春を感じる雑木林

近々、移動傾聴喫茶「Café de モンク」の全国サミットが予定されており、そこで少々役割があることから、勉強と息抜きのために県立図書館に来ていました。図書館に併設するカフェ・レストラン「PANORA」で、しばらく目の前に広がる雑木林を見ています。お店の名前は、PANORAMA(パノラマ)からのネーミングといいます。壁一面に天井まで続くガラス窓は、視覚的には外と内の区別を取り払い、雑木林の中で珈琲を飲んでいる感じを持たせてくれます。気持ちが落ち着く良い感じです。

1月下旬に来たときには、木の根本だけ雪が融けて丸く穴が開いたようになっている「根開き」(「根回り穴」)が見られました。今日は、雪もなく木々の枝も凍り付く感じから一変し、少し赤みかかった感じさえします。立春(2月4日)を過ぎ、暦の上では春と言われるこの時期、ほんの少し「春」が見えた感じがしました。

県立図書館併設レストランから見る雑木林

今、目の前に広がる雑木林は、広い意味では、人里周辺の入りやすい林であり”里山”と等しく用いられます。「雑木林」というと雑草が生い茂った”人の手が及んでいない”または”放置された”というイメージがありますが、雑木林は、古くから人里に近い自然林を伐採し、火で焼き払い、その後に育つクヌギやコナラなどの広葉樹を残して作った人工林なそうです。

狭義の「雑木林」は、焼き払いなどを一度行い、広葉樹などで構成された林、木材用途の主要樹木以外で構成される樹種林、価値の低い樹木で構成される林、薪炭材の用途として萌芽更新される林等と言われ、樹種は、クヌギやコナラの他に、ミズナラ、カシワ、クリなどの落葉広葉樹で、木材用途の主要樹木以外の林を指しています。石炭や石油、電気へと変わるエネルギー革命によって、今では薪や木炭はほとんど使われなくなっています。その結果、現在では雑木林は手入れされることなく、ほとんど放置されるようになってしまいました。さらには、住宅開発のために雑木林はどんどん切り開かれていきました。この開発により、人々の暮らしを支え、子供達を楽しませた里山の雑木林やドングリは、現在では急速に姿を消しつつあります。

「雑木林」は木材としての価値を生み出す樹木は無くても、身近な場所にある里山として自然環境保護の意味では大切な存在で、特に都市近郊では貴重な林と言えます。改めて、この様な風景を身近に見ながら珈琲を楽しめることは、如何に大切で如何に恵まれているかを感じました。

こんな環境に居たからでしょうか、今日も書いているhpの有り方などを考えています。市井に人になってから取り組んだhp「地域福祉研究所」は、2021(令和3)年4月8日「孫の入学式」が実施的なスタートでした。もう少しで1年になります。また、11月8日からは「かじってみよう“社会学“」が開講しました。「なにげない一日は特別の一日」こんな日々の積み重ねが「今日」なんだとしみじみ感じています。

かじってみよう”社会学“では、どんなことを伝えようとしているのか、どのような取り上げ方をすれば良いのか、どうすれば共に学びを深める場になるのか等々、色々と自分との対話をしています。いつも思うのは「分相応」(自分の能力につりあっていること)を超えている(分不相応)のではないか、独りよがりになっていないか等々です。

まあ、何事にも信念はあるけど自信のない私なのでいつものことですが、こんなことを考えながら、雑木林を見ています。彼岸を越えると芽の膨らみが一段と大きくなり若葉も見られるようになるでしょう。そんな時が来るのを待ちわびながら、今日も資料づくりに励みたいと思います。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

春を感じる雑木林” に対して6件のコメントがあります。

  1. やまぼうし より:

    何事も本気で取り組んでいると言うことは、素敵なことだと思います。
    美味しい岩谷堂の本練羊羮でも食べながら、資料作り頑張ってください。

  2. いくこ より:

    宮城県図書館、私も大好きです。
    宮城県民になって1年半で富谷に越してきたのが平成10年3月、図書館の開館と同時期です。
    幼い子ども達を連れてよく通いました、森の中にうかぶ図書館を初めて見たとき、これが図書館!読書にこれほどの力を尽くしてくれている宮城県!ここに住んで良かったと思っていました。ひとりで行くようになってからはガラス越しに雑木林を眺めながら本と一緒にコーヒー、幸せな時間です。
    年を重ねて少しずつ空いた時間を学びの時間にすることができることの幸せ、しかも労なくして、このページを作っていただいたこと、とても感謝しています。

  3. ハチドリ より:

    『「 雑木林」は木材としての価値を生み出す樹木は無くても、身近な場所にある里山として自然環境保護の意味では大切な存在』とありました。これまで雑木林は自然にできたものと思っていましたが、ちゃんと目的を持って作られていたのですね。私は雑木林が大好きです。春は可愛らしい芽から新しい息吹を感じ、そして新緑から深緑へ、秋にはカサカサと落ち葉を踏みしめ、冬も凛としたその冷たい空気に触れたときに気持ちがスッと落ち着くと共に何かに出逢いそうな不思議なワクワク感すら覚えます。

    私が本間先生の「地域福祉研究所」のホームページに感じるものと似ていると思いました。ご家族との楽しく幸せな団らんや歳時記に関すること、あまり周りから反応のない(笑)?アマチュア無線、これまで知らなかった団体のとても感動する紹介等など。そして途中から始まった「かじってみよう”社会学”」は、週1回の講義のようで実は他の日にも随所に顔を出し、「こういうことなのね」とさらに理解を深めていったりしています。これで稼ごうとかではないから、気楽に楽しく参加するのが一番かなと思っています。そして時には自分を振り返って内省してみる時間や締め切りの時間だぁ~と焦る時間もいいなと思っています。

