かじってみよう“社会学”4講目社会学理論「行為の四類型」

前回の3講目では、行為論の世界に一歩踏み出しました。中学生徒でも分かるって言ったのに、難しいじゃないかとお叱りも頂いているのですが、今の私のボキャではこれ以上かみ砕くのはなかなか難しい(汗)。今日も、ゴチャゴチャ言います、ご勘弁を!

マックス・ウエーバー(Max Weber、1864年4月~1920年6月、独)は、社会学史上の第一人者で、社会学者と言うよりは20世紀最大の思想家とも呼ばれています。

本講では、彼が考えた「行為の四類型」のお話しから始めます。

伝統的行為:習慣的行為や伝統行事のよに「いままでこうしてきた」といった習慣にもとづく行為です。私たちの日常生活場面では大半がこれで占められます。②感情的行為:泣くとか怒るなどの感情が引き金となる行為です。この①と②はともに理性的行為ではないので非合理的行為といいます。③価値合理的行為:自分が信じる宗教的・倫理的・美的な価値観を拠り所にして、目前の事態に働きかける行為です。④目的合理的行為:自分の価値観に立脚しながらも、最大限その価値観を実現するために、今何をすべきか考えて目的を設定し、それを達成するために複数の手段を比較検討し、さらに自分の行為によって生じうる予期せぬ結果も、可能な限り明確にした上で行う行為。③と④を合わせて、いずれも理性が介在する行為なので合理的行為といいます。ウエーバーは、非合理的行為から合理的行為へと進化するといい、目的合理的行為が頂点にあると考えています。

以下は、私がみた「目的合理的行為」の塊とも言える典型事例です。こうした事例が、先進事例としてではなく、地域社会の当たり前の風景になり、そしてその地域の文化として定着していくことを願っています。

市民CSWer研修会in福島
若柳 東お茶っこ会  
Naritaマルシェ学生向けWeb講義

次に、行為の原動力についてお話しします。行為や意味づけといっても、意外と複雑な構造になっています。先ずは行為の原動力として様々な欲求が有り、それらがその場にふさわしく加工されて「行為の目的」が設定されるのです。ウエーバーは、行為は進化するといい、目的合理的行為が頂点にあると考えました。では、その階段を上がる行為の原動力、「欲求」について触れてみます。

欲求論の定番は、A.H.マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908年4月~1970年6月、米)の欲求の五階層説です。人間の欲求は、階層を成して存在しているというものです。最近の学説では、下位の層から上位に向かって一方通行ではなく、登ったり下ったりを繰り返すといわれています。とはいえ、人間の多様な欲求が大づかみにまとめられており、日常の実感にもフィットしていることから人気があり企業研修などでも多用されています。

一番下の第1層目の欲求は「生理的欲求」です。食事、呼吸、排泄、睡眠等生きていくためには不可欠の欲求です。

第2層目の欲求は「安全の欲求」です。安全で安定した環境で生きようとする欲求です。災害時などでは、この「生理的欲求」と「安全の欲求」が重なって求められます。

第3層目の欲求は「所属と愛情の欲求」です。他者と関わり合い人に愛されたいという欲求です。孤独になりたくないという欲求とも言えます。無縁社会といわれる社会関係の状況等に見られる切実な願いは「所属と愛情の欲求」と言えます。職場から放り出され、家族もいない、貯金を食いつぶしながらただ一人でラーメンをすする生活。彼らは、その中で「所属と愛情の欲求」に飢えた生活をしています。最近では「孤食」の問題が話題になります。これは「所属と愛情の欲求」に応えられていない社会問題とも言えます。500円硬貨、コンビニ弁当だけでは「生理的欲求」は満たされても「所属と愛情の欲求」は全く不足している社会問題です。子ども食堂は、少しだけですが「所属と愛情の欲求」を付加した場所と言えます。本来は、家族一緒に食卓を囲んでこそなのですが。

第4層目の欲求は「尊厳の欲求」です。人に尊敬され自尊心を満たしたいという欲求です。何もしないでこれだけを求める方には困ったものです。人前に立ちたい、マイクを持ちたい、結構いますよね。この欲求だけが突出し、「手段的行為」を持って「感情的行為」が加わると、最強の「困ったチャン」になってしまいます。身近にいませんか?

