十一日目(4月29日)和歌山県高野山奥の院
十一日目は、宿坊、高野山遍照尊院の朝のお勤めから始まりました。今日の天気は、四国八十八ヶ寺巡拝の中で唯一の本降りの雨でした。
宿坊の庭に咲いていたシャクナゲ(だと思う)が雨に濡れているのも風情を感じさせてくれます。食事前の6時30分から朝のお勤めが始まりました。聞き慣れないお経でしたが、住職と脇僧の読経による共鳴、りん等の鳴り物、香の匂い、揺れるロウソクの灯火、気温が低い凜とした堂内等々、第一日目の宿坊とは格段に厳粛さを感じるお勤めでした。
お勤めの後は、本堂地下にある四国八十八ヶ寺のお砂踏みに案内されました。四国八十八ヶ寺のお砂は、赤に布に包まれ踏んだ感触がしっかりありました。四国八十八ヶ寺の名前で、その場所を思い出すことが出来ませんでしたが、一番札所、二番札所と心で唱えながらその都度合掌し「有り難うございました」と小さな言葉で感謝を伝え歩を進めました。この時、初めて四国八十八ヶ寺を巡拝できたことを実感しまし、チョットほろっとしました。
宿坊高野山遍照尊院は、客室39室(定員150名)の大きな規模ですが、この日の宿泊は私達だけでした。高級な和風旅館の感じがある宿坊は、ある程度、人数に自由が利くように広めの部屋になっているように感じました。宿坊は、朝のお勤めは自由参加となっているようですが、参加はお勧めです。あの非日常の時間は、心が洗われる感じがします。
本降りの雨の中の奥の院参拝。弘法大師入定(弘法大師空海は835年3月21日寅の刻に亡くなったとされていて、入定する日を自ら決められ、真言を唱えながら、大日如来の印を結び、結跏趺坐の状態のまま永遠の悟りの世界に入定されたとあります)の地奥の院に辿り着くまでの境内はとても広く、全長2㎞にも及ぶ参道の先に御廟が静かに佇んでいます。途中には、教科書で見たことのあるような様々な建物が点在していました。
奥の院では、1200年経った今でも維那(ゆいな)と呼ばれる仕持僧が毎日食事を運んでいるとのことです。確かに、奥の院に立って結願の報告と感謝を述べたとき、普段とは違った感覚で、さもそこに弘法大師がいるような感覚で手を合わせ話しかけている自分がいました。今なお生きているとは思いませんが、それでも身近に存在する感覚は持てるような気がしました。
弘法大師がこの地高野山を開いたのは、1200年前の816(弘仁7)年です。以来、真言密教の聖地としての歴史を持ち、現在にいたっています。弘法大師や1200年の歴史等々は、教科書の世界としてしか認識してきませんでした。しかし、今回の四国八十八ヶ寺の巡拝を通して、神仏の存在が近くなったように感じています。
高野山奥の院参拝を持って四国八十八ヶ寺お遍路の旅は終了です。これからは、自分の願いを叶える迄の修行が続きます。それが叶えられたとき、「満願」になるのだそうです。長い修行の旅の始まりです。