瞬一瞬を大切にし、その積み重ねが今日、明日となる、そんな過ごし方をしたいものだと思い、Naritaマルシェの「マルシェCafé」バリスタで有り書家でもある早坂先生に、2022(令和4)年の漢字一字「刻」を書いて頂きました。それでは、例によってこの期間(1月~3月)の主な出来事を振る返りながら考えてみます。
・泉西一地区民生委員・児童委員協議会 1月13日 民生委員・児童委員として、様々な会議や打合せ並びに独居や高齢者二人世帯への訪問が定期的に行われるようになり、活動が本格的になりました。訪問するに際しては、自分でチラシを作って、表面は、豊かな生活を送れるようにと旬の話題を取り上げ、裏面は健康な生活をする上での留意点等を記事にしています。顔写真や連絡先携帯番号を書き「気がかりなことがあればいつでもご連絡下さい」と書き添えました。
・Café de Monk 全国サミット参加 2月25日 ちょっとしたことから栗原市通大寺住職金田諦應和尚とつながり、自らの活動にCSWの視点を持たせたいと言うことから、初めて開催する全国サミットに顧問兼総括講評の役割を頂きました。改めて「傾聴」という活動やお寺が関わることの意味を自分なりに整理し、コンビニと同じくらいの数があるお寺を社会資源として生かし、「心の安全基地」としての役割を担えるようになれば良いよと考えています。このような、思いがけない場所からオファーが有り、わずかばかりの役割を担えることはとても幸せなことです。
・深夜発生した震度6.5弱の強い地震 3月16日23時26分 緊急地震速報を知らせる音とほぼ同時に来た強い揺れに飛び起きました。特に意識することもなく、ヘッドライトを書斎に取りに行き、身分証明書を首からぶら下げ、防寒着をまとって、外に向かいました。この様なときに、どのように振る舞えば良いのか分からなかったのですが、30件ほどの高齢一人世帯等の様子を外からうかがいました。朝になってからは、再度、今度は面接型で訪問しました。幸い、混乱している方などはいなかったので胸をなで下ろしました。有事の時の対応は初めてでしたが、南三陸町被災者支援での知見が生きたように思います。
2021年度の第4四半期に入り、一気に民生委員・児童委員関係の活動が、手帳に書き込まれるようになりました。手帳だけでは、心もとないので、ホワイトボードを購入し2ヶ月分の予定を書き込むようにする等して、毎朝の日課で予定を確認するようになりました。この為、何かしらの講義依頼や打合せが来たときに、これまでのように「いつでもいいよ!」と言えなくなってきました。嬉しいことなのかどうか分かりませんが、生意気にも「日程調整」が必要になってきたのです。
これはこれで、新たな役割を担えることは嬉しいのですが、ライフワークと考えている地域福祉の推進に関しては、これまでとは少し違った考え方をしたいと思うようになりました。これまでは、大学も退職して、地域社会、社会福祉協議会、行政等からの講義依頼が激減したことに、役割喪失に陥り少なからず落胆していたのです。これまでは、役割が無くなったので、何とかして新たな役割を得ようと考えていました。また、趣味などで新たなことに挑戦してみてはどうか等々、どちらかと言えば、これまでしてきたことを続けることに目が向き、これをもって「新たな一歩」を踏み出すと考えてきたように思います。
しかし、この一年の自問自答の繰り返しの中で、こうした方向性には、どうも馴染まず、スッキリしないのです。そこで辿り着いたのは、喪失感は過去に未練を持っていることに通じ、過去の蓄積を現役時代と同じような形で生かそうとするところに問題があると気づいたのです。だかといって、路線を変えるのではなく、これまでの蓄積を、授業や研修会での講義という形から、だれもが各々の意志に基づき参加出来る学びの機会を設け、内容も汎用型に作り替えて地域住民とともに学ぶ。この様な、新たな課題を自分に課し取り組むことで、過去にすがらない「新たな一歩」を踏み出せるのではないかと思ったのです。そもそも、地域福祉は「地域住民と共にある」ことが基本です。この方向性は、基本に立ち返ることでもあると思えたのです。
11月から始めた「かじってみよう“社会学”」は、この様な気づきをもたらしてくれました。学ぶことに喜びを感じ、他者への思いやりが増し、更なる課題意識を身に付ける場、そんな地域に軸足を置いた「学びのプラットホーム」(Learning Platform)があっても良いのではないか、そして、そこにこそ、これまでの学びを生かしつつ新たな一歩を踏む出す場があるのではいかと思えるようになったのです。
わずかばかりの蓄積や経験ですが、それを現在の課題に沿って、みなさんとそこにある意味を解き明かし、地域社会の安心安全に寄与するよう意識向上や実践活動につなげる。この様な場に身を投じることができれば、新たな社会的役割獲得につながるのではないかと考えたのです。
過去にすがらない形での役割獲得に明かりが見えてきました。ようやく辿り着けた様な気がします、皆さま有り難うございました。来年度は、どの様な形にするか只今検討中です。もう少しお待ち下さい。みなさんと一緒に勉強していきたいです。宜しくお願い致します。
この1年を振り返っての記事の最終章を読み、ホッとした方も多いのではないかと思います。
私は先生が抱かれた焦りや葛藤は、必ずしも退職後の方達の想いと一致しないのではないか、と感じていました。これまで積み重ねてらしたことは、ほんの序章に過ぎないと思っていました。むしろ、この先でこそ先生が本当にやりたいことが実現できるのではないかと。「これまでの役割にしがみつきたくない」という想いが強すぎて、心の奥の願いやエネルギーが閉じ込められそうになっていたからこその葛藤だったのではないでしょうか・・・いろいろな記事の文面の間に、先生の心が「そうじゃない!」と訴えているように時折感じていました。
ですから、最後の記事を読んで私も心底ほっとしました。先生が実現させたい「理想の地域や社会」は、しがらみのないこれからこそ自由に創造できるし、伝えられると信じています。
そう思っただけで、私までワクワクドキドキしてきます。これからの時代に大切なのはこの「わくわく感」だと思います。
私も単なる応援団としてとどまるのでなく、共に夢を語り、理想に一歩ずつ近づいていくお仲間の一人にさせていただけたら嬉しいです。