無欲の学びは輝いている

この春から、通信教育で修士課程に身を投じている方がいます。百万単位のお金を投じて、給料が上がるでもない、地位が高くなるでもない、そのような中で、自分の志だけを拠り所にして、仕事を終えてから睡眠を削って教科書をめくる。生半可な気持ちでは取り組めません。

わずかな時間でしたが、勉強の様子を聞きました。オンデマンドで授業を受けているのでしょうか、その方は、短くても100分、長いと120分の講義時間が「あっという間に過ぎる」と話していました。凄い集中力だし、興味深く授業を聴いているからなのだろうと思いました。

授業を受け始めてからのお話を聴いて、物事(今見えている現象)の背景やそこに至った経緯を見ようとする考え方ができるようになり、ものの見方に広がりや深みを感じている様子がうかがえました。こうしたことは、「学び」の面白さだし醍醐味でもあると思います。

自由にできる時間が少ない中で、大学院修士課程の勉強を続けることは、並大抵のことではありません。そんな中にあって、肩肘張らずに、これまで以上に仕事のことや日々の生活の出来事に興味関心を深め、その事象の根底にあることに視点を置いている。格好いいな!って思います。

レビンソン(Levinson,D.J)の発達段階説によると45歳前後は、「人生半ばの過渡期」といわれ、これまでの人生を振り返りこれからの人生の有り様を考える時期と説明されています。これまでの人生の経験や知見を、これからどう生かしていくのかを考えるとき、二通りのやり方があります。一つは、これまでの経験や学びを生かして、格好良くいえば更にそれに磨きをかけていく、別の言い方をすると「過去の経験に依存して過去の蓄積を繰り返す」。もう一つは、これまでとは決別し、体力知力の右肩下がりを否定せず、それを前提として新たな自分を作り上げ、これまでとは違う自分を見いだそうとする生き方です。

私は、この時期を東北学院大学大学院及び東北大学大学院で地域福祉の基本を身に付けるやり方で、新たな自分の有り様を見つけようとしました。この時期を設けられたことで今の生き方があります。

大学での学びだけが「学び」ではありません。最近、薬草・ハーブの通信教育を始めた方がいます。山菜を始め、食材の生かし方に興味関心があり、植物の持つ力をもっと知りたいという気持ちが、一念発起させています。とても素敵な生き方だと思います。

学ぶ姿はとても生き生きとして人生を前向きに生きている様子を見て取れます。学びは、新たな自分との出会いを演出してくれます。きっと、自分の知っているこれまでの自分と違った自分と出会うことでしょう。それに気づいたとき、初めて学びの大切さを実感すると思います。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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