最終段階の第5層目の欲求は「自己実現の欲求」です。なりたい自分になる、自分とは何者なのか、人生の意味とは何か、自分には如何なる役割があるのか等々、こう言った課題に応えようとする「魂の欲求、魂の叫び」です。

全体としては、第1層・2層は身体体的欲求、第3層・4層は社会的欲求、第5層は精神的欲求となります。そして、この欲求は「社会」の中で(人と人との関わりの中で)行われます(生理的欲求は、一人(自己と向き合う)という社会の中で展開することが多いようです)。なので、他者との関わりによって欲求の現れ方は違ってくると私は考えています。

そういった意味では、欲求という行為は社会的行為(social action)です。マックス・ウエーバーの言い方をすれば、「行為者がその意図した意味に従って他者の振る舞いに関わりを持ち、それに方向づけられて経過する行為」です。

これによれは、上記の「困ったチャン」に対しても他者の振る舞い(関わり方)で変わりうる可能性はあると言うことになります。積極的なアプローチは必要ないと思いますが、自己実現を目指した「目的合理的行為」としての具体的な振る舞いを見せ続けるというのは如何でしょうか。いつの日か、気がついてくれるかも知れません。あなたの振る舞いが人を変える可能性は十分あります。

人は社会的にしか変わりません。「社会」は、そのような力を持っています。一番イケないのは、「こやダメだ!」と切り捨て、関わりを断つことです。実在しているのにしていないことにしてしまう、透明人間にしてしまうことです。チャンスを与えるために、いつでも門戸は開いている必要があります。

下図は、私が講義等で良く使うパワポの1枚です。理解の参考になれば幸いです。もう少し行為論を続けます。次回も何とか都合を付けてご参加下さい。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

かじってみよう“社会学”4講目社会学理論「行為の四類型」” に対して9件のコメントがあります。

  1. 阿部 優 より:

    2週目の4講目
    行為論Ⅱ
    マックス・ウェーバー 『行為の四類型』
    ① 伝統的行為・・・慣習、伝統行事
    ② 感情的行為・・・泣く、怒る
    ③ 価値合理的行為・・・自分が信じる宗教的・倫理的・美的な価値観を拠り所にして働きかける行為
    ④ 目的合理的行為・・・自分の価値感を最大限実現するために何をすべきか考え、目的設定、手段を複数比較検討、その行為によって生じうる予期せぬ結果も明確にした上で行う行為
    ①②の非合理的行為から、③④の合理的行為に進化する。④が頂点。

    次に、行為の原動力は欲求であるので、マズローの欲求論を考える。
    1層目 生理的欲求
    2層目 安全の欲求
    3層目 所属と愛情の欲求
    4層目 尊厳の欲求
    5層目 自己実現の欲求(魂の欲求・叫び)

    この欲求は人と人との関わりの中で行われるので、他者の関わり方によって変えることができる可能性がある。社会は変える力を持っている。
    今まで困ったチャンとは付き合いたくないので関りを断っていましたが、いつでも門戸は開けておくことにします。

    今回の講義は、自分の価値観と欲求を再確認するきっかけとなった。
    自分が何を見たりされたりしたときに嫌だと感じるか?を検証することが、価値観を計る方法として有効だとわかった。偉そうな人、弱いものイジメ、自己中な人、道路やコンビニ駐車場に捨てられたゴミ、他責にする人、牛丼屋のアルバイトにマジ切れする人、マスメディアの報道、利用しようと近寄ってくる人、などなど。

  2. welfare0622 より:

    欲求の五段階説に関する説明の中で(パワポ資料)、「介護は生理的欲求のみに終始しているわけではない」とお叱りを頂きました。介護サービスは排泄と食事のことだけを何も考えずに行うことと思っている方がいるのでしょうか、と。

    そう思われるのもごもっともなので補足の説明をします。目的と手段の使い分けが必要になると考えます。要介護者への最も基本的な介護(三大介護:食事・排泄・睡眠)をしっかり行い、心も身体も安心できる環境を整える(生理的欲求→安全の欲求)。こうした環境を先ずはしっかり行う。これは介護施設の介護の基となる大きな役割です。と、同時にこの役割は、次の段階に進むための「手段」レベルの行為です。おうおうにして、介護がこの手段の段階で「刀折れ、矢尽きる」状態になってしまっていることがとても残念です。こうした、心身ともに安定した状況になって、はじめて次の段階に進めます。他者との関わりによる所属と愛の欲求、尊厳の欲求そして自己実現の欲求へと意欲を持って歩めるのです。

    すなわち、三大介護(生理的欲求)は、次の段階に進む心身ともに健康な状況の基礎をつくるという手段的役割です。目的は、その次の段階にあり、最終的には「自己実現の欲求」を目指します。すなわち目的は「自己実現の欲求」を持って頂くことです。

