身近に感じた環境問題

毎朝の作務にオープンデッキの雑巾がけがあります。我が家のオープンデッキは、軒先が短いために、雨が降ると雨が吹き込んでしまい濡れてしまいます。板張りのデッキなので、土埃などで汚れるのではないかと思い、永平寺の長い廊下の雑巾がけをイメージして、雑草取りだけではなく、雑巾がけもしているのです。

雑巾がけをして意外なことに気がつきました。拭き掃除をした雑巾が黒くなるのです。土埃なら茶色に汚れるのに黒いのです。特に、庭側の2枚の板の汚れが黒く拭き取られます。家側は、想像通りの土埃で汚れるようで拭き取ると雑巾は茶色くなります。

この差は何なんだろうと色々と考えてみました。庭側の板は黒く汚れ、内側は茶色の土埃が拭き取れる。この結果を見て気づいたのは、大気の汚れが屋根瓦や雨を汚染し、雨が降ったときに屋根瓦を伝ってオープンデッキを濡らす。もっと詳しくいえば、排気ガスなどで汚れた屋根瓦や雨水がオープンデッキを黒く汚しているということです。土埃とは明らかに違う黒い汚れの正体は、排気ガスで汚れた大気が雨に混じってデッキを汚していたのです。

作務を通して、環境問題に気づくことができました。普段、大気の汚れなど気にしないで生活してきました。しかし、身近なところにある小さな汚れに、実は重大な環境問題が潜んでいました。

黒い汚れを見てスパイクタイヤのことを思い出しました。スパイクタイヤは1959(昭和34)年にフィンランドで誕生し、以後10年間で欧米に急速に普及しました。日本では1962(昭和37)年に生産が開始され、1970(昭和45)年代に入ると本格的に普及しました。積雪寒冷地ではスノータイヤに取って代わり、100%に近い装着率となりました。

しかし、日本では、1980(昭和55)年代から、スパイクタイヤによって削られた路面から発生した粉塵による人体への悪影響が懸念されるようになりました。仙台市では、夜間の路面凍結が多い一方で降雪量が少ないことから、昼の乾いた路面が削られる粉塵公害が深刻になりました。その様子は「仙台砂漠」と揶揄されるほどのひどさで、仙台市はいち早くこの問題解決に動きました。粉塵問題が叫ばれ始めた当初、その原因がスパイクタイヤであるとまだはっきりはしていなかったのですが、1981年(昭和56年)1月27日付けの河北新報 読者欄にて「なぜ仙台の街はほこりっぽいのか」という読者からの新聞投書きっかけに「スパイクタイヤが原因では」「いや、未舗装道路から持ち込まれる土泥では」という論争が巻き起こり、マスコミ全体を巻き込む社会問題へと発展しました。

こうした関心の高まりを受け、1981年(昭和56年)11月に「仙台市道路粉じん問題研究会」が発足し「粉じん発生の主因が、スパイクタイヤによる道路舗装剤の削損である」と発表。論戦に一旦の終止符が打たれました。1983(昭和58)年には、仙台市で「第1回道路粉じん問題行政連絡会議」を開催。環境・通産・運輸・建設・自治・警察の6省による『スパイクタイヤ使用自粛指導要綱』などが施行されました。1985(昭和60)年12月に、宮城県が全国初のスパイクタイヤ対策条例を制定したのを皮切りに、札幌市などがスパイクタイヤを規制する条例を制定したのです。

生活の場面に、ジワジワと忍び寄る環境汚染。私たちは、身近にある些細な課題に対して、特別神経質になることはありませんが、マスコミの報道だけを鵜呑みにするのではなく、もっと身の回りの出来事に関心を持って、自分自身で調べ考えてみることが必要なのかも知れません。自己選択自己決定は、自分自身でしっかり考え判断する必要がありそうです。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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