慈眼寺住職の言う高齢者の役割
9月20日の河北新報朝刊に、大峯千日回峰業及び四無行の荒行を満行した塩沼亮潤慈眼寺住職が執筆した「高齢者の有り様」についての興味深い寄稿が掲載されていました。「次代を担う若者の肥やしに」と題したもので、大変心に残る内容が綴られていました。
前段では、修業時代のことが記されていました。数々の修験の荒行を達成した師匠は「日々の日常の生活全てが修行」と言うだけで、荒行から得たものを学びたいと思ってお寺の門をたたいた者としては、拍子抜けしたと言います。お寺の修行生活は365日同じことの繰り返し。それは、熱量を下げずに同じことを繰り返し修行することにより、悟りに至る可能性があると釈尊が説いたからだと言います。朝から晩まで続く修行や作務を繰り返しながら手探りで自分自身の内面を磨いていく。
そうしているうちに、行いを慎み、言葉を慎み、心を慎み、誰が見ていても見ていなくても常に慎み深く自分を律して生活をしていくと、やがて師匠の一挙手一投足が「品格があり美しい」と率直に感じられるようになったと言います。心の中で師匠は憧れの存在になり、自然にその後ろ姿を見て、まねている自分に気がついています。師匠が言った「ただ一緒に生活をしてわしの後ろ姿から学んでもらうしかないんや」という言葉そのものだったと言います。その姿から放たれる雰囲気に魅了される、これが人を育てる真の教育と語ります。
後段では、山での修業の思い出を語っています。倒れた老木の脇から無数の若木が芽を出していました。老木は月日を重ねる毎に肥やしとなり、年を追う毎に若木が育って行く。その様が大自然の姿です、と。
最後には、『私たちもこの世に生まれ、やがて年老います。その時何をすべきかというと、次の時代を担う若者たちの肥やしとならなければならないということです。理屈抜きに若者たちがまねをしたくなる美しい生きざまや品格を示す。高齢者には、こうした重要な役割があるように思えてなりません』。と、結んでいます。まさしく!かくありたいと深く思いました。
「その姿から放たれる雰囲気に魅了される」そんな高齢者、本物の“大人”になりたいです。日々の一挙手一投足を大切にしたいと改めて思いました。また、家の周りの雑草取りという作務を通しての「修行」。同じことの繰り返しにも意味があるのだと知りました。まだまだ雑念だらけの作務で「品格があり美しい」所作にはほど遠いのですが、続けることに意味を見いだし明日からも励みたいと思います。
子どもたちに、学生に、本物の大人の姿を見せる。また、大人は「大人としての自覚」を持った振る舞いの有り様を学ぶ。地域福祉の推進にはこの様なことが大切なのだと改めて思った機会でした。
素晴らしいメッセージをありがとうございます。「日々の一挙手一投足を大切にしたい」という言葉に心から共感いたしました。
「大人の日々の姿に希望を感じられなかったら、子どもたちも若者も将来に夢を持つことはできない」といつも思ってきました。コメントを寄せていらした鈴虫さんはじめ、同じような気持ちでいる大人がいるということは何と嬉しく心強いことだろうと思いました。
私もまずは、今日の夕飯の支度から心を込めて行い、感謝していただき、今日一日に感謝して眠りにつくようでありたいと思います。
いつも立ち止まって考えるきっかけをありがとうございます。
スマイルさん、有り難うございます。
この頃、特に思うんです。ご指摘の「大人の日々の姿に希望を感じられなかったら、子どもたちも若者も将来に夢を持つことはできない」の言葉にはとても強く共感します。
少し前まで大学で教鞭を執っていましたが、その時、学生を連れて地域の活動を参与観察させたのです。そこで、地域の方々が学生と意見交換をしていたんです。地域の方々、すなわち大人の方々が、自分の人生を振り返りながら、人生を語り夢を語っていたんです。後々、学生にレポートを書かせたら、その時の大人(地域の方々)の話が最も印象に残ったと!大人が本気で地域を語り、人生を語る姿に憧れや敬意、尊敬の念を持っていたのです。その事をこのコメントから思い出しました。
同時に、そうした大人の振る舞いは、一朝一夕にできるものではないのだと、後段のお話しで気づかされました。普段の小さな振る舞いの積み重ねが大切なんだと。
毎日まいにちの感謝や心を込めた関わりが、その方が醸し出す雰囲気をつくりだすことを改めて学ばせて頂きました。有り難うございます。
正しく、美しい所作にあらわれるのは大人の品格なのですね。
今どきの若者に物足りなさを嘆くより、後ろ姿から感じてもらえる私自身が品格ある大人を目指さなくてはいけません。
他人は変えられない、変えられるのは自分というわけなのですね。
心に刻んで、出来ないながらも出来る様に目指して参ります。
今日も有難うございます。
鈴虫さん、コメントを寄せて頂き有り難うございました。
「他人は変えられない、変えられるのは自分」というのは、交流分析で使われる考え方です。相手だけに変化求めるのではなく、自分が変わることで、相手を受け止めるという考え方です。こういう考え方が出来るようになると、自分の生き方が、より「ポジティブ」になれるような気がしています。
今日は、有り難うございました。