    欲求の五段階説の使い方は、下の段階は低い欲求で「自己実現の欲求」だけが高く尊重されるべき欲求と考えるのではありません。下位の欲求をしっかり満足して頂ける状態をつくるからこそ、次に進めるのです。なので、下位の欲求は次の欲求の基盤となる欲求なので、それはそれで大切な欲求なのです。

    ですから、質問にあったように「三大介護」を基盤とした介護は、欲求レベルの低い段階にしか関わっていないと言うことではありません。大切な事は、「三大介護」を手段として使い、つねにその介護の目的を忘れないことです。三大介護は、自己実現を目指す始めの一歩に過ぎないのです。介護の目指すところはその先にあります。

  3. H.Y より:

    マズローの人間の5階層理論は奥が深いですね。気持ちが整理されます。

    話がずれてしまうかもしれませんが、福島県の食べ物を忌避する人が8.2%いるそうです。じゃあ、91.8%の人が福島の物を買うかと言うとそういうわけではない。8.2%の人を0にしようと必死になるより、「福島の食べ物は、海の物も山の物も果物もこんなに美味しいんだぞ!ここだから美味しいんだぞ!」と認めてもらえるよう頑張っていくことの方がよっぽど合理的だと言う話を聴きました。
    決して8.2%の人を無視するわけではなく、そういう環境になっていくことで、単に食べると言うことが、いつか福島の美味しい物を楽しく食べたいと言う自己実現に繋がっていけばいいなと思いました。

    「困ったチャン」は、もしかしたら実は所属と愛の欲求や承認の欲求が満たされていないのかもしれません。いつの日か気がついてくれるよう、対話を繰り返していくことが大切なのでしょうね。

    パワポ見てちょっと気になったのは、介護サービスも対象者がその人らしく生きることの実現に向けて頑張っているのでしょうかね。そうなったら地域福祉と言う?

    自己実現の欲求は、これでよし、終わりと言うことはなく、登ったり下がったりしつつも、いつまでも進化しながら最後まで続いていくのではないかと思います。と言うか、そうありたいなと思います。

  4. welfare0622 より:

    いくこさん、レポート提出有り難うございます。お待ちしておりました(笑!)。
    日本沈没を見終わってから書いています。このドラマはリアルで引きつけられます。

    かじってみよう”社会学”へのコメントについての返信は、皆さんのコメントを金曜日まで待って、それを土曜日一日掛けて読み返し、私なりのコメントを書き、それを日曜日の朝一番にアップするようにしています。皆さんには、日曜日に読んで頂きたくそうしています。それを読んで、次の講義に取り組むということを期待しての運びです。

    今回、受賞された方の奥様の振る舞いは、私も関心していました。一人黙々とクーラーを掃除していたり、台所の隅々までピカピカにしていたりする等々をよく見かけます。こうした行為を見ることで、私たちもその背中を追いたくなります。正に「具体的な行為を見せ続ける」ことで、私たちに、どうあるべきかを背中で語ってくれています。

    いくこさんも同じです。常に冷静で、物事の後先を考え、先駆的な活動を着実な歩みに仕立てています。そのような姿を多くの仲間は見ています。「具体的な行為を見せ続ける」ことで、仲間を揺るぎのない方向に導いてくれていると思います。とても大切な振る舞いだと思います。他のメンバーも同じです。それぞれ持ち味を生かしながら振る舞っています。そんなNaritaマルシェはとても素敵です。

    次週もコメント楽しみに待っています。

  5. いくこ より:

    鈴虫さんの「一呼吸のスイッチ」、
    一呼吸とはよく言われることですがスイッチと考えるととても腑に落ちて使えそうな気がしてきます。
    阿部さん、年を重ねて見え方が深くなり嬉しく思うことってありますよね。

    昨日、市の功労表彰を受けられた方のお祝い会に、町内会の有志14名が集まりささやかですが楽しい会となりました。受賞なさったのは、新設の町内会を率いて20年間町内会長を務められた方の奥様で、人の集まる度にお茶や食事のお世話、行事の翌日早朝にはごみ拾い、神出鬼没子どもたちに声掛けしながらのバイク姿。参加者のスピーチから、人知れずの小さな行いをみなさん心にとめてきたのだとわかり暖かな気持ちで満たされました。そして私も出来ることをしていこうと改めて思ったことでした。
    先生、これは「具体的な行為を見せ続ける」ということですね。

    日曜日の午後になりました、課題提出に間に合った気分でコメントです。
    なんとかついていきますので、先生よろしくお願いします。

  6. welfare0622 より:

