十日目(4月28日)香川県高松市から和歌山県高野山まで

十日目は、最後の札所八十八番札所大窪寺だけを巡拝し、和歌山県高野山に登ります。

宿泊は高野山の遍照尊院で宿坊の役割も担っているお寺です。

小雨まじりの朝を迎えました。同じクルーの一員の尼僧は、「小雨は福」といい、喜ばしいことなそうです。それからすると「結願」を迎える今日の天気は、福を呼ぶめでたいことなのでしょう。

八十八番札所大窪寺(おおくぼじ)は、ホテルからそう遠くなく着きました。深山に広がる境内は、春には桜秋には紅葉など四季折々の美しさを見せるといいます。落葉広葉樹が多いように見え、私達が普段見ている里山の雰囲気を持っていました。また、この風情を見て、大学院に通っていた頃に東北大学付属植物園を歩いたことを思い出しました。木洩れ日が差し込み、気持ちが癒やされる感じを想像して眺めました。

境内には、種田山頭火の句碑もありました。種田山頭火は、歌手の松山千春がよく引き合いに出していた漂白の詩人です。「分け入っても分け入っても青い山」は、行乞流転(ぎょうこつるてん)の旅に出ているときの自由律俳句です。この俳句は、様々な誘惑(煩悩)を乗り越え、真っ当に行きたいという雲水、種田山頭火の強い思いが表現されています。

815(弘仁6)年、弘法大師は、胎蔵ヶ峯の岩窟で求聞持法を修し薬師如来を刻んで本尊とし堂宇(どうう:金堂、本堂、講堂、法堂などの建物)を整えています。この時、弘法大師は、三国(インド、唐、日本)伝来の錫杖も本尊と共に納め(山と山が重なった場所)、八十八番の霊場に定められたと伝えられています。この伝えを今に引き継ぎ、金剛杖を大窪寺に納めることが多いとのことでした。私達もこの例に従い金剛杖を1000円払って納めてきました。夏にはお炊きあげしてくれるとのことでした。

最終札所を拝礼し「結願」となる。結願という普段には聞かれない言葉は、「達成感」等とは趣が違って心に響きました。私は、四国八十八ヶ所お連路に来てのお願いは特になく、今ここに立てているこれまでの人生に御仏のご加護と人々の支えに感謝を伝える旅でした。なので、結願というよりは、四国八十八ヶ寺全てで感謝を伝えられたことがとても嬉しかった。そのような感想を持ちました。

八十八番札所大窪寺の参拝を終えた後は、御朱印の表装をお願いに門前一番街に立ち寄りました。ここで御朱印を掛け軸に表装して頂きます。桐の箱は、曹洞宗の総本山永平寺で願をかけて頂けるそうで、それもお願いしてきました。それが終わってからは、一路、鳴門・淡路島経由で和歌山県高野山に向かいました。

明日は、結願を弘法大師にご報告する為、高野山奥の院に参拝します。

皆様からの感想・ご意見などをお待ちしています。

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