キャッチボールの練習
小学学校1年生の孫は、お父さんの特訓の甲斐あって自転車の乗れるようになりました。お父さんは単身赴任をしているので、週末しか家にいないので、その間を私がサポートしました。お陰様で、自分の子育ての時には十分してあげられなかったことを今孫にしています。
自転車に乗ることができるようになったので、次の段階に進むことを娘に提案しました。それは、球技の基本「キャッチボール」です。私の提案に、娘も孫も「やってみたい」というので、早速スポーツ用品店に行って、子供用のグローブと大人用のグローブ、それにボールを買ってきました。孫には財布のひもが緩い私です(笑)。
自宅に戻って早速、前庭の芝生で練習を始めました。まだ、グローブやボールの扱いに慣れていないので、ゴロのボールを拾ってゴロで返すことから始めました。その程度のことでも、ボールをトンネルしたり、ボールを叩くようにして止めたりと、まだまだキャッチボールにはほど遠いレベルです。
子どもと一緒に遊べる期間はそう長くありません。親子が遊べる時間は、子どもの心の安定や心の成長に大切な時間です。子どもの記憶の奥底にいつまでも残り続ける大切な時間だと思います。そのようなこともあって、孫がお父さんと楽しく遊べる機会の基となることをつくって上げたくて「キャッチボール」を提案したのです。私がしたいというのではなく、孫親子の関わりの機会を設けてあげたいというのが動機です。
私は、二人の子どもの親として、十分関わって来たのかというと、心もとない記憶しかありません。それ故、親となった娘の子どもに、足りなかった分を注ぎたいという想いがあるのかも知れません。幸い、娘は隣に住んでいるので、何かあればすぐにやってあげることができます。でも、息子は東京のマンション暮らしなので、何もしてあげられていません。申し訳ない気持ちで一杯です。隣の孫と何かをしたあとは、いつも長男の孫の話になります。生活環境も含め気がかりなことばかりです。
子どもとお父さんが自転車練習したりキャッチボールをする姿は、私が描いていた象徴的な親子像です。私にはそのような記憶が無いので、せめて自分の子どもやその孫には、このような子どもの頃の記憶を持たせてあげたいと思っているのです。子どもに、孫に「心の安全基地」を持たせてあげたい。子ども(娘)そして孫の様子を見ながら、そんなことを考えながら、今日もお父さんへの繋ぎのキャッチボールをやっています。