記念日報道・8月ジャーナリズム
「記念日報道」「8月ジャーナリズム」。マスコミの世界にはこんな言葉があります。災害や事件の記事は1カ月、1年といった区切りに、戦争関連なら終戦の日に合わせて増えるという意味です。また、民報で行われる「愛は地球を救う24時間テレビ」(毎年8月末に放映)前後になると障害者やボランティアが多く取り上げられます。
こうした報道や世論に対しては、ネガティブなニュアンスが含まれるように思います。「年月が経つと、その出来事が発生した時期だけに表面的な報道が出る『記念日報道』に終始し、新たな問題の発掘や検証は次第に行われなくなる」等々と指摘されます。一方では、記念日報道は、「記憶を呼び覚ますこと」「人々が忘れないようにするため」と、その果たす役割について好意的に説明し人もいます。
時として記念日報道には、ネガティブなニュアンスが含まれます。例えば、「年月が経つと、その出来事が発生した時期だけに表面的な報道が出る『記念日報道』に終始し、新たな問題の発掘や検証は次第に行われなくなる」と指摘しされています。一方では、長期的に一つの出来事を追い続けることで、新たな課題の発見が必ずといっていいほどあるとも主張し、「長い期間を要する大規模災害の復興過程は特に、時間の経過とともに発生する問題やその後の災害で見えた新たな課題と合わせて検証し続けていくことが求められる。それが、ひいては将来の災害への備えにつながり、復興から防災へのサイクルを生み出していくことになる」と論じている方もいます。
私は「記念日報道」「8月ジャーナリズム」について、マスコミだけでは無く、私たち自身にもこうした「その時だけ」傾向が顕著だと思っています。更には、「記念日報道」どころか、その日について特段の思いも寄せずに過ごしている人達もとても多いような気がしています。それでいいのだろうかと、考え込んでしまうのです。
「3.11」知っていますよ、大変だったね、ハイ終わり。あとは、日常の些末な会話に終始する。この様な様子を多くみます。私は、南三陸町に関わったからなのか分かりませんが、東日本大震災を知っている者として、せめて東日本大震災の前後には、被災地・被災者に心を寄せ、そして心の痛みに寄り添い、この教訓を次世代につなぐ、あるいは減災の有り様を考える機会にしたいと思っています。
こうした機会を与えてくれる「記念日報道」「8月ジャーナリズム」は、たとえ年1回であっても、「課題を掘り起こし、解決につなげ、災害等の平穏な生活を脅かすリスクに強い社会をつくっていくための報道」と受け止めたいと思っています。そうした機会に「社会的想像力」を持って、当事者に想いを馳せてもらいたいと思うのです。
ここ数日、南三陸町を始め、今なお続く悲しみにさいなまれながらも、一歩いっぽ踏み出している方々を知ることがあります。先日、南三陸町の役場に、震災で犠牲になった職員の名前が刻まれた慰霊碑が建てられました。慰霊碑は、町の元職員6人でつくる実行委員会が町の職員や遺族などから資金を集めて、建立したもので、3月9日に除幕式が行われました。
「旧防災対策庁舎」で災害対応にあたるなどしていた職員あわせて39人が犠牲になりました。慰霊碑には、遺族の同意が得られた37人の職員の名前が刻まれ、最後に「ほか二人」とありました。こうした現実にも、心の痛みや忘れられない現実があるのだと思います。
私に、その苦しみや痛みは、とうてい分からないのですが、そうした現実が確かにあるのだと言うことを持ち、しばしの間だけでも心を寄せたいと思うのです。

