市井の人になって三ヶ月過ぎました
県職員を2011(平成23)年3月に退職して直ぐ南三陸町に行政ボランティアに赴き、3年現地に留まって被災者支援や町の復興に関わり、仙台に戻ってからは宮城県社協や宮城県サポートセンター支援事務所で県全域を対象にして被災者支援に関わって来ました。同時並行で東北学院大学の教員をしていましたが、2021(令和3)年3月に東北学院大学を退職して、何処にも所属しない無職になり、正真正銘の市井の人になりました。
県職員を退職した後に10年間の活動期間があったので、事実上の退職(何処にも所属しない無職)は、今ということになります。40年(県職員)+10年(被災者支援と大学教員)の生活が一変しました。これまでは、様々な予定や準備日程がA5版の手帳にそこそこ記載されていました。それが今は、“真っ白”で、何をするでもなく、書斎に籠もっています。今、人生初めての経験に直面をしています。
これまで、私は、地域住民や認知症学びの講座で、健康的な生活を送るためには「きょういく」と「きょうよう」が必要だと説いてきました。「きょういく」とは、今日、行くところがあり、そこには顔なじみに仲間がいることを指します。「きょうよう」とは、今日、用事がありそこには何らかの役割があることを指します。今の私に欠けているのは、正に「きょういく」と「きょうよう」のようです。
何もすることがなくて書斎に籠もっている。これは、正しい表現ではないです。何もすることがないのではなく、やっていないだけです。生活をするためには、細々とした家事という“仕事”があります。私は、全くそれをやっていません。退職してから、歩数を比較してみたことがありました。奥さんとは、唖然とする程の差がありました。私は数百歩で、奥さんは何処かへ出かけているわけでもないのに三千歩を超えていました。
私にとって「何かをする」とは、外で何らかの依頼にもとづいて行う仕事を想定しています。家事は想定に入っていません。なので本当は、何もすることがないではなく、何もやっていないが正しいのかも知れません。なので、奥さんの前では、「何もすることはない」などとは、口が裂けても言えません。そんなこといったら大変なことになってしまいます(汗)。
土曜日や日曜日は、心穏やかに過ごすことができます。書斎でアマチュア無線に興じたり本を読んだり新聞や雑誌の切り抜きをしたりと、これまでと変わらない時間の過ごし方だからです。問題は、平日です。これまでの生活では、ネクタイを締め与えられたまたは自らつくった仕事に多くの時間を費やします。家に戻っても資料づくりなど、時間が幾らあっても足りない感じの生活でした。それが今は、ネクタイを締めることも資料づくりに追われることもありません。あるのは、「何もしていない」という心苦しさと罪悪感だけです。仕事中心の生活から解放されたとたん、時間の使い方が分からず途方に暮れている状態です。
幸い、このままではまずいという自覚は有り、何か考えなければと様々手を尽くそうとしているので、そのうちに何か見つかるのではないかと根拠のない「楽観視」しています(笑)。
何もしていないとはいえ、これまでの三ヶ月で、10年越しの四国八十八ヶ寺巡拝をしたり、山形県出羽三山をお参りしたりと、やりたかったことができたり、中学校で防災活動の講義や認知症学びの講座に立ったり、みやぎボイス2021で社会学的な視点で被災者の置かれている現状を論じたりと、周りの方々からご心配頂き、何らかの出る幕を頂いています。とても嬉しいことです。
市井の人になって三ヶ月、只今、未知の体験を積み重ねている最中です。これからも何もない状況になれていくのか、何らかの出番が舞い込んでくるのか、毎日作務という修行を重ねながら自分の生き方を見つめているところです。どうか皆様、これからも本HPを通して生存確認を宜しくお願いします。また、退職後の仕事人間の機微(表面上は分かりにくい人の心の微細な動き)を面白おかしく読んでやって下さい。市井の人になって三ヶ月の振り返りでした。これからも末永く宜しくです。