みやぎボイス2021に参加しました
みやぎボイス連絡協議会(日本建築家協会宮城地域会・みやぎ連携復興センター・宮城県災害復興支援土業連絡会・東北圏域地域づくりコンソーシアム)が主催する「みやぎボイス2021」に参加しました。コロナ禍ということもあり、せんだいメディアテーク会場とZoomを使ったWebの二次元の組合せで行われました。
今年のテーマは、『~東日本大震災から10+1年目を迎えて、私たちは何を語ることができるのか~』をメインテーマにして六つのラウンドテーブルで意見交換が行われました。各テーブルのテーマは、A「孤独死」B「なぜ地元で復興検証が出来ないのか?」C「防潮堤とくらし」D「高台移転と家族」E「原発事故と社会的分断」F「まちと暮らし」と、何れも興味深い内容でした。
私が登壇したのはDテーブル「高台移転と家族」です。パネリストは、餐庭伸さん(東京都立大学)、我妻和樹さん(映画作家「波伝谷に生きる人々」)、阿部晃成さん(宮城大学)、川島秀一さん(東北大学災害科学国際研究所)、後藤一磨さん(復興みなさん会:南三陸町)、矢ヶ崎大洋(兵庫県立大学)と私の7人です。ファシリテータは、浅見雅之さん(神戸まちづくり研究所)及び真壁さおりさん(社会福祉士)の二人で進めて頂きました。
ファシリテータの浅見雅之さんは、7,8年前に熊本県復興支援で南阿蘇村などを訪れたときにお会いしていた方でした。パネラーのお一人おひとりの意見を上手く引き出して頂きました。
登壇者それぞれから5分から10分のお話しを頂いた後に、それぞれのお話しを下にして深掘りしていく形で議論が展開して行きました。
そのような中で、「住民」とは誰を指すのかとの疑問が出され、住民不在の議論が成されているのではないかとの主張でした。様々な事情で街を離れると「住民ではない」扱いをされている現状を強い口調で訴えていました。これに対して、それぞれの方々から意見が出されましたが、それぞれの発言の下になっている「住民」をどの視点で捉えているかに混在があるような議論になっていると感じました。
そこで私は、「住民」の捉え方には、三つの視点が有るのでは無いかと発言しました。
①行政の考える住民。行政は、住民票の有無で住民か否かを判断する。
②地域の人々が考える住民。地域の人々は、契約講や結い等の伝統的な生活文化や顔見知りの関係性を下にして土着性で判断する。
③個々人が考える住民。個人は、自分自身の生活記憶や愛着で判断する。
この様に、分類してそれぞれの例を示して説明しました。例えば、震災で地域を離れた人は、その土地が個人の考えでは「故郷」ではあるが、地域社会としては、元いた人ではあるが「地域の自治」には参加(口出し)出来ない。行政は、住民票がないとそもそもサポートの対象には入らない。こうした三つの視点で「住民」の捉え方を整理し、何処に問題があるのか、どうすれば人口減少や限界集落化する地域社会を維持できるのかを考えるべきだと発言しました。
私たちのこれまでの住民、コミュニティーは、土地にこだわって考えられて来ました。日本人は、土着性(土地に執着した生活習慣)がとても強い民族だといわれています。このようなことから、コミュニティを考える際も、地域に住んでいる人を中心に物事を考えるようになっていると考えています。
しかし、生活スタイルの多様化、人口減少による限界集落化、自然災害、原発事故等々の理由で、コミュニティを土地とワンセットで考える事が難しい現状も出て来ました。これを受けて、だいぶ前から「交流人口」「関係人口」等の言葉が生まれています。また、その土地を離れた人も含めてコミュニティの活性化を図ろうとする「拡大コミュニティ」の提案もあります。
私たちは、人口の減少や職場・社会資源の偏りに対応する為に、新しい生活文化を創っていく必要があるのではないかと考えています。住民を一ヶ所に集めて社会資源の効率化を図るコンパクトシティー化等は、東日本大震災でも具体的に進められています。一方、若者が集落を離れ人口減少が著しい集落でも、村の伝統的なお祭りや神仏に関わる行事には、全国から集落に戻りコミュニティの一員として振る舞える。原発事故で町を離れ、他市町村に生活の拠点(住宅)を建てた方が、お墓参りや週末にもとの自宅を別荘化している事例などもあります。
突然起きた新型コロナウイルスにより、直接・対面から間接・遠隔等々私たちの生活様式は大きく見直しが求められています。コミュニティの有り様も、出来ないことも多いのですが、コロナ禍によって新たに、時間と場所(距離)を超えるコミュニティの可能性に気づき始めています。「新しい生活様式」は、何もコロナ対策だけではありません。人口減少社会にあっても、以前にも増してコミュニティの活性化や人と人との関わりの分断阻止に生かせる「新しい生活様式」をつくりだしていく好機を手にしているのだと考えても良いのではないでしょうか。