『群青 (合唱曲)』南相馬市立小髙中学校の教師・生徒の願い
恥ずかしながら東日本大震災から11年経つ今になって、初めてこの『群青 (合唱曲)』を聴きました。そして、その歌詞に込められた被災者となった子ども達の想いを知りました。今、福島のみなさんのことが余りにも知らなかったことを反省し、今日から、東日本大震災が起きた3月11日迄は、東日本大震災に関わる内容を書きたいと思います。最初に取り上げるのは、宮城県に近い福島県浜通りの南相馬市でのことです。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事を下にして書いています。
『群青 (合唱曲)』は、南相馬市立小髙(おだか)中学校の音楽教師と震災当時1年生の生徒がつくった曲です。南相馬市立小髙中学校は、福島県浜通りの南相馬市南部の小高区に位置しています。東日本大震災の津波により街が甚大な被害を受け、生徒から4人の死亡者が出ています。死亡者のうち2人は1年生でした。この曲を作りに関わった生徒は、震災当時中学1年生で、もうじき修了する頃でした。この頃の1年生は106名在学しています。
2011年3月11日は、3年生の卒業式が行われ、午前中で学校は放課となり、その数時間後の14時46分、東日本大震災が発生しました。巨大地震が引き起こした津波によって小高の街は甚大な被害を受けます。更に、東京電力福島第一原子力発電所事故によって、小高区が半径20km圏内の警戒区域に指定され、小高中学校も小高区外に避難することになりました。その際、ほとんどの生徒も小高中学校を離れ、北は北海道、南は長崎県まで、全国に散り散りとなりました。
4月22日に新学期を迎え、南相馬市北部の鹿島区にある南相馬市立鹿島中学校を間借りして再開した小高中学校は、生き残った104人の1年生のうち2年生に進級した生徒はわずか6、7人にとどまり、多くは戻って来られませんでした。
原発事故で友だちが全国に散り散りとなってしまい小高地区に戻れないことなど、様々な不安が生徒たちにのしかかり、わずか6、7人の2年生も心を痛め、音楽の授業では歌が歌えなくなっていました。音楽の授業を受け持っていた音楽教諭の小田美樹も歌うことができなかった、誰もが皆、歌うことの難しさを感じていたといいます。
ある日、音楽教師の小田先生は、小高中学校を離れた生徒がどこにいるのか把握するため、大きな日本地図に生徒の顔写真を貼り付けていました。そうしたら、集まってきた生徒たちは、「遠いね」「どうやったら行けるの」「〇〇さんはどうしているだろう」「〇〇市はどんなところなんだろう」「でも、この地図の上の空はつながってるね」など、気持ちを露わにしました。それを切っ掛けにして、2年生の生徒たちと小田先生による詩づくりが始まりました。そして、2年生の生徒たちが3年生に進級していきました。
小高中学校では、毎年、卒業式の時に卒業生が希望や未来を語った歌を合唱することが、慣例となっています。津波で2人の同級生を亡くしたり、遠い疎開先から今もなお戻ってこない同級生などを思ったりする3年生が、思いを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、3年生の思いを地道に小田先生は書き留めていき、それをつなぎあわせて、「群青」の大筋の歌詞が出来上がりました。
この詩に小田先生が作曲して、2013(平成25)年2月、2012(平成24)年度卒業生のための卒業式の歌「群青―平成24年度 小高中学校卒業生に捧ぐ」が完成したのです。「群青」という題名は、小高中学校の校歌に「群青」という言葉があることのほか、小高中の野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の文化祭の「群青祭」といった、小高中を象徴する言葉であることから名づけられました。
生徒たち自ら作詞したこの曲を練習するにつれて、長い間歌が歌えなかった3年生たちも、徐々に歌声を取り戻し、卒業式ではできるかどうか危惧されていた学年合唱で、「群青」を合唱することができしました。
それ以降、この曲は小高中学校の在校生たちに代々受け継がれています。東日本大震災を原因に起こった原発事故のため避難を余儀なくされた福島県南相馬市立小高中学校の生徒たちが、離ればなれになった友への想いや、ふるさとでの再会への決意を歌にした「群青」。
私は、涙が止まりませんでした。そして初めて、この曲が納められたYouTubeにコメントをしました。
「福島の原発事故は現在進行形、ここで歌われている気持ちを支えることは大人の使命。私は、東北の一員として福島を支えていきたい。彼らの気持ちにより添い、彼らの願いが実現できるよう、彼らの「群青の絆」が希望となるよう、支えていきたい(宮城県民)」と。
福島県南相馬市小高地区、長年の友が居を構える地でもあります。色々の意味で、私の中で大切にしたい場所です。
作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生(構成・小田美樹)
作曲:小田 美樹(おだ みき)
編曲:信長 貴富
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』群青 (合唱曲))
『群青』を初めて聴きました。
この曲に込められた先生と生徒たちの願いが、福島に帰りたいけど帰れない人々の心にしっかりと届いたことでしょう。
宝物を沢山残してきたその場所で待っていてくれる人が居ることが、途切れそうな故郷への思いを繋ぎ止めたはずです。
いつでもいい、帰りたくなったときに温かく迎えてくれる場所がそこにあればいいと強く願います。
ちょっといろいろあって、久しぶりにホームページを見ました。(カレンダー見たら3日しか経っていませんが😅)
私もこの「群青」は知りませんでした。
初めて聴きましたが、なんだかいろいろな思いが込み上げて来て、突然涙が溢れました。あの時に離ればなれになった友達は、今はどうしているのでしょうね。
中学一年生だった生徒さんは、もう24歳になりますね。どうか希望をもった人生を歩んでいて欲しいものです。
明日、私の職場では人事評価の面接がありますが、そんなの関係ね―、あの人にもこの人にもこのホームページとのこと教えたいと思います。
本間先生、本当にありがとうございました。
たくさんの人に「群青」を教えました。みなさん感動しておりました。
驚いたのは東北大学の混声合唱団でもこの「群青」を歌っているそうで、その中に小田和正さんもいるそうです🎵
おはようございます。
柳美里さんの「南相馬メドレー」で小高地区の名前を知りました。先生が書いて下さったおかげで隙間を埋めるように、どのような町なのかがわかってきました。
毎年、被災した方々の言葉に触れるこの時期は泣きながら過ごしてきたように思います。
つらいので、今年は少し避けようかと弱気になっていましたが、先生の道先案内でまたご一緒させて頂こうと思います。よろしくお願いいたします。
いくこさん、私のいるところから仙台に行く2つ目に小高駅があります。そのほんの何十メートル歩いての場所に柳美里さんの本屋さんがあります。
私は小高の隣の町でニュースでその事を知り、まだ入ったことはないけど、読書家のいくこさんにはきっとぴったりの空間なんじゃないかな?
フラッと常磐線に乗ってやって来てみて~💞
私も今度行ってみたいです。