枯れ葉踏み 孫の手を引く 石だたみ
孫親子と四人で山寺(山形県)にいってきました。山寺は通称で、正式にはは宝珠山立石寺といいます。天台宗に属し、創建は860(貞観2)年に天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立されました。当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤められました。現在でも、約百町歩(33万坪)の境内を持ち、その中に大小30余りの堂塔が残され、三つの不滅(法灯・香・写経行)が今尚護られています。三つの不滅とは、開山の際に本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護っているというものです。
今回の山寺行きは、孫が観ているNHKの日本語で遊ぼうという番組で、松尾芭蕉の俳句が取り上げられており、私たちにも馴染みのある俳句「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」が詠まれた場所に連れて行きたいということから計画しました。1689(元禄2)年に、俳聖松尾芭蕉が奥の細道紀行の際この地を訪れ、このの名句を残しましています。
最近、娘家族は、栗駒山を始めとして軽登山に度々行っており、体力が少しずつ付いてきたようで、私たちの提案に直ぐに乗ってきました。秋も深まった来たことから、今回(11月21日(日))が限界かと思い、この日にしました。抜けるような青空の秋晴れとはいきませんでしたが、雲は厚くなく穏やかな晩秋といった感じの中、山寺のある山中に入ってきました。
私は、子どもが小さいときに行ったことがあり、当時の記憶が残っているかとあたりを見回したのですが、全く記憶と現状は違っていました。思っていたよりもお店が多く連なっており、宿坊こそありませんでしたが、門前町の体を成しているように感じました。また、人でも多くチョットした観光地そのものでした。
山門から奥の院まで1,015段の石畳です。往復で約90分ほどです。道中では、山側に沿って様々な仏像が出迎えてくれます。山肌には、数多くの窠(あな)や墓石状に岩を削り出しています。もしかしたらあの窠(あな)は、山岳信仰の修行増が座禅を組んだ場所なのかも知れません(四国お遍路の際に、そのような場所を見たことがあります)。紅葉は、見頃を既に終え、多くの落葉が参道を埋めていました。それもまた風流な感じがしました。
立石寺一押しのビューポイントは五大堂からの眺めです。五大堂から山寺の町が一望でき、晩秋の風情を堪能できました。そうそう、立石寺は、なぜか東北随一のパワースポットで「悪縁切り」のご利益があるそうです。悪縁切りと聞くとマイナスなイメージに聞こえがちですが、悪い縁を断ち切って良縁に巡り合えるようになるという意味とのことです。私は幸いにも既に良縁に巡り会っているので、この良縁が益々深くなるよう手を合わせてきました。
今回の立石寺参拝は、早朝ウオーキングの効果があったようで、思ったより疲れはなく息が上がることもなく参拝出来ました。レベルは違いますが、四国歩き遍路も夢ではないかも知れないとチョットだけ根拠のない自信を持ってしまいました(笑)。
帰り道に山形なら日本蕎麦だろうと、おそば屋さんで看板の品という「板そば」を食べてきました。とても美味しかったのですが、途中でお腹がいっぱいになり、最近、歳のせいで小食になってしまったのかと思ってしまい、チョットがっかりしてしまいました。帰りしなになにげにメニューを見たら、「板そば」は二人前の量ですと書いてありました。歳のせいではなかったとお腹をさすりながらお店を出ました。深まりゆく秋を孫と一緒に楽しんだ何とも幸せな一日でした。
タイトル!しゃれてますね。
私もH.Yさんと同じでいつ行ったかなと思っています。
何度か行っていますが真夏の暑い日、頂上付近の日陰がとっても涼しかったことが記憶に残っています。子どもの頃ですから半世紀前になりますが、そんなことから下から眺める以上に高低差があったのかなと思い出しています。
お孫さんの記憶には何が残されたのでしょうか、楽しみですね。
いくこさん、ほんと、素敵な俳句ですよね。
後ろから微笑んで見ている様子が伝わってきます。
ご家族皆さんで楽しそう。お天気が良くて良かったですね。きれいな青空✨
山寺、最後に行ったのはいつだったろうかと思い出そうとしていますが思い出せません。ラ・フランスを買った記憶はあるのですが。
ウォーキングの効果が出ているようでいいですね。そういう話題を聴くと焦ります。私も運動しなくっちゃ❗️
板そば、私は2人前食べれる自信あります(笑)