東京電力福島第1原子力発電所事故の避難者
福島県原発事故にあった人々の現状は、東北県県民の一人として、決して見過ごしてはいけなと思っています。こんな気持ちがあり、被災者支援の勉強会へのお手伝いを続けてきています。市井の人となってあらゆる役割から卒業した現在においても、福島県民支援については例外で、これからもお役に立てられる機会があれば、積極的に取り組みたいと考えています。この為、機会をつくっては、福島の現状を肌で感じたくて福島を訪れています。今回は、浪江町に住む方のお家を訪問させて頂きました。
浪江町は、2011年(平成23)年3月11日、東京電力第一原子力発電所の事故により町内全域に避難指示が出されていましたが、2017(平成29)年3月31日に「帰還困難区域」を除く地区で解除されました。この方は、解除が出て2ヶ月後の早い時期に浪江町に帰還を果たしています。一時帰宅を許されるようになった時期から、たびたび自宅を訪れ自宅の手入れを怠らなかったそうです。
息子夫婦は、原発事故で地元の会社が関東で再建したことから、家族全員が関東に行ってしまい、高齢者夫婦二人だけの生活になっています。奥さんは、孫に会えないのがとても寂しいと語っていました。ご主人は、庭の手入れや避難時に知り合った方々と交流を図り、何とか楽しみを見いだそうとしていました。ここが一番良いと繰り返し語っていました。突然、故郷を追われ、6年もの避難生活を強いられた方のこの言葉には、重みと我々に対する警鐘が込められているように感じました。
6年もの避難生活はさぞかし大変だったろうとお話を伺いました。この方は、避難先でも、何とか地元に溶け込もうと積極的に様々な行事に参加してきたようです。その中で、地域にゲートボールの集まりがあり、それにも参加していたようです。そうしている内に、ゲートボール大会があり、浪江の避難者とチームを組んで参加したところ優勝しています。
そこまではよかったのですが、避難先の方からこんな声が聞こえてきたというのです。「浪江の人達は、補償金もらって遊んで暮らしている、勝ってあたりまえだよ!」と。この方達は、練習していたときは仲良くプレーしていたので、私たちをそのようにしか見ていなかったのかと、とても落ち込んだといいます。
お金絡むと人と人との関わりまでを変えてしまう。余りにも切ない現実です。津波被災者と原発事故避難者との間に生まれた深い溝なども、お金の話が絡みます。お金は人の心まで変えてしまう魔力があるようです。しかし、この方は、この様なことがあっても避難先の皆さんにはとてもよくして頂いたと感謝の言葉を忘れない。できた方だとつくづく感心しました。
この方は、原発事故の避難生活を送る中で、短歌をたしなむようになったとのことです。その時々の気持ちを短歌に込めてきたようです。そして、NHKの短歌コンクールで特選を受賞しています。それも二度もです。一首目は避難当初の気持ちを詠んだもの、二首目は、六年後に帰還を果たしたときに詠んだ句です。私には、原発事故による避難生活のご苦労を計り知ることなど到底できないので、当事の気持ちをこの句から推し量ることはなかなか難しい事ですが、そんな私でも涙が出てしまいました。
避難生活の時の句(平成24年) 「一時の帰宅許され遺影にと妻と旅せし写真持ち帰る」
帰還を果たして詠んだ句(平成30年) 「帰還して海山川や光さえも我がものとなるふるさとの朝」
東日本大震災、東京電力第一原子力発電所の事故から10年が過ぎました。津波被災地は、先が見えてきました。しかし、原発事故は今なお現在進行形です。10年単位で様々な事後処理が語られています。良く報道で、避難指示の解除が取り上げられることがあります。私たちは、解除の詳細まで知らされていないので分からないと思いますが、「解除」は全面解除ではなく、一部帰還困難区域を残している場合も多々あるのです。浪江も例漏れず、まだ多くの帰還困難区域を残したままの一部解除なのです。
浪江町は、東日本大震災当時の人口は、約21,500人でした。現在の住民登録数は約17,000人です。事故から10年を経た現在、浪江町内には約1,500人が居住しています。町民の1割弱の人達しか帰還を果たせていないのです。その他の町民は、現在も町外での避難生活を続けています。避難先は福島県内が約7割、県外が約3割(45都道府県)で、福島県内の仮設・借上げ住宅には、現在も約20人が居住しています。2020(令和2)年9月に実施した住民意向調査では、「戻りたいと考えている」が10.8%、「まだ判断がつかない」が25.3%、「戻らないと決めている」が54.5%となっています(出典:浪江町HP)。
私たちは、この現実を知るべきです。少なくとも、私はこの現実を見過ごさず、今後の原子力行政の在り方や代替エネルギーの課題、地域の安心安全はどうあるべきなのかを考えながら、様々な報道を見聞きしたいと思っています。同時に、繰り返しになりますが、原発事故の避難者支援には、日本国民として東北の一員として、お役に立てる事があれば積極的に関わっていきたいと思っています。その意味でも、福島の現状を把握すべく、機会をつくって福島を訪れたいと思っています。