鹿児島から届いた小さなみかん

母の兄が鹿児島県霧島市に住んでいました。今はなくなって息子さんの代になっています。しばらく交流は途絶えていたのですが、退職を機に「市井の人」となって時間ができたことから、機会を見つけては地元の味を贈り合ったりしています。

今日届いたのは、小みかん、スウィートスプリング、ぽんかん、霧島神社の鉾餅や夕焼けの染まる桜島の写真等々が段ボール箱いっぱいに詰まっていました。「鉾餅」は、霧島神宮でしか購入できないお菓子なそうです。霧島神宮は、天孫降臨の聖地といわれている神社で、神話の中で、神様が天上から高千穂の峰に突き立てたとされる「天の逆鉾(あまのさかほこ)」に由来した霧島神御神饌の鉾餅にかたどった俵型のお菓子です。

小さなみかんは、何となく見覚えのあるような感じを持ちながら、丸ごと一口でほおばりました。一瞬で蘇り思い出しました。母が「鹿児島から送られてきた」と嬉しそうにして私たちに食べさせてくれた、あのみかんの味です。

不思議なもので、小さなみかんを食べながら、普段は思い出すことなど全くない子どもの頃のことや母親の笑い顔が浮かんできました。食べ物とは、そのような力があるのでしょうか。自分にも小さいときがあったのだと、久しぶりに感じました。

何となくですが、私は小さいときのことを封印しているように感じます。正直、小さい頃の思い出がほぼほぼ無いのです。二十歳そこそこで北上町白浜で暮らすようになってからの記憶は鮮明なのですが、それ以前のことは、もやがかかっているかのようにハッキリしません。そのような中にあって、何歳頃かわからないのですが、小さいときに、この小さなみかんを食べた時の一瞬の情景だけを思い出したのです。

70歳も過ぎてこの様なことをいうのも変なのですが、私は人に愛されることに飢えているような感じがします。今更、何を言うかですが「所属と愛の欲求」が満たされていないのかな~(笑)。この様な状態では「自己実現の欲求」にたどり着けそうにないですね。科学的にはどうかわからないのですが、小さい頃に満たされなかった気持ちは、その後大きくなっても何処か心の奥底に渇望感が残っているものなのでしょうか。自分の感覚では、どうもそんな感じがするのです。

小さなみかんとポンカン他
霧島神社と夕焼けに染まる桜島

私は、このような感覚を持っているので、多くの子ども達には、愛情に満ちた暮らしの営みの中で育ってもらいたいと切に願っているのです。例え経済的には貧しくとも、子ども達には、愛情に満ちた環境の中で育ってもらいたい。子どもの時に感じた「愛されている実感」は、生涯にわたってその子の心の奥底に残り、楽しいときも苦しいときも、心の支えになると思うのです。子どもの発達段階に応じた支援の根底には、常に愛ある振る舞いが大切です。なかなか難しいことではありますが、子ども達の成長を見守る私たちは、常に心がけたい振る舞いです。

小さなみかんからだいぶ話がそれてしまいました。今日は、仏壇にも小さなみかんをお供えして母に食べてもらおうと思います。きっといつものように目を細めて微笑んでくれるに違いありません。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

鹿児島から届いた小さなみかん” に対して2件のコメントがあります。

  1. 鈴虫 より:

    私は小さなみかんのエピソードを読んで、『智恵子抄 レモン哀歌』を思い出しました。
    「トパアズいろの香気 
    その数滴の天のものなるレモンの汁」

    先日、お嫁さんが「みかんがひとつ痛んじゃってる どうしましょ」と私に袋を差し出した時、亡き母が認知症が進んでからのこと、袋の中の痛んだみかんをどうすることも出来ずに眺めていたことをパッと思い出しました。
    思いがけないことから母への愛おしい気持ちが呼び起こされ、ボロボロと涙が溢れてしまいました。
    すっかり忘れてしまっていた思い出が、消えてしまったのではなく、こころの奥にちゃんとしまわれていたのを知って驚きました。

    先日のその出来事をきっかけに、私にとってみかんは、ちょっと切ないくだものになりました。

  2. H.Y より:

    美味しそうなみかん🍊がたくさんですね。これからの時期はビタミンCをたくさん摂って元気でいてくださいね。ご仏壇のお母様もきっと喜ばれていることでしょう。

    赤ちゃんは10カ月お腹の中にいますが、生まれてからもさらにお母さんのお腹の回りには見えない子宮があると思って、最低でももう一年間は、常にその中で守って育ててくださいと教えていただいたことがあります。
    「愛されている実感」と言うものは、小さい子供はそのときは感じないのかもしれませんが、やはりその子も愛を持って自分にも他者にも関わり、安定した振る舞いのできる人になっていくのでしょう。

    ご仏壇の前にみかんを供えてどんなお話をお母様となさったのでしょう。優しいお母様はありがとうと微笑んでくれたに違いありません。毎朝、ご仏壇に手を合わせてもらい、お母様はどんなに嬉しいと思っていることでしょう。そんな振る舞いのできる先生はきっとお母様からたくさんの愛情をもって育ててもらった証ではないのかと思います。

    人間は常に一定ではなく、実は常に何かしら変化し、欲求も変化しているように思います。マズローの人間の欲求五階層理論でも欲求は繰り返すと言われています。先生はいい意味で貪欲であり、さらに学びを深めようとしているのではありませんか?

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