    先生が悩んでいらっしゃる『分不相応か、独りよがりか』ですが、みなさんのあんなに学ぼうという気持ちを感じるコメントを読んで、私は答えは出ているように思います。何かひとつの解答を導くものではありませんし、繰り返しになりますが、”社会学”というものに気楽に楽しく参加でき、時には深く考えてみる時間を持つきっかけになっていること自体が有難いことなんです。先生が何か苦しいなと感じたら、お休みなっていいと思います。でも、そんなことは微塵も感じてなんかいないとも思います、どうぞ、ご自分との対話を続けていただき、また、16講目が始まることを楽しみにしています。

    突然ですが、「すりこ木」って、何の木で作るのが良いかご存知でしょうか?実は、すりこ木の材質として最高なのは山椒の木なそうです。なぜかと言うと、山椒の木には解毒作用があり、擦った際の木の粒子が、冷蔵庫の無い時代には食あたりを防ぐとされていたそうです。現代にその必要はなくとも、自然の凸凹がしっかり握りやすく、すりこぎはやはり山椒の木が最適であると言われる所以のようです。でも、なかなかすりこ木が出来るような立派な山椒の木に出会ったことはありませんが、秋保大滝の方で売っていたのを見たことがあります。すり鉢を最近買ったので今度は山椒の木のすりこ木を買おうかなと思っています。

    こんなすりこ木のことを知って、驚いたり、感動したり。嬉しくなったり、実際にやってみよう、使ってみようと思ったり、まるで先生のホームページはそんな感じです。多岐にわたる内容で、今日はどんな投稿記事なのだろうと楽しみにしている人は多いのではないでしょうか?あまりチャラチャラしたコメントは好みでないのだろうな~と思いつつ、「あ~、そのことについて私も意見言いたい!」と後先も考えないで思いついたことをコメントしたりしてすみません。でも、参加している皆さんと顔を見合わせて(実際はどなたかわからなくても)お話をしているような雰囲気の双方向性のコメントのやりとりができる、初めて出会ったとても有意義なホームページです。

  4. スマイル より:

    宮城県図書館は取り巻く環境も含めて大好きな場所です。オアシスのようなこの場所があってくれることをとても幸せに思います。今なかなか遠くまでいけませんが、ほんのちょっぴりだけれど「旅気分」を味わうこともできますよね。同様に宮城県美術館も本当にお気に入りの場所です。あの環境、そして建物自体が美術館です。移転の話がだいぶ進んでしまったにもかかわらず、一転あの場所に改修という形で残ることが決まったのは、多くの方が同じように感じていたからだと思います。「これはどうしても残したい」と心から願うのもは、諦めずに伝え続けることが大事だということも学ばせてもらいました。そんなことあれこれ考えました。

    社会学を学んだことがない全くの素人の想いで良ければ希望をお伝えさせていただきたいと思います。本間先生の「かじってみよう社会学」は、未知の用語を理解しようと考えているうちに、自分自身を振り返ることができたり、頑張って言葉にすることで整理ができたりと、学ぶ喜びを感じさせていただいています。同時に、いろいろな方のコメントに視野や考えを広げ深めていただいていて、交流の場としてもとても貴重なものと大切に思っています。

    私的にはコメントによって引き出される本間先生のこれまでの歩みが何より心揺さぶられています。第二弾があるとすれば、先生の考えや実践と、学ばれた社会学を結び付けていただきたいと思います。働きながら大学や大学院に通われ、はじめは「学び」から実践にいかすことも多かったのではないかと思うのですが、途中からは「学び」は実践を整理してくれるツールとなっていったのではないか、と思うのです。社会学のどの内容が先生の実践を裏付けてくれたのか、どんな理論が「自分がやったのはこういうことだったのか」と納得させてくれたのか知ることができたら、と思います。

    そういうことが可能なのか全くわからないのですが、実現できたならば、それは「唯一無二の社会学」になるのではないか、と感じるのです。また、大学で「社会学」を学んでいる学生さんたちにとっても、かけがえのない学びとなるのではないか、とも思うのです。

    受講者によって内容が深く耕され、また次の講義を引き出していく、という循環があるのもこのホームページの社会学の特徴であり素晴らしさだとも思います。

    「ずいぶんと無理難題を言ってくるな」と呆れられるかな、と思いながら書かせていただきました。みなさんはどう思われますか?

    1. スマイル より:

      追伸

      本間先生は、公務員としての職務を全うされたと思うので(今でも実質継続中だと思いますが)、なさってきたことを「社会学から見た視点」で語っていただけたら、行政職につく方たちの励みになったり参考になったりするのではないか、と思います。ほとんどの人は働きながら学ぶことは困難であると思うので、この場が「現職の人の学びの場」になったらいいなあ、と。「公務員」に限ったことでなく、「働くことの意味」「役割を果たす喜び」などを知るきっかけになるのでは、と期待します。ボランティアでも、家事でも、きっと根底は同じなのではないでしょうか。
      「無理難題かも」と言いながらコメントし、さらに「無理難題」を重ねているとも思いつつ。

    2. ハチドリ より:

      『本間先生の「かじってみよう社会学」は、未知の用語を理解しようと考えているうちに、自分自身を振り返ることができたり、頑張って言葉にすることで整理ができたりと、学ぶ喜びを感じさせていただいています。同時に、いろいろな方のコメントに視野や考えを広げ深めていただいていて、交流の場としてもとても貴重なものと大切に思っています』

      スマイルさん、まさに同感です!代弁していただいた気分です。ありがとうございます🤗☝️

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