誕生日は母への感謝の日

今日は誕生日(6月22日)。朝、家の周りの草取りの作務をしてその後にお経を読むという一連の修行を終えて、朝食など一息ついてから菩提寺の寿徳寺へお墓参り。

いつ、誰に聞いたのか忘れてしまったが、誕生日は、母に感謝する日でもあるのだそうです。感謝をする相手は、平成25年に瑞雲慈香清大姉の名を頂いて西方浄土に旅立ち、もっかお釈迦様の下で修行中です。お墓を掃除したりお経を上げたりする供養は、修行中の故人への応援になるとのことです。そのようなこともあって、誕生日の今日、菩提寺に行ってお墓掃除をしてお経を読んできました。

今日は、母への感謝と一緒に、これまでの人生を振り返ってみたりしました。それで、気がついたことがありました。定年退職後の10年が、私の中からすっぽり抜け落ちているような気がするのです。定年までの公務員生活は、公僕としての仕事、勤労の義務(日本国憲法第二十七条一項)としての仕事、そして家族を養うための仕事として、ひたすら走り続けた40年でした。それ以降の10年は、忘れているわけでも思い出したくないわけでもないのですが、思いだそうと意識しないと出てこないのです。

この10年は、東日本大震災と共にあった10年です。記憶というのは、楽しいことは残り、辛いことや悲しいことは弱くなっていくといわれています。東日本大震災と関わったこの10年は、辛いとか苦しかったとかと意識したことは全くないのです。しかし、もしかすると非常に大変な時を被災者と共に過ごし、少なからず心にダメージを受けていたのかも知れません。それが、影響して強制的に思い出すようにしないと当時のことが出てこないのかも知れません。

私の中では、公務員を勤め上げた60歳から一気に70歳まで飛んでしまいます。しかし、この10年は、南三陸町及び宮城県沿岸部市町と東日本大震災からの復旧・復興で関わり、大学の教壇に立つなど、これまでの公務員生活とは一線を画する激動の日々でした。それが今、遠い世界の出来事のように思えるのです。理由は分からないのですが、何かとても変な感じです。

年齢を重ねると、45歳前後を境に考え方のベクトルの方向が反対になるといいます。そして、この時期には様々な迷いが生まれやすく(中年クライシス)、一方でこの時期の出会いは、生涯続く大切な出会いになるといわれています。若い時代は、右肩上がりで「昨日より明日に価値」があります。一方、中年クライシスの時期を越えると、右肩下がりになり「昨日より今日が低下」となり、昨日に価値を持ちます。

こうしたことから、若者は明日を語り、高齢者は昨日を語ります。私は、正真正銘、右肩下がりの年齢です。油断をすると過去の話だけを持ち出すかも知れません。そのようなことを未然防止する意味でも、出来るだけ若い方々と関わり合い、彼ら彼女らの明日に希望を持つ考え方を吸収するように意識したいと思っています。

これからの10年は、私の中では社会貢献生涯現役を実現する為の10年です。そんな生き方をする自分でありたいと、今日母親に語りかけてきました。

これから美味しい珈琲を淹れて、味と香りを楽しみながら、右肩下がりの人生をどう生きるか考えてみます。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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