お彼岸でお墓参り

彼岸の入りの前日ですが、お墓参りに行ってきました。我が家と妻の菩提寺は宝珠山壽徳寺(仙台市青葉区)です。お地蔵さんを挟んで隣り合わせにお墓があります。本間家が墓を持つのにあわせて斎藤家のお墓を移設して、この様な形になりました。

お彼岸の入りの前日なので、それほど多くはありませんが、それでもあちこちにお墓参りをする方がおり、黒一色の墓石に様々な仏花が備えられ、年二回訪れる華やいだ雰囲気の墓地になっていました。

仏教を普段は意識しない私でも、毎年3月と9月にお墓参りをする、それが「お彼岸」です。古くから日本人にとって切っても切り離せない文化である「お彼岸」は、仏教用語でサンスクリット語の「パーラミター」という語を意訳したものと言われています。「パーラミター」を音写すると「波羅蜜多」。般若心経の冒頭のくだり「般若波羅蜜多」です。

この「パーラミター」は、もともと「完成する、成就する」などという意味を持ち、特に仏教においては欲や煩悩、苦しみに塗れた輪廻の世界を脱し、迷いのない悟りの境地に至ることを表します。この悟りの境地「パーラミター」を、川を挟んだ向こう岸、すなわち「彼岸」に例えたのが私達日本人の伝統行事「お彼岸」なのです。日本古来の自然観や先祖崇拝と融合し、私たちの生きる世界をこちら側の岸「此岸(しがん)」といい、亡くなったご先祖様の生きる世界を「彼岸」と考えるようになったのです。

太陽が真東から上り真西へと沈む春分の日と秋分の日は、彼岸と此岸とが通じやすくなると考えられ、それらの時期に先祖供養をすることで、ご先祖の冥福を祈るとともに、自らもいつか迷いのない此岸に到達できるよう願ったのです。「お彼岸」は、彼岸と此岸(あの世とこの世、すなわちご先祖と私たち)とが交流する行事であり、そのための場所が「お墓」なのです。お彼岸にお墓参りをする理由は、この様なところにあります。

こうした由来を持つことから、仏教のルーツであるインドや中国には、お彼岸という行事はありません。仏教を開いたお釈迦様は、もともと霊魂の存在を認めていません。人は死後49日で別の存在に生まれ変わる(輪廻転生)か、輪廻転生の世界から解脱するか、いずれかの道に進むというのです。ですから、ご先祖があの世にとどまり、お盆やお彼岸の時期になるとこの世にやってくるというのは、お釈迦様本来の教えではなく、先述のように仏教が伝わる以前から存在していた、わが国古来の先祖崇拝信仰の名残りです。

お彼岸のお供え物といえば、春彼岸のぼた餅、秋彼岸のおはぎが有名です。それぞれ春の花である牡丹(ぼたん)、秋の花である萩にちなんだものです。一般的にぼた餅はこし餡、おはぎはつぶ餡で作ります。秋に収穫される小豆は、春になると皮が固くなって食べづらいので、春のぼた餅にはこし餡を使うのだと言います。その他、落雁(らくがん)などのお菓子を供えることも多いですね。何より大切なのはご先祖に喜んでもらうことですから、生前好きだったものをお供えするのも良いようです。

私には、是非「ようかん」をお願いします。お茶は濃いめで熱いのを備前焼の器でお願いします。

菩提寺 宝珠山壽徳寺(仙台市青葉区)
将来の移住予定地

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

お彼岸でお墓参り” に対して1件のコメントがあります。

  1. S.M より:

    先日、他宗派の葬儀に参列する機会がありました。人が亡くなり葬儀までの儀式の中で、私がこれまで見たことのない供養のしきたりに触れました。
    お釈迦様の教えでは霊魂の存在を認めていないということを知れば、なるほどと納得のいく供養でした。

    私達は自分の価値観や常識が世の中のあたりまえと勘違いしがちですが、様々な教えや価値観があることを認識して尊重し合うことが大事なのですね。

    何事にも理由がある、何故そうなのかという視点を忘れずに過ごしたいと思います。

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