四国八十八ヶ寺と高野山を巡るお遍路(巡拝)
令和3年4月18日から29日迄の11泊12日の日程(前泊を含む)で、四国八十八ヶ寺と高野山を巡るお遍路(巡拝)して来ました。四国お遍路は退職したら行きたいと考えていました。震災での被災者支援や大学教員の役割を頂き延びのびになっていましたが、10年越しでようやく実現しました。
当初の考えでは、歩き遍路を想定していましたが、10年実現が延びてしまったので、体力的に難しくなり歩き遍路はあきらめ、ジャンボタクシーを使っ多少人数で巡る方式を採りました。
定員9人の所6人(前半後半それぞれ1人いたので延べ人数は7人)と、少人数の団体でした。参加者は、熊本県、埼玉県、神奈川県、兵庫県、大阪府及び私達宮城県からの女性5人男性2人です。12回もお遍路(巡拝)している方や、この四月に得度して出家し、本格的な修行に備えて、その修行に耐えうる体力や作法を身に付ける修行を行っている尼僧も参加していました。全く初めての巡拝は我々を含めた三人でした。
私達を案内してくれたのは、先達経験が20年という方でした。経験豊かな先達、12回もお遍路を経験し様々なことを知っている方、それに仏教に関わる知識を教えてくれる尼僧と、大変恵まれたメンバーでのお遍路(巡拝)でした。
最終日の高野山奥の院参りを除いた10日間は晴天に恵まれ、初夏を思わせるような爽やかな中で巡拝することが出来ました。また、コロナ禍ということで、巡拝している人は大変少なく、私達の団体でほぼ独占状態の巡拝でした。何と、私達の巡拝の後はコロナ禍のために、当分中止になったそうで、ギリギリセーフの巡拝でした。
巡拝とは関係なのですが、前泊した際に香川県高松市に来ていた聖火リレーを偶然観ることが出来ました。前泊したホテルの直ぐ傍の玉藻公園(史跡高松城跡)がゴール地点になっていたのです。コロナ禍のため、何とも盛り上がりのない寂しい聖火リレーという印象でした。
前日の18日に高松市に入り、翌朝19日に、巡拝用品専門店「門前一番街」で予め注文していたお遍路の正装である背中に「南無大師返照金剛 同行二人」と書かれた白衣や金剛杖そしてお線香、蝋燭、お経等を入れる頭陀袋を受け取り、よく見る巡拝の姿に身支度を調え一番札所から拝礼し始めました。参拝で頂く御朱印は、納経帳では無く納経軸に頂くことにしました。結願の後には掛け軸に表装して家宝にしたいと思ったからです。
11日間の1日平均歩数は9千歩程でした。坂道や階段と平地とが概ね半々くらいです。なので、一口に9千歩といっても平地だけとは異なり、負荷は結構あるかも知れません。
では、明日から、四国八十八ヶ寺と高野山を巡るお遍路(巡拝)の感想など書いて見ます。