朝取り野菜のおすそわけ
今朝も、家庭菜園からキュウリと二種類のミニトマトを収穫しました。キュウリは収穫のピークを越えつつあるようですが、ミニトマトはこれから益々、収穫量が増えそうです。
収穫した野菜の半分をお隣の娘・孫に「おすそわけ」しました。孫の小さな手の乗るとミニトマトは、ことさらに新鮮で美味しく見えます。私は、孫に「おすそわけ」という言葉やその振る舞いを身に付けさせたくて、機会ある毎に「おすそわけ」を言葉にしています。
そのようなこともあって、改めて「おすそわけ」の言葉の成り立ちを紐解いてみました。
御裾分け(おすそわけ)は、「裾分(すそわ)け」の丁寧語です。お福分けともいいます。他人から貰った品物や利益の一部などを、さらに友人や知人などに分け与えること。「すそ」とは着物の裾を指し、地面に近い末端の部分というところから転じて「つまらないもの」という意味があります。よって、本来目上の人物に使用するのは適切ではないようです。一方、お福分けは「福を分ける」意味であるゆえ目上の人物に使用しても失礼に当たらないとされています。
おすそわけ(お裾分け)という言葉は、語源・由来があるわけではなく、単語の持つ意味からできた言葉です。お・すそ・わけ、と分けてそれぞれの意味を見てみます。
「お」は、丁寧語です。相手に対する言い回しを丁寧にすることで、敬意を表す言葉です。「すそ」、漢字では“裾”となります。ここでの「すそ」の意味は、衣服や着物の下の縁(ふち)の部分を指します。衣服のすそや着物のすぞの「端の方」が転じて「端のもの」「つまらないもの」という意味になりました。「わけ」は分けるです。分配する、一部を他者に与える意味になります。
この、お・すそ・わけ、の全部の意味を合わせると、「つまらないものを他者にお分けする」となり、それが転じて、「自分には沢山あって余分があるので他者にお分けする」という意味になりました。この為、目上の方には、使わない方が良いといわれています。目上の方には、「お福分け」を使った方が良いようです。「お福分け」は、おめでたい時に頂いたものをお分けします、めでたい福をお分けします、という意味です。
私は、これまで「おすそわけ」は「共助」(お互い様)的な意味合いと理解して使ってきました。社会全体が貧しかったときや物資がそれほど豊富ではなかった時代を経て、現在の生活の中まで長い間使われて来ています。
地域共生社会の構築を求められている現在、よりこの言葉「おすそわけ」を使う必要があるのではないかと考えています。この「おすそわけ」は、「共助」「資源の有効利用」「コミュニティ活性化」といった意味合いを持った「新たな生活文化」として、あたりまえの日常の中で使われ続けて欲しいと願っています。