東日本大震災でお世話になった方
東日本大震災の時にお世話になった方が4月18日の河北新報「共に歩もう」(朝刊25面)に掲載されていました。定年退職を待たずして福島県の原発事故被災地に向かい、被災者に寄り添っています。リスクコミュニケーションを駆使し、健康不安や生活苦と向き合い、自律的な生活の営みに取り組めるよう、日々住民の声に耳を傾け寄り添い続けています。
私が、南三陸町で福祉アドバイザーとして南三陸町津波被災者をサポートしているとき、いち早く沿岸部被災者のサポートを提案し、集団避難の受け入れ先の鳴子温泉で献身的な支援をして頂きました。その一端は、『東日本大震災宮城県民100の提言』(2021年108-109頁)にも掲載されています。
現在は、福島県浪江町で原発事故による被災者の声に耳を傾け、時には叱られ役となり、時には愚痴の聞き役となり、丁寧に一人ひとりの回復過程を支えています。曖昧な喪失から10年の時を経て明確な喪失に変わり、より一層個々人の悩みは深刻化しています。
私は、こう思うんです。東京電力福島原子力第1発電所の事故は、その事故処理にこれからも長い時間を必要とします。その間、福島県民はディアスポラ化するなど、そのご苦労は筆舌に尽くせません。福島県の場合は、復興という言葉が使えないと思っています。なぜなら、事故処理が途についたばかりの現在進行形だからです。
なので、福島県の被災者支援については、何らかの役割を果たせるのであれば、いつでもどの様なことにでも応えたいと思っています。これは、同じ東北人としての使命だと思うからです。