    かじってみよう“社会学”4講目社会学理論「行為の四類型」にコメントを頂きまして有り難うございました。

    スマイルさん。マズローの五段階説から「悔いのない人生とは」への論述展開はさすがです。また、私の行為を事例に取り上げて頂き有り難うございました。確かに、当時(今でもですが)、目的や手段を超えて「せずにはいられない」という情動のようなものが南三陸町へ赴かせたように思います。「我が人生に悔いなし」これを求める旅は、生涯続ける修行という精進なのかも知れません。そんな人生を歩みたいです。

    阿部さん。マックス・ウエーバーとは30年ぶりの再会なのでしょうか。コメントを読み終えて、当時の「知識」という段階で学んでいたことが、現在は「生きる指針」として学ぶ知恵のようなものに成りつつあるように感じました。自分の行為を振り返ることにより、自分を知る機会になれたら嬉しいです。

    鈴虫さん。一呼吸という神様が与えてくれる一瞬の惠が、非合理的行為から合理的行為へ転換するスイッチという解釈は、とてもわかる気がします。素直な気持ちで学ぶとは、「謙虚」と同意語のように思っています。学びには最も大切な姿勢だと思います。

    コメントはしなくても、お読み頂いた皆様、ありがとうございました。まだまだ続きます。どうぞ明日もお立ち寄り下さい。

  7. 鈴虫 より:

    『行為の四類型』についての講義、理解出来るよう何度も繰り返し読んでいます。
    今の理解度で考えてみました。

    私の行為はまだ喜怒哀楽の感情に起因することが多々有るように思います。
    しかし、それは大人の振る舞いとしていただけないよね、ということで何事もひと呼吸おいてからと自分に言い聞かせております。
    もしかしたら、このひと呼吸が非合理的行為から合理的行為へのスイッチなのではないでしょうか。
    日々の行為が、自己実現に繋がる行為の積み重ねであるかということが大切なのですね。

    『欲求の五階層論』では、様々な欲求を登ったり下ったりを繰り返すとのこと。これら行為の原動力としての欲求は、その場面にあわせてバランス良く満たされる必要があり、何れかの欲求に偏って執着すべきではないのかもしれません。

    なりたい自分になるとは、生あるかぎり素直な気持ちで学び続けることなのですね。
    出来ないながらも近づけるように努力していきます。

  8. 阿部 優 より:

    マックス・ウエーバー!お久しぶりです。
    30年ぶりでしょうか。

    当時は、目的合理的行為なんて当たり前じゃないか、と軽く考えていました。大人になった今思うことは、とんでもなく高度な思考と行動なんだということ。

    50歳になりましたが、全然できていません。
    進化してこれからできるようになるんですかね。

    自分の行為、目的を掘り下げて考えてみようと思います。きっかけを与えてくださり、ありがとうございます。

  9. スマイル より:

    今回の章を読み終わった時、最初に頭に浮かんだことは「悔いのない人生とは」ということでした。

    マズローの欲求の五階層説によれば最終段階は「自己実現の欲求」で、「人生の意味」や「自分の役割」などに応えようとする「魂の欲求、魂の叫び」とのこと。その段階になると、もう頭で考えるというレベルではなく、自分の奥深くから湧き上がってくる「せずにはいられない」衝動だろうと思います。そうだとすれば、その最初の段階は「目的合理的行為」とはならないだろうなあ、と思います。「目的合理的行為」は「価値観を実現させるために目的を設定し、手段を比較検討し、予期せぬ結果をも可能な限り明確にした上で行う行為」とのことですが、「せずにはいられない」という想いは、目的や手段どころか、常識を考慮することをも吹き飛ばす力を持っていると思うからです。まずは動き出してしまう、というようなものかもしれませんね。

    例えて言うならば、本間先生が東日本大震災が起こった時、単身南三陸に行き3年間住み込んで支援なさった行為。いてもたってもいられず動き、「目的」「手段」などはずっと後からついてきたものだろうと思います。自分の衝動の意味を考え整理しながら、「目指すもの」を手探りし、そのつど「方法」を考えたのではないかと・・・だからこそ、その「行為」や「実り」は「創造的」で「独創的」なものにもなり得たのでしょう。

    私がこの章を読んで最初に「悔いのない人生」ということが浮かんだのは、その段階まで至れて初めて心から「我が人生悔いなし」と感じるのだろう、と思ったからです。

    私にとって「社会学」はもはや「人生論」と区別がつかなくなってきました。ますます楽しみです。

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