全然電波が届かなかったBritish Columbia QSO Party

ブリティッシュコロンビア州(カナダ)のアマチュア無線家の団体(DX and Contest Club)が主催するContestに参加しましたが、殆ど(全くかな)電波が届かず、全くの不発で終わりました。何か理由はわからないのですが、イタリア局(IZ8CCW)に1局とだけつながりました。

このAntennaでイタリアからの電波をキャッチ

来週の週末は、PACC contest(オランダのアマチュア無線家団体が主催)があります。最初のコンテストは1955年に開催された歴史あるContestのようです。もう準は始めています。既に4eleYAGIアンテナは335度(北北西)に向けています。また、今回は全くと言ってもイイほど交信はできなかったのですが、「今度こそ!」という強い意志を持って臨めるようにDX用のQSL Cardを作成して60枚準備しました。12日土曜日21時(JST)に始まります。みなさん、北北西方向から電波が日本仙台に飛んできます。是非、心眼で感じ取って下さい。

DX用 QSL Card

ちなみに、ハチドリさんがおっしゃるように、Hallo Halloとは言いません。ハチドリさんは、もしかして「Hallo Hallo 兵隊さん、Give me chocolate.」と言ったことのある年代ではないですよね~!小田和正とはだいぶ開きがあるので、まさかとは思うのですが(笑)。私は、英語は殆ど使えないので、決まり切った例文を予め用意して、棒読み状態で会話しています。それでも、英語圏のみなさんは、“Good”といって励ましてくれます。みなさんと同じで、「おだてる」のがとても上手です。

お陰様で、木には登りませんが、DX(外国との交信)を楽しみに、夜な夜な無線機に向かい、雑音の中から微かに聞こえてくるCallsignを聴き取ろうとしています。今の時期は、電離層の関係で少々DXは難しいのですが、春近くになるとコンディションが上がってきます。その準備の為にも耳を慣らしておこうと思っています。

無線機の前に座るときが至福の時間

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

全然電波が届かなかったBritish Columbia QSO Party” に対して1件のコメントがあります。

  1. ハチドリ より:

    あいにく「Hallo Hallo 兵隊さん、Give me chocolate.」と言ったことのある年代ではないのですが、どんなお話なんだろうと調べてみました。

    東日本大震災でもアメリカ軍による「オトモダチサクセン」はとても心に残る国際的な支援でした。このギブミーチョコも戦争に負けた日本でアメリカの兵隊さんから珍しいチョコレートをもらったとてもありがたいお話なのですが、先生、みなさん、このお話の末路を知っていますか?

    『ギブミーチョコの衝撃的末路』とは。
    誰もが生き延びるため必死だった、終戦直後の日本。人々が貧しさにあえぐ一方、国内に進駐した米国軍人たちは、豊かな暮らしを営んでいました。横浜の米国人宅で「メイド」として働く少女ユキエは、ある日街中で、米兵からチョコレートを受け取る子どもたちを見かけるのですが、その時のことです。

    米国人は時折、駐留地と呼ばれる軍人の住む地区の外でも日本人と交わりました。彼らがジープに乗って街中を走っていると「ギブミーチョコレート!」日本人の子どもたちが、車の後を追いかけ二人の米兵のそばに駆け寄ります。彼らは求めに応じ、一人ひとりに板チョコを配りました。その脇を、外出中のユキエときょうだいが通りかかります。「姉ちゃん、俺らもギブミーチョコレートしたい!」。去りゆく米兵たちの姿を見て、妹たちはうらやましそうにつぶやきました。

    しかし、ほどなくして、三人は目を疑うような光景を見ることになります。何と、一人の老婆が、子どもたちの手から板チョコを取り上げていたのです。民家の裏側でひそかに発生した、衝撃的な「事件」です。帰宅後、ユキエが両親にことの一部始終を話すと、思いも寄らない答えが返ってきました。聞けば、老婆は近所の住民で、子どもたちに指示して板チョコを集めていたのです。そしてその「戦利品」であるチョコレートを、闇市で売りさばいているとのことでした。

    「あの子どもたち、みんなばあさんのサクラだからな」「チョコをらえても取り上げられるわよ。お前たちはやらないようにね!」。両親の言葉に、ユキエはただ青ざめるばかりでした。戦後の混乱期、わずかな日銭を頼りに、その日暮らしを送る人々は少なくありませんでした。老婆の行為は、現代の感覚からすればあり得ないでしょう。しかし生き延びるため、誰もが必死だった時代を、象徴する出来事と言えるかもしれません。

    と、横浜の90歳の女性が見た実話なそうです。

    さて、睡眠妨害をされたせいではないと思いますが、カナダとの交信が不発に終わり残念でしたね。でも、今度コンテストを行う国オランダは、日本から見て北北西とのこと。今年の節分で恵方巻きを食べる方角も北北西でした。恵方と呼ばれる方角には、「歳徳神(としとくじん)様」がいるといわれています。 恵方に向かって事をおこなうと、あらゆることがうまくいくとも言い伝えられています。 一年の災を払い福を招くため、歳徳神様の方角を向き、恵方巻きを食べる習慣ができたのだそうです。この故事に習えば、今度はなんとなく交信できるのでは?

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